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第87話 謀略戦


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 高山右近。

 右近の高山家は元々摂津国の国人領主であったものの、父・高山友照が当主であった頃には三好長慶の重臣であった松永久秀に従って、大和国宇陀郡の沢城を居城としていた。


 しかしその後、畿内における三好家の勢力は衰退し、代わりに進出してきた織田信長の力を背景に、足利義昭が室町幕府第十五代将軍に就任。

 その家臣であった和田惟政や伊丹親興、池田勝正ら三名を摂津守護に任命。

 高山父子は高槻城に入った和田惟政に仕えることになる。


 ところが元亀二年、和田惟政が白井河原の戦いにおいて、荒木村重と中川清秀らと戦い、敗死。

 高槻城は和田惟政の子、和田惟長が継いだものの、その家臣としてあった高山父子が家中で信望を集めつつあったことを快く思わず、暗殺を計画して実行した。


 しかし事はすでに露見しており、お互いの手勢を交えての斬り合いとなって、惟長はその時の傷により死亡。

 右近も重傷を負ったものの、奇跡的に一命を取り留めている。


 この頃すでに天主教の洗礼を受けていた右近であったが、この時の奇跡はより一層、天主教へ右近が傾倒する要因になったといえるだろう。

 ともあれこの事件後、事前に荒木村重の協力を得ていた右近は、そのまま村重に臣従し、高槻城を任されることになったのだった。


 そして今回の荒木村重の謀反に至り、高山右近は自身の去就について悩みに悩むことになるのである。


「どのような状況になろうとも、織田様と敵対してはいけません。高山様、是非とも熟慮なされますよう」


 右近に相談され、そう答えたのはグネッキ・ソルディ・オルガンティノ。

 この日ノ本において布教活動を行う、イタリア人宣教師である。


「しかし我らは人質を取られています。信長様に降ることで、人質が殺されることは避けねばなりません。ですがどうすれば良いものか……」


 この返答に、オルガンティノは深く憂慮することになった。

 高山右近やその父・友照は熱心なキリシタンであった。

 これは周知の事実である。


 その二人が荒木村重に追従し、信長に対して謀反するということは、当然キリシタンの立場を悪くするものであると、オルガンティノは考えたからだ。

 下手をすれば、信長がキリシタンを害するかもしれない、と。


 一方の信長も、高槻城が要衝であることから、右近に対しての調略を行っていた。

 その一環としてオルガンティノに対して信長は使者を送り、右近の説得をさせたのである。


 主な課題が右近の差し出している人質についてである。

 人質さえどうにかなれば右近が寝返ることは明白だったため、村重が信長に差し出している人質と、右近が村重に差し出している人質交換などの可能性が模索され、信長は右近に対して便宜を図ったのだった。


 実際に十一月に入り、これを知った高山親子は人質を取り戻すことを条件に、了承。

 信長に対して数日間、摂津への侵攻を待ってくれるよう、願い出ることになる。

 この間に右近ら高槻城の者は、有岡城の村重やその家臣に対し、降伏の説得を試みようとしたからでもあった。


 しかし十一月六日に信長は第二次木津川口の戦いで毛利水軍に勝利していたことなどから、戦機を失することを避けるためにもと、事を急がせるためにも宣教師たちを捕らえ、近江へ連行。

 オルガンティノも更なる説得の書状を送り、これを高山父子へと伝えたのである。


 一方で右近の村重への説得は成功し、領地の安堵を条件に荒木方が信長へと降伏する話がまとまったのであるが、信長はこれを拒絶し、十一月九日には自ら摂津へと出陣。

 翌十日になると、信長は京の各地にある教会関係者全てを集め、何としても右近を投降させるように命じる。


 果たせれば良いが、できなければその宗教そのものを滅ぼす。

 信長にそう告げられたオルガンティノらは戦慄し、ついには自ら高槻城に赴いて説得することを決めた。

 これにより、信長への義務を果たしてキリシタンたちが殺されることを回避しようとしたのである。


 とはいえ荒木方も信長のこの動きは察知していたこともあり、高槻城に手勢を派遣してこれを監視。

 城内への立ち入りを厳しく禁じたのである。

 下手をすれば殺される可能性のあったオルガンティノは、害そうとする信長から逃げてきたという風に装い、どうにか高槻城に入ることに成功する。


 城内では高山友照には面会が叶ったものの、この頃の高槻城内では疑心暗鬼が蔓延しており、友照もその一人であったことから何の進展も無く、右近に会うことすらできなかった。

