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第55話 越中侵攻


     /


 能登七尾城。

 能登国を支配した能登畠山氏の居城である。


 能登畠山氏第七代当主であった畠山義総は名君として知られており、その義総によって築かれた七尾城は難攻不落と言って過言ではなく、これを包囲した上杉謙信を手古摺らせるに十分であった。


 その能登畠山氏が全盛を築いたのはこの義総の時であり、以後は没落の一途を辿ることになる。

 義総の跡を継いだ子の畠山義続は、天文十九年に起きた能登天文の内乱の責任を取って、隠居。

 その子である畠山義綱が家督を継承するも、永禄九年の政変によって家臣団により国外へ追放されてしまう。


 これによってその子である畠山義慶が擁立されたが、天正二年に急死。家臣によって暗殺されたといわれている。

 その跡を弟である畠山義隆が継ぐも、これもまた天正四年に急死してしまう。


 このため家督は義隆の子であった畠山春王丸が継承することになったが、まだ幼少であり、その実権は重臣の長続連が握っていた。

 このように能登畠山氏は内紛や当主の相次ぐ死によって衰退しており、能登国の治安は乱れて混沌としていたといえる。


 越中から能登へと侵攻した謙信は、その大義名分として能登畠山氏の新たな当主として上条政繁を擁立し、能登国の治安と安定を回復させる、というものであった。

 上条政繁は上杉一門であったが、畠山義続の遺児であった畠山義春を養子とすることで、能登畠山氏の当主となる資格を有したのである。


 このような上杉謙信の能登侵攻に対し、長続連を初めとする能登勢は徹底抗戦を決め、七尾城にて籠城の構えをみせた。

 七尾城は謙信の居城である春日山城にも劣らない堅城である。

 謙信は次々に支城を落として七尾城を孤立させたものの、これを落とせずに年を越える長期戦にもつれ込んでいた。


 ところが天正五年の三月に入り、相模の北条氏政が北関東に向けて侵攻を開始。

 この報を受けた謙信は、やむなく越後へと帰国。

 奪い取った支城に守備兵は残したものの、謙信帰国を知った畠山勢は攻勢に出て、これらを打ち破り、各地の城を奪還していく。


 ところが北条勢による出兵は比較的小規模なものに留まったこともあり、七月には再び能登に向けて謙信は出兵。

 これに驚いた長続連は、奪還した城を放棄しつつ、七尾城に全軍を集めて再び籠城戦を挑むことになる。

 更に領民まで半ば強引に招集をかけて七尾城に入れ、その軍勢は一万五千にまで膨れ上がっていた。


 これでもまだ危機感を拭いきれなかった続連は、援軍を求めて越前の朝倉へと子の長連龍を派遣。

 上杉謙信の侵攻により滅亡した、神保氏の神保長城や椎名氏の椎名康胤を保護していた朝倉氏は、これらに加えて能登畠山氏の援軍要請を受け、救援と越中回復を大義名分に越中侵攻を正式に決定するのだった。


 陣容は以下の通りである。



 先 陣(加賀衆):四千余騎 大将・堀江景実

               副将・杉浦玄任

               副将・鏑木頼信

               副将・岸田常徳

 第二陣(加賀衆):三千余騎 大将・姉小路頼綱

               副将・窪田経忠

副将・坪坂新五郎

 本 陣(越前衆):八千余騎 総大将・朝倉晴景

               副将・朝倉景胤

               副将・朝倉景忠

               副将・赤座直保

               副将・山崎長徳

               副将・山崎景成

 後 備(越前衆):四千余騎 大将・向久家

               副将・朝倉景道

               副将・向景友


 また守備勢として、


 北ノ庄留守勢:五千余騎 大将・朝倉景鏡

 敦賀方面守備:三千余騎 大将・朝倉景建

 大野方面守備:三千余騎 大将・大日方貞宗

 金沢留守勢:三千余騎  大将・堀江景忠


 動員数三万三千余騎。

 内、侵攻軍一万九千余騎。


 また能登へ侵攻した上杉勢は、総大将・上杉謙信を筆頭に、上杉景勝、上杉景虎、直江景綱、直江信綱、上条政繁、河田長親、吉江資堅、吉江宗信・吉江景資、水原親憲、斎藤朝信、本庄繁長、安田顕元ら諸将に率いられた軍勢約二万。


