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第187話 甲州征伐


     /色葉


 天正九年五月。


 北ノ庄に集結した越前衆と加賀衆の内、晴景を大将とする越前衆一万余が、先陣として信濃高遠城に進軍することとなった。

 それを見送るわたしの元へと、晴景は心配そうに言葉を重ねていく。


「色葉よ。機嫌を直してくれ」

「別に悪くなどない」


 そう答えつつも、わたしの機嫌がなかなかに悪いことには自覚はある。

 しかも一向に良くならない。


「すまぬ。それでも俺は……」

「分かっている。みなまで言うな」


 申し訳なさそうにする晴景に、わたしは理性を最大限動員して、どうにかそう答えた。

 わたしの機嫌が悪い理由は、別に晴景のせいというわけではない。

 原因は武田家である。


 これまで武田家より援軍要請は無く、わたしはわたしなりに武田家の内政干渉になることを避けるべく、待ちに待ったのだった。

 昌幸や信春が問題解決のために奔走していたこともある。


 ところが後の情報で、その原因があらかた判明した。

 事もあろうに武田家は、朝倉に伏せたまま織田家と和睦交渉を持っていたのである。

 その内容は、従属の交渉に近かったと言っていい。


 しかもこの情報は、意図的に織田方から流されたものであった。

 つまり信長の奴は、武田からの和睦交渉を利用して、武田と朝倉の仲違いを画策していたのだろう。


 これがわたしの癇に障った。

 武田家は同盟国として、わたしなりに最大限、気を遣ってやってきたというのに、この様である。

 裏切り行為も甚だしい。


 この情報に触れた時など激怒してしまって、雪葉や乙葉が必死になって宥めてくれたほどだった。

 一瞬、このまま武田を攻め滅ぼしてやろうかと考えてしまったほどである。


 しかしそれではまさに信長の思うつぼ。

 これも気に入らない。


 そんな中、ついに遠江が失陥し、更に悪いことに木曾谷の木曾義昌が織田に寝返った。

 史実でも裏切った輩はやはり、この世界でも裏切るものらしい。


 そして木曾谷が開いたことで、織田の大侵攻を招くことになった。

 北条氏政もこれに呼応し、甲斐と上野に同時侵攻を開始。

 これが四月の終わり頃の話である。


 織田信忠を総大将とした織田勢数万は、信濃へと侵攻。

 これに対して高遠城の諏訪景頼は、独断で朝倉家に対して援軍を要請。


 それに応えるべく、すでに出陣の準備が整っていた一軍を率い、晴景自ら先陣を務めることを、わたしに申し出たのだった。

 状況的に武田が織田と通じた挙句、この様である。


 わたしは甚だ不機嫌であり、晴景はわたしへの説得に一昼夜をかける羽目になった。

 晴景としては、例えどのような事情があろうとも、実家である武田家を救いたい。

 しかし無条件で援軍など出しては、わたしの機嫌が更に悪くなる。


 とはいえ今更武田家と交渉している暇も無い。

 わたしも軍勢を出すこと自体には賛成していたので、晴景は我先にと先陣を勝って出た。


 これには理由が二つばかりあったはずだ。

 一つは純粋に武田家を自ら救いたいが為。


 もう一つはよしんばわたしが先に武田領に入ってしまった場合、ついでに攻め滅ぼしかねないとでも思ったからだろう。

 そんなつもりは無い……とも言い切れなかった。


 裏切り自体はわたしもある程度は容認している。

 される方にも問題があると思うからだ。


 とはいえ、だからといってその所業を許すかどうかといえば、許すはずもない。

 徹底的に報復するのが基本方針である。

 今のところ、わたしを裏切った者はいない。


 今回の武田家のことも、裏切ったとまでは言い難い。

 保身のために、あらゆる手段を尽くしただけとも言えるだろう。

 だからそれはいい。

 いいが……腹は立つのだ。


 どちらにせよ、援軍派遣は既定路線である。

 援軍を送らねば、高遠城の景頼は窮地に陥るだろう。

 下手をすれば、諏訪衆が織田に降りかねない。


「だが晴景様。必ず景頼を救え。景頼に何かあれば、武田の者どもも織田の連中とまとめて切り刻んでやるからな」

「任せよ」

「わたしも準備が出来次第、すぐに行く」

「……無理はしてくれるな」

「この状況下でじっとしている方こそが、無理と言うものだぞ?」

「色葉らしい言葉だ。では参る」


