第192話 新発田重家謀反
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一方、上野方面では武田家と北条家の戦いは一進一退を続けていた。
北条氏邦に率いられた上野侵攻軍は、厩橋城と箕輪城に肉薄。
これを迎え撃ったのが武田家重臣・内藤昌豊で、その養子である内藤昌月と共に奮戦し、これをよく凌いでいたのである。
「時をかけるな。上杉の援軍が来るぞ」
氏邦の見立て通り、上杉景勝の援軍はすでに上野へと入っており、沼田まであと一両日、という距離に迫っていた。
沼田城には真田家臣・矢沢頼綱が城主としてあり、上杉の援軍と合流した上で、箕輪城の援軍に駆け付ける手筈になっていたのである。
しかしここで景勝の援軍は沼田を目の前にして停止した。
本国より思わぬ急報がもたらされたからであった。
天正九年六月。
すなわち新発田重家の謀反である。
「新発田殿は一門衆のほか、加地秀綱ら加地衆、そして景虎様に同調していた輩を引き入れた上で新潟津を奪い、独立を宣言したとか」
陣中にあって景勝にそう説明するのは、景勝の側近である樋口兼続である。
「新潟津を取られたか」
「はい。新発田殿はここに城を築き、新たな拠点として我らに対する抵抗を強めているとか」
「……これは、すぐにはどうにもならんな」
景勝は唸る。
新発田重家の不穏な動きは、実のところ以前からあった。
御館の乱での論功行賞に端を発した重家の不満は、幾度となく安田顕元から申し立てがあり、新たな恩賞を与えるよう願い出があったのである。
しかし景勝はこれに応えることはできなかった。
結果、重家の不満は募り、これを見た蘆名氏や伊達氏といった周辺諸国が放っておかなかったのである。
蘆名家当主・蘆名盛隆にとって、伊達家当主・伊達輝宗は叔父に当たる。
両者は協調して越後に対して工作を行い、重家の謀反を成功させたのだった。
だがこの事実を景勝らは、この時知る由も無かったのである。
「まずは繁長と長真に命じて重家の抑えとせよ。同時に蘆名に使者を送り、援軍を頼む他あるまい」
「かしこまりました。して、進軍は如何なさいますか」
兼続に聞かれ、景勝は難しい顔になる。
本来ならば国許で起こった反乱を鎮圧すべきで、即座に取って返すが最善だろう。
しかしそれは同時に武田を見捨てることになる。
「家督継承の際、武田家には恩がある。それに我が妻は勝頼殿の妹君であるゆえ、これを見捨てては武田はおろか、晴景殿にも面目がたたぬ」
景勝正室・阿菊は武田信玄の五女であり、生母は信玄の側室であった油川夫人。
勝頼とは異母兄妹ではあるが、朝倉晴景とは同母であるため、景勝への輿入れを晴景は殊の外喜んだという。
「その晴景殿も、すでに信濃に入ったとか。我らがここで引き返せば、それこそ義がたたぬ」
「然様でありますか」
兼続とて武田家の現状が厳しいことはわきまえている。
勝頼という屋台骨を無くしたことで、広大な領国ゆえにその崩壊が一度に訪れようとしていることは、隣国にあってもひしひしと伝わってきていたからだ。
とはいえ、上杉家の実情もままならぬものである。
先の御館の乱は、やはり上杉家に根深い損害をもたらしていたからだ。
あれほどの内乱は、一気に国力を削いでしまう。
そして今回の新発田重家の反乱。
その原因を御館の乱に辿ることができる以上、これはもはや上杉景虎の呪いのような気すらしてしまう。
しかしこれらも全て、上杉謙信という求心力を失ったがゆえの結果でもある。
となれば、今の武田家の惨状を笑うことなどできはしない。
むしろ明日は己が身である。
「ここで武田家が瓦解すれば、上杉家も危うくなります。北条氏政はこの機に新発田殿と結び、攻勢を強めるでしょう」
「であろうな」
「しかしながら、このまま進軍しては不測の事態に対処できなくなる恐れがあります。内藤殿は武田の名将。如何に勇猛な氏邦とはいえ、即座にこれを落とすことは叶わないかと」
「では、どうするか」
「しばしこの地にて様子を見るのです」
「動かぬと言うのか」
景勝は苦い顔になる。
情報は乏しいが、すでに甲斐方面も侵されているという。
このまま上野を死守できても、本国である甲斐が落ちれば、武田家の衰亡は免れない。
「とはいえ、今の我々にはこれが精一杯かと」
「……やむを得んのか」
こうして上杉景勝は、進軍を停止。
上野を預かる内藤勢に動揺が広がる一方で、この情報はすぐにも信濃深志城へと届けられた。
この時、色葉率いる朝倉本隊が深志城に到着する。
これが六月十日のことであった。