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第235話 甲信平定


     /


 小田原の変の勃発後、北条家は一気に窮地に陥った。

 まず徳川家康は、自らの拠点であった武蔵国江戸から相模国小田原にかけてを速やかに平定し、これを手中に収めた。


 時を同じくして駿河の穴山梅雪が家康に呼応。

 伊豆韮山城を守る北条氏規は善戦したものの、ついには梅雪の説得に応じて開城。

 船にて関東方面に脱出した。


 一方、甲斐においては北条氏直率いる本隊が、八王子城を目指して撤退を開始。

 その殿を務めた大道寺政繁と色葉との間で甲府合戦が勃発し、朝倉方の勝利とはなったものの、北条本隊は郡内方面に脱出。


 これを追ったのが武藤昌幸で、色葉の策により岩殿にて足止めされていた北条本隊に対し、追撃戦を敢行。

 これに痛打を与えるのに成功した。

 しかし氏直は死地からの脱出に辛うじて成功し、街道をひた走ることになる。


 一方、色葉の命により小諸城にて信濃の国衆らを搔き集めた堀江景実は、真田昌輝らと共に一万五千の兵を率いて碓氷峠を越え、再び関東に進出。

 これに内藤昌月ら上野の諸将と上杉勢が呼応し、北条氏邦の拠る鉢形城を包囲した。


 景実はこれを横目に南下して各支城を強行し、北条氏照討死後、城主不在となっていた八王子城の攻略に取り掛かったのである。

 この八王子城には城代である横地吉信の他、狩野一庵や近藤綱秀が三千の兵と共に立て籠もって徹底抗戦に及んだ。

 これは激戦となり、城方は劣勢ながらもよく防いだといえる。


 しかし藤田信吉より派遣された家臣・平井無心が八王子城について詳しく、抜け道を知った景実は自ら別動隊を指揮し、搦手より奇襲を敢行。

 これが成功し、八王子城は一両日で陥落。

 氏照の正室であった比左なども、自害して果てたという。


 景実が八王子城攻略を急いだのには理由があった。

 甲府より撤退中の北条本隊を迎え撃つためである。


 結果的にこれは間に合い、小仏峠にて北条氏直本隊を捕捉。

 これを迎え撃ち、全力で追撃に及んでいた武藤昌幸本隊との間で挟撃された北条本隊は、奮戦及ばずついに壊滅した。

 この小仏峠の戦いにおいて、氏直は無念の討死を遂げることになる。


 北条氏直の戦死は、北条方に決定的な動揺を与えた。

 主力の全滅と当主の死に組織だった抵抗ができなくなった北条家は、徳川家康や上杉景勝、その他北関東の佐竹や宇都宮らによって、各個撃破されていくことになるが、それにはしばらく時がかかることになる。

 特に北条氏規を中心とした北条家の残党勢力は未だ最低限の力は保持しており、その後抵抗活動が続いたからであった。


 ともあれ甲斐国より北条勢を駆逐することに成功した色葉は、おおよその体勢は決したと見て新府に兵を引き揚げた。

 朝倉家は名実共に、武田家の遺領である信濃と甲斐を手中に収めたのである。


     ◇


 一方、美濃においても織田信長に最期の時が迫っていた。


 難攻不落を誇る岐阜城ではあったものの、攻め手の織田信忠はこれを熟知しており、兵数でも劣る信長方は当然のごとく劣勢を強いられ、それでも一ヶ月以上の包囲に耐えたことは称賛されるべきことであったといえるだろう。


 これには信忠自身、最後の最後まで父・信長への降伏を促していたためでもあったのだが、ついにお互いに覚悟すべき日が近づいていたのである。


「そうか。北条は敗れたか」


 陣中にあってその報告を知った信忠は、重い吐息を吐き出した。

 報告によれば相模北条家の本拠地で変事が起こり、北条氏政が徳川家康によって討ち取られたのが三月十日のこと。


 北条氏直はただちに撤退に及んだものの、あの色葉がそれを許すはずもなく、北条本隊は撤退途中の小仏峠で補足されて挟撃に遭い、全滅。

 氏直は討死したという。


 そのあまりの手際の良さから察するに、事前に変事を知り得ていたとしか思えない。

 恐らく徳川家康を懐柔し、事を起こさせ、一気に北条を滅ぼしにかかったのだろう。


 もちろん証拠などは無く、信忠の憶測に過ぎなかったが……。


「やはり、恐ろしき姫よ」


 色葉の矛先が北条家に向いていたから良かったようなものの、そうでなければこの織田家とてどうなっていたか知れたものではない。

 まともに戦っても勝てず、さりとてそうでなくてもいつの間にやら家中を切り崩される。

 やはり自分の決断は間違いではなかったと、信忠は思い直していた。


「しかし信忠様。北条が半ば滅びた以上、朝倉殿はこちらに視線を向けるでしょう。ここで手間取っていては、後々足元を見られることになりますぞ」


 斎藤利治の言に、もっともであると信忠は頷いた。

 そうでなくてもこの岐阜城包囲の陣の一角に、援軍と称して朝倉勢が参加しているのである。


 将は朝倉家臣・島左近。

 その左近が仕える大日方貞宗もまた、色葉から離れて新府から岐阜に至って陣中にある。


 これではこちらの内情は筒抜けではあるが、さりとて追い返すわけにもいかない。

 援軍といいながら、こちらの情勢をつぶさに色葉へと知らせているのだろう。


 また、一度は制圧した南信濃については朝倉晴景がこれを接収し、木曾にてやや面倒なことになりつつもあった。

 木曾義昌は織田家に降った身ではあるが、晴景は義昌の拠る木曾の引き渡しを求め、しかし義昌はこれを拒否し、一触即発の状態になっているという。


 岐阜に来た大日方貞宗の言によれば、色葉は武田を裏切った義昌を許す気は毛頭無く、木曾より撤収するならば見逃すが、そうでなければ叩き潰すと明言したからである。

 信忠としても、織田を頼って一度は受け入れた義昌を見捨てれば、織田家の権威が失墜することになって容易にできることではない。


 かといって朝倉家の要求も無視できない。

 した瞬間、これ幸いと木曾を踏み潰し、そのまま美濃へとなだれ込んでくることだろう。


 しかし未だことは成っておらず、それを理由に信忠は晴景に使者を送り、木曾の件の保留を求め、晴景もこれを了承してくれた。

 が、北条の件が片付いた以上、色葉が美濃方面に目を向けるようになるのは自然なことで、そうなってはどう情勢が搔き乱されるか分かったものではない。


 利治の言うように、ここは一刻も早く乱を収束させ、改めて朝倉家との交渉に臨まなければならないのだ。


「……わかっておる。今夜、総攻撃を仕掛ける」

「準備は整っておりまする」

「そうか」


 信忠は静かに、山頂に見える岐阜城天守を見上げたのだった。

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