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第188話 第二次松倉城の戦い

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 織田・北条の両軍勢が武田領に侵攻した報せは、飛騨松倉城の武藤昌幸にも当然もたらされていた。


 それによると、織田信長は岐阜に留まっており、総大将は織田信忠。

 その主力は池田恒興、森長可、河尻秀隆らが率いる部隊である。

 これに軍監として、滝川一益が派遣されたという。


「戦況は如何か」

「かんばしくありませんな」


 答えるのは武藤家臣・高梨内記である。


「織田方の先鋒は森長可、団忠正、木曾義昌、遠山友忠。本隊は河尻秀隆、毛利長秀、水野守隆、水野忠重であるようです。五月六日に先鋒隊のうち、森隊、団隊は木曾口から侵入し、本隊は伊那街道から信濃を侵しているとのこと」

「あそこは信氏殿が守りを固めているはずだが」


 昌幸の言うように、信濃吉岡城には下条信氏・信正父子が守備を担っていた。

 信氏の正室は武田信虎の娘であったため、信玄とは義兄弟の関係にあたる人物である。


 当然親族衆であり、武田家に対する忠誠は高いはずだ。

 しかし木曾義昌の一件のように、絶対とも言い切れなかった。


「下条殿は迎撃を試みた由にございます、が……」

「どうした?」

「家老の下条氏長や、熊谷玄蕃、原民部といった家臣らの謀反に遭い、やむなく城を退去したと」

「なんと」


 昌幸は手にしていた扇で自身の膝を打った。


「また裏切り者か」

「はい。しかしそれだけではありませぬ。五月十四日には松尾城主の小笠原信嶺殿も織田に寝返ったとのこと」

「ええい、まったく!」


 舌打ちするが、どうにかなるわけでもない。

 それにこれは予想できた事態でもあった。


「五月十二日には織田信忠は岐阜城を出陣し、十四日には岩村城に入っております。我ら武田方は鳥居峠にて迎撃する構えをみせておりますが、これに向かったのが木曾義昌殿とのこと」

「早速刃を突き付けてきたか」


 木曾義昌の謀反に、武田家が激怒したことは言うまでもない。

 この時武田信豊は自ら兵を率い、木曾谷へと迫って、人質であった義昌の生母や側室、子に至るまでを見せしめとして、磔にして処刑している。

 これをもって信長は甲州征伐を決行したのであるが、事ここに至っては、木曾勢は武田家の紛うことなき敵であろう。


「一方、この飛騨ですが……」

「他所のことばかりを気にしてもおれんか」

「は」


 その通りで、この飛騨にも織田家の侵攻は行われていた。

 それを任されたのは長篠にて戦死した金森長近の長子・金森長則と、長屋可重である。

 長則は信忠の近侍として早くから仕え、信忠に期待されていた将の一人でもあった。


「ふん。若造など一捻りよ」

「――ならば父上、是非ともこの信幸に初陣を申し付け下され!」


 そう名乗りでたのは、昌幸の嫡男である武藤信幸である。

 色葉の小姓を務める信繁の、実兄であった。


「そなたはまだ若い」

「されどすでに元服は済ませておりまする!」

「で、あったかな」


 信幸は武田家当主・信勝と共に、天正七年には元服を済ませている。

 とはいえ天正九年になったこの時でも、十五という若さであった。


「信玄公も齢十五にして海ノ口城攻めで初陣を果たしたと聞いております。であれば、私は遅すぎるということもありませぬ」

「たわけ。信玄公と一緒にするでない」


 とはいうものの、迫り来る織田勢に対し、こちらも総力戦で挑まなければならないことも、また事実であった。

 兵を指揮できる将は一人でも多い方がいい。


 状況は切迫している。

 信濃方面も危ういが、甲斐方面も危うかったからだ。


 なんとなれば、北条方の先鋒として徳川家康が、穴山梅雪の案内をもって甲斐へと侵攻していたからである。

 また上野方面には北条氏邦が侵攻を開始。


 これに対しては内藤昌豊が迎撃を行い、また上杉家からの援軍もあてにできるため、どうにか凌げるかもしれないが、やはり甲斐方面は厳しい情勢だろう。

 すぐにも援軍に駆け付けたかったが、飛騨への侵攻を受けてはこれに対処せざるを得ず、動きたくとも動けない実情であった。


「朝倉家からの援軍は」

「すでに発っているはずだ」


 家臣の一人、大熊常光へと昌幸は答える。


「が、恐らく素通りする」

「何ですと?」

「援軍はまず高遠城へ向かうだろう。それに色葉様は此度の武田の失態に対し、大層お怒りとのことだ」


 自分にしろ信春にしろ、親朝倉の武田家臣の多くは事態の解決のために奔走した。

 が、結果は芳しくないものに終わった。

 諏訪衆こそ未だ離反していないが、これは信春の説得や、一門筆頭の諏訪頼豊の武田家に対する忠義が強かったこと、また景頼が姉である色葉の言いつけを守り、軽挙妄動を回避したため、諏訪頼忠ら諏訪衆の動きを辛うじて抑えることができたに過ぎない。


 そうこうしているうちに、武田家の信豊らは織田家との和睦を試み、失敗。

 これが色葉の耳にも届いたようで、逆鱗に触れてしまったらしい。


「あの方は、ご自身が思っている以上に義理固い性格をされている。自由奔放で横暴な上に出鱈目で、情け容赦も無くまことに恐ろしき鬼のようなお方ではあるが、意外に人情家なのだ。特に身内に対してはな」

「は、はあ……。そのような恐ろしき姫のところに、父上は姉上や源二郎をやったのですか」


 昌幸の評価に、ぶるっと震えて信幸がどうにか感想を漏らした。


「ん? 何を言う。それがしは色葉様のことを褒めているのだぞ」

「いえ、とてもそんな風には聞こえませんでしたが……」


 困ったように信幸は左右を見れば、他の家臣らも如何にもと頷いてくれた。


「むむ? それはいかん。このようなことがまたぞろ色葉様のお耳に入れば、どのような折檻を受けるやら……」


 悪寒が走ったようで、身を震わせる父親を目の前に、この父親をしてここまで恐れさせる相手とは如何なるものかと考えてしまう。


 信幸自身、挨拶程度で色葉との面識はある。

 父親に同行して越前に赴いたこともあるし、色葉自身が時折飛騨に顔を出すこともあったからだ。


 とにかく美しい姫であった、という印象でしかなかったが、それはまともに会話した経験が無かったからでもある。

 口さえ閉じておられれば、まことに目の保養になるのだがな、とは昌幸の言である。


「と、ともあれだ。武田家としてはこれ以上下手は打てん。万が一、この飛騨を奪われるようなことあれば、それこそ何をされるか分かったものではない。何としても我らのみで死守し、街道を守らねばならん」


 それに時は一刻を争う。

 信長の目的は援軍の遅延であろうから、ここで朝倉勢が進軍を止めるのは愚の骨頂である。


「よいか皆の者、その覚悟をもって相対するぞ」

「ははっ!」


 織田家による飛騨侵攻に対し、飛騨を預かる昌幸はその総力を挙げてこれを迎え撃った。

 第二次松倉城の戦いである。

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