第22話 税制改革
/色葉
天正二年十一月。
越前国を平定し終えたわたしは、荒廃した越前復興のために、まずは拠点となる城の普請を行わせていた。
この国の本拠であり、養父でもある朝倉景鏡に与えた北ノ庄城しかり、堀江景忠に与えた丸岡城しかり。
一乗谷でも着々とわたしの館が作られており、雪が降るまでには何としても完成させると景鏡は言っていた。
後回しでいいと言ったのに、主があばら家では駄目だと却下されたのだ。
それはわたしも同感ではある。
とはいえ建前上、再興した朝倉氏の当主は景鏡である以上、その居城に相応しい巨城を北ノ庄に作らせているのだからそれでいいと思ったのだが……駄目らしい。
どうせこの一乗谷は今後、かつてのような繁栄に満ちることはない。
わたしが作った骸兵の集積地――早い話が墓所のような役割を担うことになり、そんなところで胡坐をかいているわたしはさしずめ墓守といったところだろうか。
まあ言い得て妙だろう。
とにかく一乗谷は人が寄り付く場所ではなくなる。骸の集団など人は恐怖するだけだろうし、目立たない方がお互いのため、というわけだ。
ただしその兵力は脅威であり、越前国の中心に一乗谷が位置する以上、変事の際は迅速にその骸兵団を動かすことが容易だ。
さらにいえば、家臣への牽制にもなる。
その変事というのが、外的要因によるものだけとは限らないからだ。
特に謀反気のある堀江景忠などは要注意であるが、あれも四分一が蛇の妖の血が混じっているらしく、妖であるわたしに仕えることには抵抗も無く、今のところ素直に従っている。
今までは問答無用で絶対的に従ってくれる直隆らや、あとは恐怖で支配している貞宗や氏理などしか家臣がいなかったため、正直どうやって忠誠を得られるのかはよく分からないというのが本音である。
『主様のカリスマがあれば、自然に人は足元にひれ伏します』
などと呑気にアカシアは言うが、そんな目に見えないものに頼る気にはなれなかった。
確かにわたしの力は悪魔じみており、数百程度の雑兵が相手ならば、苦も無く皆殺しにできる自信がある。
そういった超人的な力をカリスマというのならばそうかもしれないが、しかしそれでは恐怖で縛っているのと変わらないのでは、とも思うのだ。
状況に応じてはそれでもいいとはいえ、付き従う者が増えてくるとそうもいかなくなる。
ともあれどうしていいかは分からないので、これまで通り飴と鞭を使い分けるのが一番だろう。
これまでの越前平定戦では一揆勢に対し、かなり苛烈な対応をもって臨んだ。
というわけで今は飴を与える番なのである。
「今年は色葉の申す通り免除で良いとしても、来年以降をどうするか、だな」
建築中の館のすぐ近くに仮設で建てられた仮住まいへと足を運んでいた景鏡が、上座に座るわたしにへとそう言う。
景鏡は各地の普請の視察をする一方で、同時に得た情報なども逐一報告してくれている。
今年は戦乱も続いたこともあり、越前を平定したわたしは一年間の租税免除を実施させていた。
景鏡曰く一定の効果はあったようで、現在民の動向は落ち着いているという。
ついでに普請に銭をばら撒いてもいるので、労働力の集まる場所には自然、それに伴った経済活動も活発になり、商人の出入りもこれまでに比べて多くなっているとのこと。
また戦乱を避けて越前国を離れていた民も、徐々に戻ってきているらしい。
いわゆる公共事業による景気対策である。
戦乱で荒廃したこともあり、市場経済だけに任せていては時間もかかるし整備も行き届かない。
これを積極的に実施することで、直接的にもしくは間接的に経済波及効果が期待でき、実際にそれはうまくいっているようだった。
これが飴である。
「もちろんとる。ただその前に、税制を一新するつもりだ」
「というと?」
「春までに検地を実施する。国内全てだ。まずはそれを基本とする」
「検地、か」
旧朝倉氏が滅び、その後の一向一揆などの戦乱により、課税の基礎資料となる地勢について、もう一度新たに作り直す必要があると考えていた。