 しかしこの頃、右近はついに信長への降伏を腹に決めていたのである。


 差し出している人質と、キリシタンを同時に救う方法。

 それは現在自身が持っている全てのもの、城や家臣、領地、領民に至るまで全てを信長に返上することだった。

 家臣や兵も失えば、荒木方と戦うこともなくなる。

 そうすれば人質もキリシタンも救えるのではないかと、右近は踏んだのだった。


 しかしこの時、父・友照は信長に降ることを良しとしておらず、その日の夜、右近はオルガンティノらと密かに城を出、信長の元へと向かおうとしたのであったが、その寸前に思わぬ悲報が届けられたのである。


「ありえない!」


 オルガンティノはその知らせを聞いて、心からそう思った。

 信長が各地のキリシタンを虐殺した、というものである。


 オルガンティノは信長から逃げてきたと偽装して高槻城に入ったのだから、少なくともこの時点で信長が激発するはずがない――とは言い切れず、彼は混乱した。


 確かにその危険は常にあったのである。

 とうとうしびれを切らした信長が事に及んだ可能性は、十分に考えられた。


 これにより右近は信長の元に行くことを断念。

 オルガンティノもこのままでは危険ということで、これを速やかに逃がし、自らは高槻城にて守りを固める他無くなってしまったのだった。


     ◇


「やはりわしは地獄行きかのう」


 摂津へと五千余の軍勢と共に入った松永久秀は、その報を耳にしてやや複雑な表情となった。


「かもしれませぬが、それは我らとて同じこと」


 陣中でありながら人けの無い一角で、そう答えたのは大日方貞宗である。

 現在は客将として、久秀の軍勢に大和から従ってきていたのだ。


「しかしこの策、乙葉殿が思いつかれたように言っておったが、実際のところはどうなのじゃ? おぬしの主が考えたのではないのか?」

「お察しの通りです」

「なるほどの。手段は選ばぬか。まこと恐ろしき姫君よの」


 十一月十日。

 この日、京においていくつかの教会が焼かれ、少なくない数のキリシタンが命を失った。

 無残にも焼き殺されたと言う。


 すぐにも噂は流れ、この摂津でも大々的に吹聴されて回った。

 信長がキリシタンへの弾圧を始めたと。


 当然これは真実ではない。

 それを騙った者がいるのである。


「清は純真じゃがそれゆえに残虐なところがある。乙葉殿もそれなりのようじゃと見受けたが、清は尚性質が悪い。しかしだからこそ、このような仕事には打って付けなのじゃが……実に皮肉であるな」


 久秀の元にいる清姫は、乙葉に匹敵する妖である。

 また炎の扱いに長けていることから、教会の一つや二つ、消し炭にすることなど実に容易かったことだろう。


 乙葉の性格をよく知っている貞宗にしてみれば、清姫が成したであろうことについて、さほど想像を働かせなくとも察することができていた。


 血も涙もない所業。

 とはいえそのようなことは、妖でなくとも人でもできるし、実際にやってきたことだ。


「まあ良い。ともあれこれで、右近が信長に寝返る可能性は低くなったとみて良いじゃろう。あの男、真面目ゆえな。此度のことで悩みに悩んだのであろうが、ちと判断が遅すぎたということじゃ」


 右近ら高山家の者は、かつて久秀に仕えていた経緯がある。

 それゆえの発言でもあった。


「しかし松永様はよろしいのですか? お孫様が、信長に人質として預けられているはずでは」


 貞宗の言う通りで、久秀の嫡男・松永久通の子が二人、人質として織田家中にある。


「謀反を唆しておきながら、今さら人質の心配か?」

「……これは失礼致しました」

「いや、良い。しかしどうにもならぬじゃろう。罪無きキリシタンを殺した報いでもあるし、これもこの世の倣いにて、な」


 誓約の保証として預けた以上、その誓約が破られた時は、当然その対象となる者は悲劇に見舞われることだろう。

 それでもこの時代においては、よくあることである。


「今のところはおぬしの主の思惑通りに進んでいるようじゃが、後はわしが謀反すれば良いということであるな?」

「時機は重要でありますれば、お間違えの無きよう」

「分かっておる。しかし……丹波一国を与えると言うておきながら、その実わしを使って得ようというのであるから、まこと色葉殿は曲者じゃのう」


 人の悪い笑みを浮かべてそう言う久秀に、貞宗は恐縮であるとばかりに頭を下げる。


「まあ与えられるよりは、切り取った方が面白い。愛着も湧こうというもの。……して、おぬしは今から大和へと向かうのであったな?」

「はい。主よりの命を果たさねばなりませんので」

「大和を失うは惜しいが、すでに半ば失っていたも同然ゆえな。ならば精々派手に、始末してくれるよう頼んでおこう」


 翌朝早く、貞宗は護衛の景成と共に久秀の陣を抜けて大和へと道を戻る。

 それは畿内動乱の火種を更に撒くためであった。

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