第92話 北ノ庄を目指して
◆色葉上洛編 登場人物紹介◆
●朝倉家
・朝倉色葉:主人公。狐憑きの妖。朝倉晴景の正室にして朝倉家の事実上の当主。一乗谷の主。
・アカシア:色葉が謎の少女にもらった本。その本に宿った人格。「京介」を「色葉」に作り変えた張本人。
・朝倉晴景:色葉の夫。武田信玄の五男。武田勝頼の弟。
・雪葉:雪女の妖。色葉の側近。
・乙葉:妖狐。色葉の側近。
・華渓:上杉景虎の正室。道満丸の母。上杉景勝の姉。色葉の侍女。
・大日方貞宗:朝倉家臣。越前亥山城主。色葉の側近。
・本多正信:朝倉家臣。色葉の側近。
・朝倉景鏡:朝倉家の表向きの当主。色葉の養父。越前北ノ庄城主。
・朝倉景建:朝倉一門衆。一門衆筆頭。敦賀郡司。越前金ヶ崎城主。
・磯野員昌:朝倉家臣。越前疋壇城代。
・堀江景忠:朝倉家臣。家臣筆頭。加賀の国主。
・堀江景実:朝倉家臣。加賀大聖寺城主。堀江景忠の嫡男。
・姉小路頼綱:朝倉家臣。家臣次席。越中の国主。越中富山城主。
・北条景広:朝倉家臣。北条高広の嫡男。
・武田元明:色葉に臣従後、若狭国主となる。
・杉浦又五郎:朝倉家臣。杉浦玄任の嫡男。
・鏑木頼信:朝倉家臣。加賀松任城主。
・窪田経忠:朝倉家臣。加賀安吉城主。
●武田家
・武藤昌幸:武田家臣。飛騨の国主。飛騨松倉城主。
・高梨内記:武藤家臣。
・大熊常光:大熊朝秀の嫡男。武藤家臣。
・出浦昌相:武田家臣。信濃国人衆。信濃上平城主。
●徳川家
・徳川家康:徳川家当主。三河、遠江を支配する戦国大名。
・鳥居元忠:徳川家臣。
・平岩親吉:徳川家臣。
・大久保忠世:徳川家臣。
●織田家
・織田信長:織田家当主。尾張、美濃、近江、伊勢、畿内を支配する戦国大名。
・織田鈴鹿:信長と帰蝶の娘。
・佐久間信盛:織田家臣。家臣筆頭。
・村井貞勝:織田家臣。京都所司代。
・明智光秀:織田家臣。近江坂本城主。
・妻木広忠:明智家臣。光秀の舅。
・斎藤利三:明智家臣。家老。
・安田作兵衛:斎藤利三家臣。明智三羽烏の一人。
・丹羽長秀:織田家臣。若狭国主。若狭後瀬山城主。
・戸田勝成:丹羽家臣。
・滝川一益:織田家臣。尾張蟹江城主。
・羽柴秀吉:織田家臣。近江長浜城主。
・竹中重治:羽柴家臣。秀吉の参謀。通称半兵衛。
・黒田孝高:羽柴家臣。通称官兵衛。
・松永久秀:織田家臣。大和信貴山城主。
・清姫:久秀の庇護下にある大蛇の妖。
・朽木元綱:織田家臣。近江朽木谷城城主。
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天正七年二月。
織田家より派遣された村井貞勝、明智光秀の両名は、僅かな護衛を引き連れて越前国境へと差し掛かっていた。
「明智殿はかつて朝倉家に仕えていたというが、やはり越前には詳しいのか?」
貞勝に聞かれ、光秀はさほどでもないと、首を振ってみせる。
「織田家中では私が特に、越前や朝倉に縁があったことは間違いありませぬが」
「されどかなりの間、朝倉義景に仕えていたのだろう?」
「そうですな。十年ほどになりましょうか」
光秀の明智家は、遡れば美濃源氏である土岐氏の支流にあたる家系で、最初、美濃一国を支配していた斎藤道三に仕えていた。
ところが弘治二年に道三とその息子、斎藤義龍が争うことになるが、明智家は道三方に与し、義龍によって居城であった明智城は攻められ、一族は離散する。
美濃から油坂峠を越えて越前へと逃れた光秀は、しばらく浪人したのち、越前の朝倉義景に召し抱えられた。
その後、足利義昭が越前に動座したことで義昭と縁を得る。
義昭は上洛を義景に再三勧めたものの動かず、ついには織田信長を頼って越前を去り、この頃から織田家に仕えるようになったのだった。
「義景は見る目が無い。もし貴殿がそのまま朝倉家に仕えておったら、我らは相当に手こずったことだろうに」
「勝敗は時の運でありますれば」
謙虚な様子の光秀に、貞勝は苦笑した。
今でこそ織田家中にあって異例の出世を遂げた光秀であるものの、先のような経緯により、織田家臣になってからは比較的日が浅いともいえる。
それに対し、貞勝は信長が未だ尾張一国を掌握できていないような時期から仕え、その信任は厚い。
現在、京都所司代という大任を得ていることからも、容易に分かるというものだった。
もっともその貞勝から見ても光秀は優秀であり、なるほど信長が重用するのも頷けるというもので、しかし光秀は驕らず、謙虚な姿勢を崩さずにいる。
「貴殿は少し真面目すぎるな。もう少し肩の荷を抜いても良かろうに」
「さようなわけにも参りませぬ。丹波での失態……償わねばなりませぬ」
その丹波のことが、貞勝は気にかかっていた。
光秀は各地を転戦しつつもその本来の目的は丹波平定であり、ついには八上城に籠る波多野氏を降伏に至らしめるという、武功をあげている。
ところがそれも束の間で、松永久秀の謀反により、あっさりと丹波を失陥。
これは光秀ばかりの責任ともいえないのであるが、気にしていることは間違いないようだった。
そして何よりこの丹波平定戦において、光秀は実母を失っている。