実際史実においては、各戦国大名が行っているし、有名なところでは天正の石直しといわれた太閤検地が有名である。
「家臣どもは新たな配置にしたばかりだからな。今なら既得権益もくそも無い。やるなら今だろう」
「確かにな」
景鏡は頷く。
実は既得権益云々で散々不満をたれてきた所もあった。
平泉寺である。
今回の免税や普請、その他の事業のために、平泉寺にこれまでため込んでいたものを吐き出させたからだ。
この時代、税というのは何も、越前を支配している朝倉だけが得ているものではない。
寺社勢力や国人領主など、二重三重に課税されていることなど当たり前であり、各地で勝手気ままに税を取り立てていたのである。これでは民はたまったものではない。
今回の免税は当然、そういったところも等しく税を取り立てることを禁止した。
当然反発が起き、その筆頭が平泉寺だったわけである。
あの強欲坊主集団は呆れるくらいに欲に塗れていたが、それでも命の代わりに払うのであれば安いものだったらしい。
わたしが少し――ほんの少し本気で怒ってみせたら、たちまち大人しくなって、快く従ってくれたのであるが、まあ何かしら見返りも与えないと将来の禍根になるかもしれない。
それ以上に連中の意識改革こそ、早急の課題ではあるにせよ。
まあ平泉寺という例外はともかくとして、一度朝倉氏が滅んだことは、再支配することになったわたしにとって、抵抗勢力が無くやり易いのは事実だった。
反発していた諸勢力も往時の勢いは無く、わたしに従わざるを得なかった。
もちろん例外もあったが、そんな連中にわたしが容赦するはずもない。
その末路は推して知るべしだろう。
「現在は貫高制と石高制が混じっている状態だろう? これを基本、貫高制に統一する」
わたしがアカシアを通じて得た知識や、実際にこの世界で見知った事実であるが、この戦国時代の税制は、貫高制から石高制に移行するちょうど過渡期である。
貫高制というのは土地の収穫高を貫という単位を用いて表したもので、室町時代などはこれが一般的だったらしい。ちなみに一貫が千文に相当する。
一方の石高制というのは、玄米収穫量である石高を基準とした税制だ。
史実では戦国時代が終わり、江戸時代に移行するとこの石高制が一般的となった。
しかし現代の税制は物納ではなく金銭で納めるものであるから、貫高制に近いといえる。
「それに異論は無いが、困る民も出てくるのではないか? 最近では撰銭も横行しておるしな」
「それは分かっている」
景鏡の懸念するところは実は承知していた。
この時代、貫高制から石高制に移行する最大の原因は、貨幣不足である。
実は日ノ本ではしばらくの間、貨幣を自前で製造しておらず、もっぱら外国からの輸入に頼っていたらしい。
これがいわゆる永楽通宝である。
ところが戦国時代になって貨幣の需要が高まると、当然流通量が不足するようにもなってくる。
またそのために鐚銭と呼ばれる粗悪な私鋳銭も横行し、そういった悪銭は撰銭されて市場で受け取りを拒否されるなど、経済の混乱を助長していったとのこと。
そういった事情の中、銀生産量が増えていたことで銀や米が価値の基準となりつつあったことで、太閤検地を機に世の中は石高制に移行することになるのである。
景鏡としては、鐚銭で税を収められるくらいなら、米での代納の方がいいと言いたいのだろう。
「悪貨は良貨を駆逐する、だったか? 放っておけばそうなるだろう」
誰だって同じ額面の銭があれば、良貨の方を手元に残して悪貨の方で支払いをしようとするものだ。ちょっと例えとしては間違っているかもしれないが、現代でピン札を手元に残して旧券を優先的に使用するようなものだろうか。
この場合はどちらにせよ額面通りの価値はあるが、今の時代では同じ一文でも良貨と悪貨とでは価値に差が出てしまい、これを撰銭といった。
この撰銭を禁止するのがいわゆる撰銭令である。