 七尾城包囲を再度開始した上杉勢は、朝倉勢約一万九千が越中国境を侵したことを知ると、にわかに緊張を強めたのだった。


     /色葉


 天正五年八月四日。


 金沢城へと入った越前衆約一万二千余騎であったが、先陣である加賀衆約八千余騎はすでに越中国境に至り、砺波山にて対陣に及んでいた。


「敵将は噂に名高い越後の鍾馗こと、斎藤朝信と聞き及んでおりますぞ」

「ほう。それはまた高く評価してもらったものだな?」


 先陣に混じっていたわたしへとそう報告したのは、かつて上杉勢と矛を交えたこともある杉浦玄任だ。

 斎藤朝信といえば、上杉家臣の中でも武勇の誉れ高い人物である。

 しかもそれだけでなく、内政にも秀でて民を慈しんだため、非常に慕われたという文武両道の武将らしい。


 ……というのはまあ、アカシアからの受け売りであるが、今回の上杉遠征軍の中でも要注意人物だと思っていた敵将を初手からぶつけてくるとは……謙信もさすがである。

 誰が出てくるにせよ、上杉勢を警戒していたわたしにしてみれば、本陣でのんびり進軍する気もなれなかったわけで、つまるところそれが先陣にわたしがいる理由でもあった。


「玄任、お前ならば斎藤に勝てるか?」

「さて、負けるつもりなど毛頭ござらんが、同数ならば良い勝負にはなるでしょうな」


 斎藤勢の手勢がどの程度かは未だ不明であるが、ここから見える陣の様子からだと、かなりの数であるようにも見える。


 対してこちらの先陣は約四千。

 すぐ背後に控えている三千の第二陣を加えれば七千。


 この兵数が、斎藤勢よりも多いか少ないかは分からないが、これを見極めることが恐らく重要になってくる。

 玄任が同数ならば、と言うのは、相手の兵数が読めないことを警戒してのことだろう。


 今回先陣の大将を任せた堀江景実は、父である景忠に負けずに知勇に優れてはいるものの、やや血気盛んなところもあり、そのため老練な名将である玄任を副将としてつけたのであるが、敵将があの斎藤朝信となると、まったくもって油断はできなかった。


「で、お前はどう見る?」

「そうですな……」


 現状を簡単に説明すれば、朝倉勢は砺波山で陣を構え、上杉勢はその麓で陣を張って待ち構えている、といった状況である。


「麓に張られた陣の様子から、万余の軍がいてもおかしくない規模です。今回侵攻してきた上杉勢は約二万とのことですから、半数以上をこちらに割いていたとしても不思議ではないでしょう。この砺波山を越えれば、後は平野が広がるのみ。平野で寡兵をもって大軍に対するのはいかにも愚行でありますから、ここは慎重になって本陣の到着を待つがよろしいかと思いますが」

「なるほど」


 確かに玄任の言う通りで、平野で大軍を相手にするのならば、こちらも同数の兵力が必要になってくる。

 基本的に兵力が多ければ多いほど有利なことは疑いようがなく、平野では奇策の類が使いにくいから、余計に数の差が顕著になってしまう。


 こちらはさらに本陣が後に控えているのだから、その到着を待つべきという玄任の意見は、まあ正しい。

 正しいが、それは相手が本当にこちらより数に勝っているのであれば、だ。


「却下だ」

「なっ……し、しかし」


 にべもなく言い捨てられて、玄任は困惑したようにわたしを見返してきた。


「お前の考えは正しい。が、最初の判断が間違っているから、全て狂ってくる。ここで呑気に待っていると、敵に先を越されてしまうぞ?」

「……むぅ。ご教授、願えますかな?」

「ん、まあそうだな」


 玄任とは二度、戦ったことがある。

 その二度とも、わたしが勝っている。

 だからこそ、玄任もわたしの言葉を頭から疑ったりはしないのだろう。


 玄任は決して凡将というわけではない。

 経験も多く老獪で、これまでに上杉勢や朝倉勢を相手に何度も戦って戦果を挙げたこともあるのだから。


「まず上杉勢だが、七尾城を包囲している最中に大軍をここに派遣できたとは思えない。七尾城に籠っているのは一万五千というし、下手に包囲を解けば付け込まれてしまうからな。第一城の包囲というものは、大軍をもってするものだろう」

「それは……そうですが。しかし実際に見える敵陣は、旗も多くかなりの規模に見えますぞ?」

「はったりだろうな」

「はったり……ですと?」

「そうだ」


 玄任の言うように、敵陣を見るだけならばその数はこちらを上回っているようにも思える。

 しかしどうにも腑に落ちないのだ。


「考えてもみろ。もし本当に敵の方が大軍ならば、慌ててあそこに陣を張る道理がない。もう少し平地に引き込んだ上で、退路を遮断し、包囲殲滅した方が確実だ。退路を遮断できずとも、背後が山であれば撤退の速度は鈍る。決戦で敗れて追撃されれば、こちらは壊滅だろう」


