第247話 不吉な望み
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呑気に構えている色葉はさて置いて、越前国北ノ庄にはぞくぞくと各国の大名や有力家臣が集まりつつあった。
まずは濃尾を支配する戦国大名・織田信忠。
信忠は弟の織田信雄や、重臣の柴田勝家、最側近の斎藤利治、その他の諸将を従えて、他の諸大名に先駆けて北ノ庄へと入っていた。
地理的にもっとも朝倉領に近かったこともあったが、かつては宿敵であった織田家の主はこうもはばかりなく朝倉家に直接やってきたことに、それを迎える朝倉家としてもやや緊張があったといえる。
当主の朝倉晴景はこれを丁重にもてなし、この接待役に選ばれたのは朝倉家において家臣筆頭となっていた、姉小路頼綱であった。
これはこれまで家臣筆頭であった堀江景忠が、先だって老齢により死去したことによる。
そのため頼綱が繰り上がって筆頭となり、信忠の接待役を仰せつかったというわけであった。
また頼綱は織田信長とは相婿の関係にあったことで織田家との関係が深く、ちょうど良い人選でもあったといえる。
「何か至らぬ点がございましたら、何でも申し付けて下され」
「お気になさらず。私はこの北ノ庄に参るは初めてであるが、実に素晴らしい。正直感服いたしておる」
始終腰の低い頼綱に、気を遣ってくれるなと信忠は笑顔をみせてこの城下を褒めてみせた。
実際、信忠は北ノ庄の発展ぶりに驚かされたものである。
特に北ノ庄城の壮麗さは、目を見張るしかない。
かの安土城を見知っている信忠ですらそう思うのだから、他の者が見れば尚更であろう。
「ははは。そうおっしゃっていただけるのは光栄です。姫様がとことん見栄を張ってこしらえたものですからな」
「色葉殿が」
「はい。ずいぶん銭も使ったと聞いております。そのくせ姫様はこちらに住まず、一乗谷におられるというのですから、まこと変わったお方ですよ」
ここで色葉の名前が出たので、信忠はさりげなく質問を滑り込ませる。
「その、色葉殿は一乗谷に?」
「いえ。すでにこちらにお越しいただいております。――ああ、そうであった。その姫様より言付けがありまして」
「それは如何なものかな」
「久しぶりに姉弟水入らずでお話でもされては如何、と」
そう言う頼綱に案内された城下の屋敷には、先客がいた。
信忠はやや驚きながらも、出迎えてくれたその者の名を口にする。
「姉上? こちらにお越しでしたか」
「これは信忠様。よくおいでくださいました。さあ中へ」
満面の笑顔で誘ったのは、信忠の姉である鈴鹿である。
「では、これにて」
姉弟の対面を確認した頼綱は、そそくさとその場を辞した。
鈴鹿は斎藤道三の娘である帰蝶の子であり、同じく道三の娘を妻に迎えていた頼綱からすれば、彼女は姪に当たる。
そういう事情もあって、色葉は面倒な鈴鹿を頼綱に任せていたという経緯があった。
色葉は鈴鹿を一乗谷に置いて行こうとしたのだが駄々をこねられたので、やむを得ず頼綱に丸投げしたのである。
「姉上、お久しぶりにございます」
「そのように畏まらないで下さいな。今や立派な織田家のご当主でしょう?」
「はあ……」
信忠にしても、この鈴鹿という姉はやはり得意な相手ではなかった。
しかし信忠が信長と対立した際に、真っ先に信忠の行動を黙認してくれた存在でもある。
さらにはこうやって、朝倉家への人質となることも良しとしてくれている。
如何に当主となったとはいえ、信忠としてはやはり、頭の上がらない相手だったのだ。
「ところで信忠様?」
「はい」
「此度は色葉様に臣従するために来られたのですか?」
歯に衣着せぬとはこのことを言うのだろう。
信忠はやや呆気に取られて姉の顔を見たが、単刀直入は如何にもこの姉らしく、苦笑して首を横に振ってみせた。
「未だその時にあらず、でしょう」
「されど当主自らがこうして北ノ庄まで参ったのです。となれば、世間はそう受け取るのではなくて?」
「かも、しれませぬな」
信忠が自ら他家の招集に応じ、挨拶するとなれば、周囲の者どもはそう勘繰り、さらには侮ることだろう。