撰銭が常態化してしまうと、悪銭を多数抱えた権力者の持つ金銭価値が低下してしまい、それを阻止する意味でも出されたのだ。
「わたしは逆をしたいと思っている。良貨をもって悪貨を駆逐する……いや、違うな。悪貨を従えるというべきか」
「どういうことか?」
「撰銭をされて困るのは、悪貨を持っている者だろう。逆に良貨しか持っていなければ、撰銭してもらった方が都合がいいことになる」
「それはそうだが……」
「そのためには新たな貨幣の鋳造が必要になるな」
結論はそれだった。
貨幣自体があやふやで価値が不安定であると、貫高制自体が成り立たなくなる。
そのためには新たな良貨を自給できるようになることが、まず第一だろう。
「それに貨幣を作ることができれば、自ら銭を作ることができるに等しくなるだろう? 税だけに頼らずにすむ」
「ふむ……」
わたしの意見に、景鏡は考え込んだ。
「つまり新たな貨幣を鋳造し、とりあえずはこの越前で流通させる。税はその新たな貨幣をもって納めさせる。それがまあざっくりとだが、新たな税制だ」
これは他にも利点がある。
良貨の価値が上がっても額面を変えるつもりはないので、相対的に旧貨の価値が下がることになる。つまり他国で何かを買い付ける際、安く済むというわけだ。
欠点はその逆で、越前国内の品物の価格が上昇することだろうか。
「なるほど。だいたいは理解した。されど簡単ではなかろう。まずその新たな貨幣であるが、技術が無ければそこらの私鋳銭と変わらぬものしかできぬぞ? あと材料の問題もある」
「わかっている。だから鉱山開発に力を入れるつもりだ。……父上が治めていた大野郡には多数の鉱山があるはずだが?」
越前国にある金属の鉱山は、主に大野郡の山沿いに集中している。
採掘できるものは銀や銅、亜鉛や鉛だ。
「あるにはあるが、あれはなかなかに過酷でな。一朝一夕にはいかなかろう」
「それも分かっている。労働力に関しては骸どもに任す。戦場で槍を振り回すだけが能でもないからな」
そう言えば、虚を突かれたように景鏡はぽかんとなった。
想像もしていなかったことらしい。
「な、なるほど。あの者どもを、か」
骸どもを過酷な労働に使用することは、前々から考えていたことであった。
もっとも過酷な労働ともいえなくない戦場に出ることに比べれば、大したことではないのだろうか。
それにひとと違って文句も言わず、疲れも知らない。
それこそ四六時中働かせることも可能なのだ。
これまでの越前平定で多くの死者が出たこともあって、わたしが抱える骸どもはすでに数千にまで増えていたのである。
これを使わないのは勿体ないだろう。
「鉱山採掘も、貨幣の鋳造も骸どもにさせる。単純作業ならば最強だからな」
「しかし……技術の方はどうする? 骸にそのようなものがあるとは思えないが」
確かにその通りで、誰か教える者が必要となってくるだろう。
「鉱山採掘に関する技術は、白川郷衆にさせる。かなりの腕前らしいぞ?」
「内ヶ島殿の、か。なるほど」
内ヶ島氏理に任せてある白川郷には金山があり、もともとあの地では稲作などは不向きだったこともあり、職人の技術が大いに発達したという。
当然あそこから採掘させる金も、今回の貨幣鋳造には大いに役立ってもらうつもりだ。
「貨幣鋳造に関しては、これから技術開発、ということになるだろう。とはいえ当てはある」
わたしがそう言うのは、現代の貨幣を知っているからである。
つまり参考となる技術が開発するまでもなく、すでに知識としてあるのだ。
もちろんわたしにそんなものは無いが、アカシアの知識の中にはあった。これを活かさない手はない。
とはいえ現代の貨幣は手作りではなく機械で製造されており、これを真似ることはほぼ無理である。
そこで参考にしたのが外国の硬貨だ。
永楽通宝などといった銅銭は鋳造で作られているが、当時の外国の金貨や銀貨はコインハンマーなるもので打製鍛造により作られている。
