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第65話 乙葉の忠誠


     ◇


「乙葉、入るぞ」


 軍議を終えて、見舞を兼ねて乙葉にあてがわれた部屋に入った途端、物凄い勢いで抱き着かれてしまった。


「色葉様――――っ!」


 常人ならばそれだけでひしゃげかねない勢いである。


「……乙葉様、はしたないですよ」


 などと、後ろからついてきた雪葉がそんなことを言うが、雪葉だってさんざんわたしに抱き着いて離れなかったくせに、すまし顔でよく言うものである。


「だって! ほら! 信じられない――うわぁあん」


 わたしの首にぶら下がったまま、ついには感極まって号泣し始める乙葉。

 この辺りも雪葉と同じである。

 わたしは溜息をつくと、そのまま引き剥がすことはせず、逆に抱きしめ返し、落ち着くのを待ってやったのだった。


 改めてわたしを招き入れた乙葉は、わたしの前にちょこん、と座り込んで嬉しそうに尻尾をぱたぱたしてみせた。

 その数五本、である。

 重そうだとか、邪魔そうだとか思ったのは、とりあえず口にしないでおく。


「具合はどうだ?」


 肘掛にもたれて頬杖をつき、軍議の時と比べていささか寛いだ様子で尋ねれば、乙葉は絶好調! とばかりに答えたものである。


「確か三つも切り落とされちゃって、全然力が入らなかったのに、目が覚めたら五つに増えてたの! 妖力も凄いし……。これって色葉様がしてくれたんでしょ? だってこの妖気の感じ、色葉様のものだもの」

「そうだ。褒美と礼を兼ねてな」

「妾がお仕事頑張ったから?」

「もちろんだ」


 頷けば、嬉しそうに自分の尻尾に触れる乙葉。

 が、すぐに異変に気付いたようだった。

 自分、ではなく、わたしの、だろうが。


「色葉様……? まだお疲れ……?」

「いや、もう元気になった」

「でも……?」


 不思議そうに、乙葉はわたしを見回す。

 その疑問に答えたのは、雪葉だった。


「姫様はご自身が得ていた魂を全て、我々に下賜して下さったのですよ」

「全て……って。でも、え……?」

「わたしも謙信にずいぶん手酷くやられてな。ごっそりと妖気を削られた。手持ちの魂を使えば回復は可能だったんだが、とりあえずお前たちに全部やった結果だ」

「うそ……?」

「というわけで、今のわたしはお前たちよりも弱い。どうだ? お前が反旗を翻そうとしても、わたしには防ぐ力は無い。それでもまだ仕えてくれるか?」


 実際に、今の乙葉の方がわたしよりずっと強いだろう。

 寝首をかこうと思えば、いくらでもできる程度の実力差がある。


「……どうしてそこまでしてくれるの?」

「うん? それはこの先も働いて欲しいからだが。それに先にも言ったが、礼を兼ねてという意味もある」

「でも……妾、裏切っちゃうかもしれないのに?」

「裏切るのか?」


 尋ねてみれば、ぶるんぶるんと首を横に振る乙葉。


「そんなことしないわ。だって色葉様、とても優しくしてくれるし、ここは居心地がいいし……。仮に色葉様を殺して朝倉を乗っ取ったとしても、誰もついてきてくれないし。どうせぐちゃぐちゃに壊して終わりってなってしまうもの。そんなのつまらない」

「つまらない、か」

「うん。そう。それに……」


 そこで乙葉は肩をすくめてみせた。

 子供っぽい仕草をみせるかと思えば、妙に老獪な仕草をみせるのも乙葉である。

 四百年を生きてきた子供――そのちぐはぐ感が、まさに乙葉なのだろうけど。


「雪葉が凄い顔して睨んでいるもの。見た感じ、雪葉もまたご褒美もらったみたいだし、妾じゃちょっと敵わない……とも思えないけど、絶対に協力してくれないでしょうしね。雪葉って怖いから」