しかもその原因は、主君である信長のあまりに配慮の無い行いを原因にして、だ。
光秀に思うところが無いはずもない。
しかし表面には出さず、溜め込んでいると貞勝は見ていた。
これが後々、由々しきことにならなければいいと、若干の不安を覚えつつ、ではあったが。
「……ところで明智殿、貴殿はあの噂を知っておるか?」
貞勝は話題を少し変えることにした。
「はて、何のことでしょう」
思い当たることも無く、光秀は首を傾げる。
「朝倉の狐の話だ」
ああ、と光秀は頷く。
これは巷では有名な話だった。
一度滅亡した朝倉家を再興し、その当主となったのが朝倉義景の従兄弟である朝倉景鏡であることは、疑いようも無い事実である。
そして甲斐の武田勝頼の弟である仁科盛信が、景鏡の養子となって朝倉晴景と名を改め、その後継者と目されていることも広く知れ渡っていることだった。
しかし、である。
実際に朝倉家を牛耳っているのはこの二人ではないという。
かの朝倉義景の娘にして、景鏡の養女となった姫がいて、それが晴景を夫に迎えたことで越甲同盟は成立したのであるが、問題はその姫である。
名は朝倉色葉。
今や越前国の中心は北ノ庄であるが、その色葉姫はあまり北ノ庄には顔を出さず、滅びた一乗谷に館を建てて引きこもっているという。
そしてその姫の容姿は、まさに狐憑きであるとか。
「私が聞いた話では、とても一乗谷に引きこもっているとは言い難いものですな。あちこちに出没しているとか」
「ほう」
「つい最近では、京でもその姿を見た者もいるようですぞ」
「はは、それはさすがにどうであろうな」
貞勝は一笑し、光秀もあくまで噂にすぎぬと頷いてみせた。
「珍しいとはいえ、そのような忌み子は古来、例が無いわけでもない。妖が化けている例もあるし、目撃例などいくらでもあろう」
「さようですな」
「しかし、だ。貴殿は朝倉家におった頃、そのような姫の噂は聞かなかったのか?」
その問いに、光秀は眉をひそめた。
「……言われてみれば、寡聞にして存じませんな」
「まあ、忌み子であればこそ、噂通り義景の元では育てられず、景鏡の元で密かに育てられたのだろうが」
「それが如何したのです?」
「なに、かの色葉姫の噂が出始めたのは、朝倉が滅亡してから後であろう? それまではその家中にあった貴殿すらその存在を知らなかったほど、秘匿されていたといえる。そしてその姫が表に出てきた途端、朝倉家はすぐにも再興し、武田と結び、今や北陸一帯を平定し、越後の上杉すら頭の上がらぬ状況に持っていってしまった。何やら開けてはならぬものを開けてしまったような気になってな」
「……つまり、その姫とやらは何か良くないものの類であると?」
「さて、妖などそれだけで縁起のいいものでもなかろうが、多少は気を付けた方が良いとも思ってな。まあ年寄りの杞憂に過ぎんかもしれんが」
貞勝の言葉に、光秀は少し考え込んだ。
主君である織田信長の躍進ぶりも大したものであるが、ここ数年の朝倉家の飛躍もまた、それに劣らぬ偉業ともいえる。
それを噂通り、その色葉なる姫が裏から行っていたとしたら、かなり警戒すべき相手であるといえるだろう。
「肝に命じましょう。……この先、会う可能性もありますからな」
「おお、それにだ。その狐憑きの姫君は何とも見目麗しいとのことであるぞ? 民から異様に人気があると、丹羽殿が申しておった」
「はあ」
「しかし一方で自ら戦場に出て、その有様や鬼のようだとも言われているらしい。知っておるか? 何でも越後出兵の折に姉小路頼綱殿が共に戦われたというが、背後に立たれただけでそれはもう、悲壮な様子であったとか」
「……あの姉小路殿が、ですか」
かつて飛騨を治めていた姉小路頼綱は、今でこそ朝倉家臣に成り下がってしまったものの、かつては織田家の同盟相手である。
頼綱は京の公家とのつながりも深く、信長も頼綱との同盟関係を重視していた節があった。
もっともその飛騨国は朝倉家と武田家による電撃的な侵攻により侵略され、今では対外的には朝倉領となっているものの、実際にそれを治めているのは武田家臣であるという、複雑な土地になってしまっている。
「しかし中納言殿もまこと紆余曲折であるな。国を失ったと思ったら、今や越中一国を預かる身と聞くし、世の中というのは分からないものだ」
確かに世の中というのは分からないものである。
光秀自身、このように織田家中においての出世頭になるとは思ってもいなかったからだ。
とはいえ。
「……村井様は、実に巷の噂にお詳しいのですな」
光秀をして、やや呆れるくらいの精通ぶりである。
「おお、そうか? いや京などに長くいると、いくらでも噂話が聞こえるようになっての。まあ年寄りの道楽とでも思ってくれていれば良い」
「はあ……」
「そうそう。噂話ついでに一つ思い出したぞ。我らが向かっている疋壇城であるが、ここを守っている将のことを知っておるか?」
「それは存じています」
疋壇城は越前国境を守る最前線の拠点だ。
そこを守っている人物について、知らない方がおかしいというものである。
「当然であるな。――姉川十一段崩し。まずは磯野殿に会うとしようか」