鋳造に比べて量産性には劣るものの、極印が鮮明で価値も高い。
もう少し時代が進み、十六世紀になってスクリュープレス機による製造が始まると、現代の硬貨と比べても遜色の無い出来になるといえる。
日ノ本の技術力は種子島と呼ばれる鉄砲の普及をみても分かるように、かなりのものがある。必要な知識、設計図さえあれば再現は可能だとわたしは踏んでいた。
そして機械による製造が可能となれば、いわゆる技術的な腕はさほど必要なくなり、骸どもでも容易に作業ができるようになる。
生産性の悪さはスクリュープレス機を大量に備えて骸どもが昼夜問わずに働けば、解決できる問題だ。
「ものは銭であるし、造幣所はこの一乗谷に設置する。まあ働くのも骸どもだからな。ある意味でちょうどいい。金に目がくらむことも無いだろう。一応名の知れた鍛冶屋を呼んで、色々と試作は作らせている。うまくいくかどうかはわからないが、とにかく父上は新たな税制について、奉行どもと意見をまとめてくれ」
「承知した。……しかし、何だな?」
「うん? どうした?」
自分の尻尾を掴んで口元に当て、他に何か相談すべきことはあったかと考え込んでいたわたしへと、景鏡はたまにみせる面白そうな顔をしてみせた。
「いや……。やはり不思議に思ってな。そなたは確かに人の世に詳しくはないようだが、しかし一方で妙にこなれているというか、何というか……」
人の世って。
まあこの世界について詳しくないのは当然である。
でも一方で現代での知識が役立つこともあって、景鏡はそんなちぐはぐな感想を抱いたのだろう。
「さらに言えば妖らしくない。人の世を知らぬはずなのに、慣れていると言うべきか」
「別にわたしは自分を妖とは思っていないぞ? 尻尾が勝手に生えている程度だろうに」
「その尻尾、皆が触りたがっておったぞ」
多少なりとも可笑しそうに、景鏡は言う。
「何だ。触りたいのか?」
ひょこり、と尻尾を動かして聞いてみる。
「いや、いや」
苦笑する景鏡。
「我が息子どもに独占させておくが一番であろうよ。民はそなたに興味はあるが、怖くもあるらしいからな」
そんなことを言いながら、景鏡はわたしの前を辞して、次なる視察地であるかつての居城、亥山城へと向かっていった。
例の鉱山関係についての資料も、後で持ってきてくれるとのことである。
なかなかに働く男である。
というか、かつて朝倉氏の行政を支えた一乗谷奉行人、と呼ばれる重臣たちが、実はことごとく討死していたことも問題だった。
例えは家臣筆頭の地位にあった河合吉統などは、内政だけでなく軍を率いて出陣するなど多岐に渡って活躍していたようだが、天正元年の刀根坂の戦いで義景を守り、討死している。
他にも軍事だけでなく外交にも力を発揮していた山崎吉家といった重臣も、やはり刀根坂の戦いで命を落としていた。
朝倉氏の命運は、まさにあの戦いで尽きたというべきだったのだろう。
そんなわけで越前全体の治世を担う家臣が、わたしには不足していた。
今は景鏡が奔走してくれているが、いずれ立ち行かなくなるのは明白である。
とりあえず新たな奉行衆をみつくろって景鏡の下に置いてあるものの、まだまだ経験不足な面が否めていない。
しばらく景鏡は苦労することになるだろう。
ただ不思議なことに、景鏡はどこか楽しそうにそれをこなしていた。
基本的にはわたしの意見が全面的に実行されるので、いかに当主とはいえ景鏡にはさほど裁量権は無かったりする。
それでも不満は無いようで、多少不思議ではあった。
戦国時代の大名といえば戦だけが能ではなく、領地経営にも手腕を発揮しました。銭が無ければ軍隊など持てなかったからです。
必要な戦費には大量の銭が必要でしたが、当時の日本は銭不足。そのため江戸時代に移行するにあたって、石高制に移行していったわけですね。
戦国時代といえばすでに石高制のような雰囲気がありますが、実際には貫高制でした。
作中でも触れましたが、この時期がまさに過渡期だったわけです。