第24話 下城戸の死闘(前編)
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二月に入り、一乗谷でも珍しく大雪となっていた。
一乗谷はその狭小な地形を活かし、南北で最も谷が狭くなる地点に土塁や石垣を設置して、上城戸と下城戸と称して事実上の城門を設置している。
ちなみに北ノ庄へと抜ける南側が下城戸であり、北側は上城戸と呼ばれていた。
その南側の門である下城戸は固く閉ざされており、ようやく辿り着いた少女を絶望させるには十分だったのである。
「そんな……せっかく、ここまで……」
門を前にして、倒れこむ。
ここまで夜な夜な走り通したせいもあって、すでに少女の身体はぼろぼろだった。
本来ならばもう一歩たりとも前に進めないほどに、疲労しきっていたのである。
季節が冬でなければ、とうに消滅してもおかしくないほどであった。
「さすがは雪女、といったところですか。追いつくのに少し苦労しましたよ」
聞きたくなかった声が、少女の耳朶に響く。
見返せば、息一つ乱した様子の無い、少女にとっては死神のような巫女装束の女が、そこにさも当たり前のように立っていたのである。
「一乗谷……ですか。さて不思議ですね」
越前国の一向一揆が駆逐され、朝倉氏が再興したことは女も知っていた。
しかし戦乱で荒廃し切った一乗谷は放棄され、その本拠が北ノ庄に移ったことも聞き及んでいる。
にも拘わらず真っ直ぐに少女が一乗谷を目指していたことに、やや疑問を覚えていたのだった。
「途中で殺さずにおいて正解でしたか。やはりここが――」
城戸の向こうにはまるでひとの気配というものが無い。しかしこの異様な雰囲気は何だというのか。
それを感じたことで、女は確信に至る。
「妖の巣窟、ですか。死者の都を選ぶとは、いかにもそれらしい」
「く……」
ここに至り、少女は自分がわざと泳がされていたことを自覚する。
そしてわざわざここまで道案内をしてしまったのだ。
何という失態なのだろうか。
「最後の問いですよ。ここにいるのは誰です? 答えれば、命は助けましょう……」
「ま、真柄様をどうしたの……!」
庇って自分を先に進ませた骸の武将を思い出す。
鳥越城に迷い込んだ時は、その骸の群れに心底恐怖したのだ。
人も怖いが亡者も怖い。
自身も雪女という妖ではあったものの、怖いものは怖いのだ。
しかしそれらを指揮していた武将――真柄隆基は、思いの外優しく少女を受け入れ、進むべき道を教えてくれた。
ところがいざ出立という時になって、城が強襲を受けたのである。
相手はたった一人の人間であり、女だった。
誰一人敵わず、隆基ですら苦戦し、その身を張ってこの越前に逃がしてくれたのである。
そして託されていた。
このことを伝えて欲しい、と。
「あの亡者のことですが、もちろん供養などしていませんよ。バラバラになって今頃雪の下でしょう」
「この人でなし……っ!」
「あら、妖であるあなたがそれを言うのですか。非常に、不快ですね」
どす、と。
無造作に、その忍び刀は少女の胸に突き刺さっていた。
「あ、ああああああっ!?」
「痛いでしょう? ひとの血など流れていないあなたのような化け物にも、十分に効果のある刀ですから。わたしも今のあなたの言葉でとても傷つきました。きっと今のあなたよりも――痛かったんですよ!」
そのまま力任せに刃を振り抜けば、声にならない悲鳴を上げて、少女は雪の上に倒れ伏した。
「もう死にましたか? まだ何も答えてくれていないのですが」
雪の上で身体を丸め、もはや動くこともできない少女を蹴り飛ばす。
「もう口も利けませんか。まあいいでしょう。ここまで案内してくれたのです。あとは自分の目で確かめれば――」
そこで女は大きく身体を反らした。
寸でのところで、上空から投げつけられた長大なものを紙一重でかわす。
それは大太刀だった。
「……? またあなたですか」
やや怪訝そうにしながらも、女は石垣の上から飛び降りてきた者を見据えつつ、いったん後ろに退いて間合いをとった。
「何者か知らんが、この一乗谷の目の前で無用の殺生とは、見過ごせぬぞ」
地面に突き刺さった大太刀を手にしつつ、真柄直隆はその巫女装束の女へと鋭く告げた。