 こうして晴景は先陣を率い、まずは飛騨へと進んだ。

 実はその飛騨に対し、織田方は軍の一部を分けて侵攻している。

 狙いは飛騨松倉城。

 武藤昌幸に任せた居城である。

 これは越前からの援軍を遮断する意図があってのことだろう。


「……姉様、本当に妾も行っては駄目……?」

「駄目だ」


 一人殺気だっているわたしの横で、乙葉が幾度も同じ問いかけをしていた。


「今回は雪葉を連れて行く。お前は越前に残って、万が一織田方がこちらに侵攻した際に、景鏡と共にこれを守れ」

「うん……でも」

「それに小太郎の面倒を誰が見る?」


 華渓に任せてもいいのだが、やはり越前に雪葉か乙葉のどちらかを残しておきたかった。

 予想外の事態に備えるためでもある。


 そして乙葉は前回、近江侵攻の際に同行させたので、今回は雪葉を連れて行くことにしたのだ。

 それに雪葉を同行させるのには、他にも理由があった。


「それも大事だけど、妾は姉様のことが心配」


 めっきり弱体化してしまったわたしのことを、乙葉や雪葉がひどく心配しているのは今に始まったことではない。

 とはいえ直隆らがいるから、護衛は十分といえた。


「ねえ、やっぱり直澄も連れて行った方がよくない……?」

「お前にも手足は必要だろう。心配するな。直隆と隆基で十分だ」

「――そうですよ、乙葉様。それにわたくしもいるのですから」


 さりげなく、雪葉が口を挟んでくる。

 雪葉とて矜持があるのだから、あまり心配されては沽券にかかわるというものだ。


「雪葉、姉様に何かあったら許さないから」

「当然です。その時はあなたが罰して下さい」

「…………むぅ」


 そこまで言われては、乙葉も頷くしかないようだった。

 なかなかどうして、わたしには過ぎた妹どもである。


「――景実」

「はっ」


 今回、わたしの副将を務めるのは、加賀衆を率いる堀江景実である。

 ちなみに景実の父親であり、朝倉家臣筆頭の堀江景忠はすでにかなりの老齢だ。

 とても今回の遠征に耐えるものではないだろう。


 現在では景実が父親の代行を務めることが多く、そろそろ隠居してもいいのだろうが、死ぬまで現役だとこの前会った時には息巻いていたな。

 どうも家中ではわたしは基本、隠居を認めず、死ぬまでこき使う算段であると皆思っているらしく、あまりこの手のことを申し出てくる輩はいない。


 ……景建も、結局隠居を許す前に死んでしまったしな。


 それはともあれ、これに長連龍率いる能登衆を待って、約二万の手勢をもって本隊とし、武田領に入る予定だ。


「事によっては間に合わない予感がする」

「それは、高遠城が、ということですか……?」

「なんだと?」


 わたしに睨まれて、景実は思わず平伏した。

 妖気など欠片も残っていないというのに、相変わらず家臣どもはこんな感じである。


「し、失言でした」

「少し、気が立っている。許せ」

「こちらこそ申し訳ありませぬ!」


 ちょっとした言動で苛々する。

 余裕が無い自分を自覚する気分で、何とも嫌な心地だ。


「高遠城は信春が何としても、援軍到着まで死守させるだろう。あの城が落ちれば……いや、景頼に何かあれば、その時点でわたしが武田を見限ると判断しているはずだ。そしてそれは正しい」

「では、間に合わないというのは……?」

「武田家そのものの方だ」


 北条氏政は、甲斐と上野に対し、同時に侵攻を開始したという。

 これではそれぞれが、独力で守り切らねばならない。


 ちなみに上杉家に対しは、援軍要請をすでに行っているとの話であり、それがまた憎らしかった。

 とはいえ、必要なことではある。


「運が悪い時は、本当に悪いものだ。景勝のことだから無理をしてでも援軍要請に応えるだろうが、それでも時期が悪すぎる」

「と、おっしゃいますと?」

「それどころではなくなるからな」


 まったく本当に運が悪い。

 その運の悪さはわたしによるところも少なくないのであるが、それがまた不愉快でもあった。


「とにかく高遠城は晴景様に任す他無い。武運を祈るしか、な」


 武田家を救えるか。

 果たして自分に救う意思があるのか怪しくもなってきていたが、方針は未だ変えてはいない。

 ならば、進むしかないだろう。


 こうして開始された甲州征伐に、わたしも自ら飛び込むことになったのである。

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