 むしろ兵を少なくみせて、誘き寄せた方が理があるというものだ。

 あれではこちらを警戒させるだけで、進軍を鈍らせる。

 本陣が到着すれば数の上ではこちらが有利になるはずだから、そんな時間を与えるのはおかしい。


 だからわたしは思ったのだ。

 これは逆なのだと。


「敵は小勢だ。こちらが山を下りて攻めれば支えきれない。だからこそ我らを山中に足止めさせて、足場の悪いこの状況を利用し、数の差を埋めようと考えているんだろう。……早ければ今夜にでも夜襲があるぞ?」


 もちろん、そう思わせることでこちらを引き寄せる――つまり裏の裏をかいている可能性もあるが、ここからは心理学の問題だ。


 裏の裏をかくという行為は、それをする本人もそれなりに知略に長けていて、尚且つ相手のこともそれなりに評価しているような状況下でするものである。

 凡将相手にそんなことをしても、意味が無いからだ。


 こちらの陣容がどの程度伝わっているかは不明であるが、先陣の大将が堀江景実であることは知られているはず。

 そして景実はさほど名を上げているわけでもない。


 敵の大将は斎藤朝信であるが、景実のことを評価しようにも実績が足りず、噂に頼るしかないわけだが、その噂だけで裏の裏をかくまでのことをするだろうか、と思うのだ。

 普通ならば、裏をかくだけで十分だと考えるはずである。


「なるほど……。では、如何なさると?」

「基本的には相手がして欲しくないと思っていることをすればいい」


 今回の場合でいえば、このまま攻め下ることである。


「攻めると仰せられるか。しかしそれでも、やはり我々の方が不利ではございませぬか? 峠道は狭く、一度に攻めかかれる人数には限りはありますかなら。それに対して敵は平地で待ち構え、半包囲することも可能ですから、まともに攻めても難しいかと」

「そうだな。麓を抑えられている時点で、そういうことになる。お互いに現状においては、攻める方が不利というわけだ」


 これを打開するためには、つまるところ奇襲によるしか無いのだ。


「わたしが敵なら、密かに一軍を率いて退路を断った上で、夜襲をかける。これが一番効果的だからな。だがそれをすれば、本軍の手勢が減ることになる」

「確かに正面の敵の数は減るでしょうが、挟撃は厄介ですぞ?」

「背後は無視する。挟撃される前に、前面の敵を突破してしまえばいい」


 敵の奇襲部隊は第二陣の姉小路勢に進軍させることで、対処させる。

 こちらの数の強みを活かさない手はないからだ。


「もちろん突破は容易でないだろうから、こちらも奇襲部隊を編成して山を下り、麓の敵陣の側面を突かせる。少しでも敵に混乱を作り出すことができれば、突破し易くなるからな」

「万全の策というわけですか。されど……奇襲部隊として山を下りるには、山道以外の道を見つけなければなりませぬぞ。闇雲に進むは危険ですし、最悪迷子ということにもなりかねませぬ」

「分かっている」


 当然といえば、当然の話である。

 道無き道を進んでの行軍は至難であり、無謀だ。

 何の準備も無く行えば、それは博打と変わらないだろう。


「道ならいくつか候補がある。好きなのをお前が選べ」

「なんと」


 玄任は驚くが、実は大したことでもなかった。

 加賀平定をした時から、越中や能登を併呑することは決めていたのである。

 となれば当然、攻めるべき土地について調べるのは当然だ。


 特にこの加賀と越中の国境である砺波山については、事前に入念に調べてあった。

 攻めるにしろ守るにしろ、要になるからである。


「景忠に命じて調べさせたからな。当然景実も心得ている。ついでにお前を連れてきたのは、以前に越中で上杉と戦った経験を買ってのことだからな?」


 知っている土地で戦うのと、知らない土地で戦うのとでは、天と地ほども状況が変わってくる。

 わたしは上杉勢を甘く見ていない。

 同数同士で戦えば、恐らく力負けすると考えている。

 となれば地の利を得た戦い方をすることで、少しでも実力差を覆そうとするとは至極当然のことだ。


「それは光栄……と思うべきですかな。されど……」

「なんだ。まだ何か不安でもあるのか?」

「いえ。ただ……先ほど姫は好きなのを選べとおっしゃったような気がしたのですが」


 気づいたか。


「お前が進む道だからな? お前が選べばいい」


 にやりと笑って頷いてやれば、またですか、と言わんばかりの顔になる玄任。


「姫はこの老骨に鞭打つのがお好きなようですな……」

「何を言っている。新参者に手柄を立てさせてやろうと言っているんだ。特にお前ら一向一揆の連中は、朝倉の長年の敵だったこともあるからな。ここらで活躍しておいても損はないぞ?」

「かもしれませぬが……やれやれ」


 そういうわけで、玄任は快く奇襲部隊を率いることを承知してくれたのだった。

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