「ふふ、同感だ」

「……姫様?」


 頷いたら、今度がわたしの方にその怖い視線が向いてしまった。

 くわばら、くわばら、である。


「そういうわけだから、今のわたしの力はかなり落ちている。二人にはしっかり守ってもらうから、そのつもりでいろ」


「はい」

「うん!」


 淑やかに頷く雪葉と、元気よく頷く乙葉。

 とりあえずはこれでいい。


 今のわたしは自分の力よりも、知恵を絞って上杉に勝利することにある。

 いや、勝つことはできる。

 そのつもりだ。


 当初考えていたことよりも軌道修正が余儀無くはされているが、まだ許容範囲だろう。

 さて、わたし自身の運がどの程度であるか、見物ということになるな。


     /


 天正五年十月。


 越中での朝倉の大敗の報は、甲斐にももたらされていた。


「報せによれば、朝倉方は越中の神通川付近にて、上杉謙信に対して敗北。朝倉晴景様は敗走したとのことです」

「晴景は無事か?」

「そのようですな」


 側近である跡部勝資の報告に、武田勝頼は重々しく頷いた。


「しかしやはり侮れませぬな、上杉は。あの朝倉の姫君でも敵わぬとは……」


 そう言うのは、武田信豊。

 一門衆であり、勝頼に従兄弟に当たる人物で、側近として仕えていた。


 同世代ということもあってか二人は親しく、勝頼も信頼していたという。

 そのため武田の副将とされ、この関係はまさに、勝頼の父親である武田信玄と、信豊の父親である武田信繁の関係そのままであった。


「その色葉殿は如何相成った?」

「姫君は晴景様を守って奮戦し、負傷されたとのこと。ただし命に別状は無いとのことであります」

「ふむ……」


 この甲斐武田家は天正三年の長篠の戦いにおいて、朝倉色葉に大いに助けられた経緯がある。

 織田と徳川との戦は敗れはしたもの、その傷を最低限に抑え、武田の支配する三河や駿河の領地を損なわずにすんだことは、大きい。


 また両家の同盟成立に大きく貢献し、勝頼は自身の弟であった仁科盛信を朝倉に送って色葉と婚姻させ、その関係を強めた。

 つまり色葉は武田と朝倉の同盟の要でもあるのである。


 さらにその後、朝倉家は武田家への援助を惜しまなかった。

 朝倉家とて領国を平定したばかりで経済的な余裕があったわけではないのだが、それでも許す範囲で朝倉は物資の援助をし、武田の敗北の傷を癒し、領国の安定に貢献してくれたのだ。


 またそれとは別に通商も盛んになっており、特に越前で発行されている新たな銭を、武田は大量に購入している。

 この戦国時代は銭不足から深刻な物価収縮――現代でいうところのデフレーションが深刻化している時代であり、どの大名もこの対応に苦慮していた。


 当時は銅銭を明国から輸入していたのであるが、これが途絶えたことで銅銭不足に陥ったのである。

 そして残った銅銭も使用すればするほど端が欠けるなど損傷し、いわゆる悪銭だらけとなって、良銭が希少となったからだ。


 そしてこの悪銭を受け取りたがる者はいない。

 かといって悪銭の使用を禁じれば、銭不足が更に深刻になり、経済が立ち行かなくなってしまう。


 織田信長などはこの状況に対し、良銭一枚に対し、悪銭の損傷具合で二枚で交換、もしくは三枚で交換などと、明確な交換割合を提示することで対応した。


 一方で武田領国において武田信玄は、納税の際に悪銭ではなく良銭を用いるべし、と命令したことで領民は多いに困り、より深刻な物価収縮が進行してしまったのである。

 この点において信玄の政策は、信長のそれよりも非現実的で失敗であった、と言わざるを得ない。


 ともあれこのように武田領国では銭の枯渇が進んでおり、そんな折に朝倉からもたらされた新たな銭はまさに渡りに船といったもので、勝頼はこれを積極的に取り入れる方針を定めたのであった。