「違う……そうですか。別の個体というわけですね。そのような姿では区別もつかなくて当然でしょうが」
直隆の姿に驚いた様子もなく、女は小さく息を吐き出す。まるで気を落ち着かすかのように
「やはり、ここがそうですか。なるほど……」
得心いったという表情が一変し、憎悪に満ちたものにとって代わられる。
驚いたのは直隆だった。
「貴様、その鬼気は……いや――」
驚愕を口にしたその瞬間、女の姿が目前に迫っていた。
振り下ろされる刃。
辛うじてそれを受け止めるも、あまりに重く、全身の骨が軋みだす。
「ぬ――う……!?」
「ほう、受け止めましたか。あの城にいた亡者よりはいくらかはできるようですね」
それはまるで、直隆の主と手合わせした時と変わらぬほどの、圧力だった。
「ですが、そこまででしょう?」
そっと、左手が直隆の鎧に添えられる。
そこには三枚の符。
火符だった。
「ぐっ……ぬぉおおおっ!」
一瞬にして炎に包まれるも、その炎は時も経たずに散り消えていく。
女の予想通りに。
「あなたもあの亡者と同じ主に仕えるもののようですね。この程度の呪符ではさほど効果も無い、とは。一体何者なのです?」
「たわけがっ!」
大太刀が振り下ろされる。
しかし女にはかすりもせず、地面を深く抉ったに留めた。
「答えたくありませんか。それならば、拷問ということになりますね」
事も無げに言い放ち、女の姿が掻き消える。
直隆が気づいた時にはすでに、その背後にあった。
「では、まず腕から」
背をとった女はやはり無造作に直隆の腕に手を伸ばすと、一気に力を込める。
耳障りな音が響き、その腕はあっさりと握り砕かれ、そのまま引き千切られてしまう。
恐ろしい怪力だった。
「ぬ……ぐぅ……!」
直隆には痛覚など存在していないため、物理的な損壊は行動に支障をきたすとはいえ、苦痛にはならない。
先ほどの符のように、魂に直接痛撃を与える類ものでなければ、例え腕をもがれようと痛痒は感じないはずだった。
しかし痛みがある。
それは女の怪力が、ただの筋力によらないことを示していた。
「神通力の類か」
眼前の女は巫女の姿をしている。
巫女の中には神下ろしといった稀有な力を持つ者もいるという。
つまり、神の力を一時的にその身に宿すことができるのだ。
「まあそのようなものですね。それで次はどこが良いですか? 足? それとももう一本の腕でしょうか。ああ……頭をもいで、ゆっくりと尋ねるのもいいかもしれませんね」
「できると――思うのか!」
大太刀を振り上げ、その重量を感じさせない速度で振り下ろす。
「できますよ?」
それはあまりにも一方的な展開だった。
骸の兵を束ね指揮する直隆が、見た目は非力な人間の女に一方的に蹂躙される光景。
城門となっている城戸の周辺には、騒ぎを聞きつけた骸兵が複数集まってきていたものの、まったく近寄れないでいる。
直隆もまた、骸兵を使って女を牽制することすらしようとはしなかった。
無意味だと悟っていたからである。
直隆はその身体を少しずつ削られ、とうとう足を砕かれてその場に崩れ落ちた。
「そろそろ飽きたのですが……話す気はありませんか?」
「笑止!」
「亡者でありながらそれだけ自我があるというのも驚きですが、その上でこの期に及んでまだ忠誠を尽くすなど、少し不快ですよ。亡者の分際でひとの振りなど見るに堪えません」
「……っ!」
直隆は反論しようとしたが、できなかった。
口の中に忍刀を無理矢理突き込まれたからである。
「が……は……っ!」
「話す気が無いのなら口などいらないでしょう。このまま砕いて――」
無表情に告げる女の顔が、不意に僅かに変化した。
何かに気づいたように顔を上げると、ちょうど城戸の門がゆっくりと開いていく。
開いた門の先から歩み出てきた狐耳の少女が、眼前に光景に目を細める。
「なんだ、これは?」
怒気の滲みだした声に、周囲にいた骸達が怯えたように後退った。
一乗谷にあったという城戸は、東西の山が狭まった谷の入り口に設けられていました。現在上城戸の方は土塁を残すのみとなっていますが、下城戸の方は土塁や石垣が残っており、中には40トンを超す巨石もあって、なかなか見応えがあります。
これらがある一乗谷朝倉氏遺跡は戦国時代の遺跡を今に遺しており、一見の価値ありです。