第74話 若狭を臨みて
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疋壇長城の視察を終えたわたしたち一行が、次に向かったのは関峠である。
この関峠は旗護山の南に位置する峠で、この旗護山の稜線を越えるために整備されたものであるが、ここは越前国と若狭国の国境を成していることもあって、疋田と同様に交通はもちろんのこと、軍事上の要衝でもあった。
この関峠は峠といっても非常になだらかなこともあり、峠の周辺にいくつもの砦を築かせた上で、その出口にあたる関に新たに城を築かせ、若狭方面の防衛を担わせていた。
ここは疋田のように壁ではなく、要塞群によって守備を強化しているのである。
この関城や疋壇長城を抜かれた場合、敦賀の最終的な防衛は金ヶ崎城に託されることになるが、城下は蹂躙されて戦火は免れないだろう。
やはり入口で防衛できるに越したことは無い、ということだ。
しかし今度は金ヶ崎城が越前国南条郡への入口を守る防衛拠点となるわけで、ここを抜かれてしまうと木の芽峠を越えて一気に府中へと入られ、北ノ庄へと肉薄されてしまう。
木の芽峠自体も戦線が狭く、防御に向いた地形ではあるものの、あくまで最終防衛線であり、できる限りこの敦賀で敵の侵入は食い止めなくてはいけない、ということになるわけで、とにもかくにもわたしは敦賀の防衛を徹底していたのだ。
「そういえば貞宗と乙葉は、若狭に行ったことがあったな」
「はい」
「うん。丹波に行った時に通ったから」
「以前に比べてどうだ?」
関城は最近普請を始めたばかりなので未だ完成には至っていないが、峠を挟み込むようにして構築されている数々の砦群はすでに機能しており、容易にこの峠を抜くことができないことを窺わせてくれている。
「かなり充実してきていることは間違いありません。例え大軍が相手でも、長時間の足止めは可能でしょう」
いくら強固な要塞や長城があったとしても、敦賀の守備兵だけで長期間ここを守り通すことは難しい。
結局のところ援軍は必要であり、北陸一帯からの救援が駆け付けるまでの時間を稼ぐことが、これらの最大の目的だ。
かつて元亀元年に織田信長が越前に侵攻した際、朝倉勢の援軍が遅れたために金ヶ崎城は失陥している。
「そういえば色葉様、峠を越えた所にも城があったけど?」
「狩倉山城だな」
答えたのは貞宗である。
「その通りだ。かつて我々が築いた国境守備のための城であったが、今では丹羽長秀が越前に対する防衛線の一つとして整備しているはずだ」
補足する景建。
その狩倉山城はもともと朝倉家が築いたものであり、すでに若狭国内にあったものの、越前防衛のための拠点であったというわけだ。
「若狭に攻め込む場合には、橋頭保になる、というわけか」
何気なくつぶやけば、家臣どもが一斉にわたしを見返す。
「……うん?」
首を傾げると、代表して貞宗が口を開いた。
「織田と、戦を?」
時期尚早、とその顔には書いてあり、わたしは苦笑する。
「正信、お前はどう思う?」
「まだ北陸情勢が安定していませんからな。今はまだ早いかと」
その通りで、越前、加賀、能登、越中と北陸一帯は平定したものの、安定的に支配できているのは加賀までであり、平定したばかりの越中と能登はまだ不安定である。
さらにいえば越後の問題もある。
あれが思うように解決しなくては、背後に不安を抱えたままになってしまう。
いくら国力が増したとはいえ、あの織田家を相手にしながら二正面作戦を行えるほどの余力は無い。
「織田との戦はできるだけ引き延ばす。しかし先日北ノ庄で父上が言っていたように、どうも信長は越前を狙っているらしい。その前に先手を打つのも面白いが、今から動員をかけていては急襲は難しいだろう。仮にうまくいったとしても、あとが泥沼になりかねないからな。今は戦うつもりはない」
国力差を考えるならば、やはり周辺諸国との連携が不可欠になってくる。
美濃方面を牽制できる武田や、畿内で抵抗し続けている本願寺や波多野、また中国戦線での毛利らとの共闘は必要だろう。
「とはいえこちらにはつもりがなくても、向こうはその気だからな。景建、今は万が一に備えて守備を強化しろ。念のために武器や兵糧を敦賀に送る。足りないものがあれば言え。極力融通する」
「はっ、ありがたき幸せ」
「一応、援軍の用意もしておくが、恐らくは必要無いはずだ」
「と、おっしゃいますと?」
「色々と手を打っておいたからな。信長は越前どころではなくなる。それでも向かってくるというのなら……徹底的に返り討ちにしてやるまでだ。なあ、乙葉?」
「うん! うん! 色葉様のためにいっぱい殺すね!」
嬉しそうに頷く乙葉を耳を撫でつつ、ついいつもの癖で例のよろしくない笑みを浮かべてしまい、家臣どもには思い切り引かれてしまったが、まあいい。
あ、貞宗のやつこっそりとため息しているし。
「ともあれ若狭に関しては、いずれ手に入れる。あれはもともと朝倉の領地だった場所だ。奪い返しても問題は無いだろう」
「確か若狭は武田氏の領地だったのでは……」
「何か言ったか? 景成?」
「い、いえ何も」
わたしの教育のたまもので、周辺情勢からその歴史まで、ある程度の知識を身に着けるに至った景成が何やら言っていたが、当然聞かなかったことにしておく。
「とにかく若狭に関しては警戒し、情報を集めておけ。あそこを治めている丹羽はなかなかの武将だと聞いているからな。油断はするな」
「はっ」
頷く景建。
「北ノ庄でも話したが、貞宗と正信は悪いがこのまま畿内に向かってくれ。護衛には乙葉と景成を連れて行けばいい」
「……色葉様、やっぱり妾も行かなくちゃ駄目?」
「駄目だ」
「うう~。せっかく雪葉がいなくて色葉様を独り占めできると思っていたのに~」
貞宗と正信には石山本願寺に一度行った後、貞宗には大和に、正信には摂津に向かってもらうことになっている。
今回の視察にこの四人を連れてきたのも、他に理由があったからだった。
景成の武芸はかなり達者であり、護衛の任には最適であるし、乙葉に関しては言うに及ばず、である。
ただ乙葉はわたしに対しては従順ではあるが、他の者に対しては貞淑を装いつつも傲慢なところがあり、これを御せるのは晴景や貞宗くらいのものだった。
まあ家臣どもに言わせれば、わたしで慣れているから乙葉くらい、何ほどのものでもない、とのことだそうだが……何となく解せないぞ。
ともあれ乙葉に貞宗に、景成は正信に同行する予定だ。
「しかし姫、帰りはお一人になりますがよろしいので? 何なら供の者を見繕いますが」
気遣う景建に、大丈夫だとわたしは首を横に振る。
「たまには気ままな一人旅もいいと思ってな。あちこち顔を出しながら帰るつもりだ」
「予定に無い所に顔を出されると、家臣たちが悲鳴を上げるかと思いますが」
「歓声の間違いだろう」
突っ込んでくる貞宗に返しつつ、わたしはうん、と伸びをする。
ぴん、と伸びた尻尾を見た乙葉がたまらなくなったように、尻尾に抱き着いてくるがまあご愛敬だ。
「ともあれせっかく外に出るのだから、そちらの方が本当の意味での視察にもなる。しっかり頼むぞ」
さて、これでどうなるのか。
うまくいってくれればいいが、なかなかそうもいかないかもしれない。
ともあれ今はやれるだけのことをやる。
それだけだ。