 これは色葉の狙い通りでもあり、自国の貨幣の流通を拡大させる一方で武田に売り込むことができ、代わりに武田で採掘される金を手に入れて、貴重な収入源としていたからである。


 このように武田と朝倉は軍事同盟だけでなく、経済的な結びつきも強固になっていたこともあって、すでに切っても切れぬ関係になりつつあったのだった。


「恩を返す意味でも、朝倉への支援をせねばならんだろう」


 ここで朝倉に崩れられては困るのだ。


「そのように思われます」


 勝資もまた然りであると頷く。


「されど、軍事支援は難しいかと。上杉とは和睦しておりますゆえ、ここで明確に朝倉の支援に回ってしまうことで、越後との間に亀裂が生じかねません」

「であれば、和睦の仲介、というのがよろしいのではないかと」

「確かに」


 信豊の意見に、勝頼もまたそれしか無いと考えていた。

 だがしかし、とも思う。


「とはいえ……色葉殿は北陸を平定するおつもりだろう。ここでの和睦は望まぬかもしれぬ。一度、朝倉の腹の内を知りたい。信豊、朝倉へ行ってはくれぬか?」

「承知致しました」


 勝頼の知る色葉は、豪胆ではあるが歳に似合わず非常に老獪である。

 一度の敗戦程度で簡単に助けを求めたりはしないかもしれない。


 こちらが下手に出しゃばって侮られるのも愉快ではないし、やはりここは慎重に様子を見るべきだろう。

 そしてこの時の勝頼の判断は正しく、色葉の性格をよく見抜いたものだった。


     ◇


 七尾城の陥落後、瞬く間に能登を平定した上杉謙信であったが、その後予想された朝倉領への侵攻は無かった。

 これは冬が迫っていたことが関係しており、北陸地方の豪雪を恐れたためでもあった。


 これはかつての朝倉家も頭を悩ませていた問題であり、例えば元亀三年、第二次信長包囲網を形成していた際、積雪を恐れて朝倉義景が越前へと撤退し、これに対して武田信玄が非難を込めた文章を義景に送り付けたことなどは、有名な話である。


 これは義景ばかりを責められる話ではなく、北陸の諸将はみな積雪に留意していた。

 万が一途中で豪雪に見舞われでもすれば進退窮まり、全滅しかねないからである。


 そして越後の上杉謙信もそのことは十分に分かっており、朝倉との戦が長引くと判断した上での進軍停止であった。

 むしろこの時、積極的に攻撃を仕掛けていたのは朝倉勢の方である。


 色葉は七尾城方面には堀江景忠、守山城方面には堀江景実、富山城方面には朝倉晴景を侵攻させて小競り合いを繰り返し、業を煮やした上杉方がまとまった軍を率いて迎撃に出て来ると、速やかに退いて決戦を避けるといった戦法を繰り返し、上杉方の戦力の集中を避けると同時に牽制を続けたのだった。


 これには謙信も難儀し、いったん越後に帰国する予定だったにも拘わらず実行できず、能登や越中に釘付けになってしまったのである。

 そして両軍は越中で対峙したまま年を越え、天正六年へと移り変わった。


 この頃は積雪で完全に両軍共に停戦状態であったが、二月の末になって色葉は密かに姉小路頼綱を呼び、椎名康胤や神保長城などを従えさせて、ある密命を与えた。

 数百の手勢を率いさせ、平野を大きく迂回させて山岳地帯へと入らせ、越中と越後の国境へと軍勢を進ませたのである。


 雪の残るこの季節、山岳地帯の進軍は困難を極めることは予想されたが、その案内人として色葉は雪葉に同行を命じた。

 普段、決して傍を離れない側近である雪葉を出したことに、諸将は色葉の本気を感じ取り、にわかに真剣味を帯びて命は実行された。


 そして三月に入り、その中旬に差し掛かった頃。

 上杉方に異変が起きたのである。

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