「が、それでも私は朝倉家と事を構えるつもりはありませぬ。朝倉晴景殿は実に誠実なお方ゆえ、我が織田家を無下に扱うこともないでしょう。これにて天下泰平の世が訪れるやもしれぬのであれば、それもまた一興かと」
「……泰平の世、ですか」
鈴鹿はいつも手にしている扇を開き、口元を隠すとやや目を伏せてみせた。
どこか物憂げにみえるその表情は、身内である信忠であるからこそ分かったが、どこか落胆している様子のようでもある。
「姉上?」
「いえ、よろしいのです。ですが、このままではもう戦は起きませぬわね……?」
何気ない問いかけに、信忠はああ、と思う。
昔からそうであったが、この姉は乱を望む節がある。
信長も時折辟易していたことを、この時信忠は思い出していた。
そしてその為には、あれほど敬愛しているように見えた信長ですら、あのような最期を遂げることを良しとした感もある。
もちろん、鈴鹿が何かを仕掛けたわけではない。
しかしその力を持ってすれば防げたかもしれない悲劇を、この姉は防がなかった。
むしろ見てみたいと思ったはずだ。
そういう、姉なのだ。
やはりその性は鬼なのだろう。
「そうとも思えませぬ」
「そうなのですか?」
「はい。はっきりとした情報ではありませぬが、此度の招集、応じなかった大名家もあるようです」
これは初めからある程度予想されていたことではあったが、案の定、毛利家が応じず、参集を無視したらしい。
「あらあら。それは無礼ですわね。色葉様ならば、そのような輩を生かしておかぬでしょう。……あの方の苛烈な様は、見ていてとてもうっとりするのです」
鈴鹿の言うように、ここで招集に応じなかった大名を滅ぼすべく色葉が軍勢を動かす可能性は、確かにある。
あるが、信忠は案外低いのではないかとも思っていた。
それは織田家の重臣である柴田勝家が、信長が死に信忠に対して不信を抱いた際に、朝倉晴景がわざわざ説得に向かった話からも、何となく察することができていたからである。
これは晴景が勝家に語ったことであるが、色葉は遠征と連戦により疲労し、周囲はその身を戦場に置くことを敬遠している。
また病を得て一乗谷にて臥せっているという噂もあった。
となれば、即座に何かしらの軍事行動を起こすことは低いかもしれない、と考えたのである。
もちろん、どうなるかは分からない。
姉の言うように、色葉の性格は苛烈だ。
敵は容赦しない。
信忠自身、その所業に畏れてもいる。
だからこそ、朝倉家との間で同盟を得たのだから。
「まあ、こればかりはどうなるか、何とも言えませぬな」
「……そう、ですか。では、信忠様が率先してその大名の征伐を提案されてはどうです? きっと愉しいことになりますわよ?」
ころころと笑いながら、恐ろしきことを平然と口にする。
まるで悪意の無い様子で、悪意を振りまく。
信忠は冷や汗を背に覚えつつ、どうにか平静を装って答えたのだった。
「ともあれ、見守るしかありませんな」
「……まあ、信忠様の望むままに。そうそう、話は変わりますが、明智様とご同行されたと聞いていますが」
不意に話題を変えられて面食らったものの、不穏な話は正直遠慮したかったので、信忠もすぐに頷いてみせる。
「明智殿も色葉殿に呼ばれたようで、坂本より北ノ庄への道中の敦賀にて合流し、ここまで案内していただきました」
「だそうですわね。殿のお最期などはお聞きになりましたか?」
父である信長を討った信忠であるが、その信長に最後まで付き従ったのが明智光秀である。
光秀は岐阜城落城の際に信長の首級と共に脱出し、朝倉家へと降った。
その光秀の朝倉家への転仕は信忠も認めたことにより、今は名実ともに朝倉家臣となっている。
とはいえ、信長の死を思えばなかなかに因縁深い相手といえるだろう。
「いえ……特には」
「それは残念ですわ。……そう、信忠様? 一つお願いができました」
「……何でしょう、姉上?」
「姉小路様にお願いして、明智様にお会いできるように取り計らっていただけませんか? 久しぶりに殿のことで語り合いたいのです」
ともすれば。
それは不吉な望みだったのかもしれない。





