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第186話 姉と弟

    ◇


 信忠は信長の前を辞すと、やや沈痛な面持ちのままその城内を自身の居室に向かって歩いていた。

 今回のことは内示であり、明日にも軍議が開かれて正式に甲州征伐が決定されることだろう。


「確かに織田は強い。強くなった、が……」


 信忠は幼き頃より信長に付き従い、その軍略を学んできた。

 その父の手腕は、自身の及ぶところではないと思っている。

 まさに偉大過ぎる父親だ。


 それに対し、朝倉家はどうであろうか。

 信忠は件の色葉姫を直接目にしたことは無い。

 色葉が上洛し、本能寺で信長を始め、諸将と会見に及んだ際は、すでに岐阜に戻っていたからである。


 見知った者の話や噂によれば、それは美しく、しかし苛烈な性格であるという。

 それこそ信長に匹敵する程の性情であるとか。


 信忠とて信長の後継者であり、如何に相手が強大とはいえ恐れるものではない。

 されど目に浮かぶのは、先の戦での長浜城でのことだった。


 あの時、朝倉景建は自らを囮にして信長らを城に引き込み、密集したところを艦砲射撃によって自らを省みずに攻撃させ、混乱したところに火を放って城下ごと織田勢を焼き尽くそうとしたのである。


 長浜城守備隊は全滅したが、この時織田勢が受けた被害も甚大だった。

 信長ですら負傷したのである。


 あの策は、景建自身によるものだったのだろうか。

 朝倉景建は朝倉家一門の重鎮である。

 それが自身を犠牲にしてでも陽動を引き受けたということは、よほどのことではないのか。


 朝倉家の武将どもが皆このようであれば、かつての朝倉家滅亡の際のような内部崩壊など、望むべくも無い。

 それにもし、あの策が色葉自身によるものであったのならば……。


「あまりにも恐ろしい姫ではないのか」


 素直にそう思い、身を震わせる。

 そんな相手に本当に勝てるのか、と。


「これは信忠様ではありませんか」


 不意に可憐な声が響いた。

 向かいからやってきた相手に、考え込んでいた信忠は気づくのが遅れたのである。


「これは姉上」


 思わず膝を折ろうとした信忠を、鈴鹿はそっと押しとどめた。


「そのような挨拶は不要ですわよ」

「はっ……それでは失礼して」


 柔和な笑みを浮かべている鈴鹿は、信忠にとって異母姉に当たる。

 信忠自身は弟の信雄や妹の徳姫らと共に、信長の側室である吉乃の子であるが、鈴鹿は信長の正室であった帰蝶が残した唯一の子だった。


 自由気ままで色々と噂の絶えぬ姉であり、未だどこにも嫁がず、むしろ信長の正妃のような立ち位置のまま、現在に至っているのである。

 政治に関わってくることはほぼ無かったが、底が知れず、信長嫡男としての立場である信忠でも頭の上がらない相手であった。


 ちなみに信忠は織田家中において、鈴鹿が鬼であることを知っている者の一人である。


「ずいぶん暗いお顔をされていますわね?」

「は……そのように見えたのであれば面目無く」

「どうなされたの?」

「武田征伐の総大将を拝命いたしまして、情けなくもやや緊張していたようです」

「あらあら」


 鈴鹿は扇で口元を隠しつつ、ころころと笑った。


「それは名誉なことです。此度は武田を滅ぼすのですか?」

「父上は、そのおつもりかと」

「ふふ。でしたらわたくしも参陣して、物見遊山と洒落込みたいですわね」

「は、はあ」


 鈴鹿は戦の類を忌避しないことは、信忠も知っていた。

 むしろ積極的に乱を望む節すらある。

 信長ですらやれやれと、たまに愚痴を零していたからだ。


「今の武田家は随分弱体化しているとか。となれば蹂躙戦ですわね? 命乞いをする者を見物したり、それを許さず首を刎ねるのは実に愉しそうですわ」

「あ、姉上……」

「ふふ。冗談ですわよ」


 もちろん、冗談のはずもない。

 本気でこの姉はそう思っているはずだ。

 岩村城での一件を知っている信忠にしてみれば、当然ではあるが。


 やや苦手な姉ではあったものの、そんな鈴鹿は織田家中にあって、別の意味でも信忠にとって印象深いことがあった。

 それは朝倉家びいきであることである。


 特にかの色葉姫のことを気に入っているらしく、京では太刀を交えながらもこれを見逃し、つい最近ではわざわざ越前まで赴いたという。

 その際に土産として、信長が秘蔵していた大名物である九十九髪茄子を持って行ったとかで、のちに信長が気づいて愕然としたという話を、愉しそうに語ってくれたものである。


 ともあれそんな鈴鹿に、この時ばかりは信忠も話を続ける気になったのだった。


「ところで姉上は、朝倉の姫君と仲がよろしかったと記憶しておりましたが」

「色葉様ですか? それはもう」


 その話題に鈴鹿は嬉しそうに目を細める。


「どのような方なのですか?」

「素敵なお方です」

「それは……そうなのかもしれませぬが」


 迷うことなく断言する鈴鹿に、信忠は面食らってしまうほどである。


「色葉様が独り身であられたならば、信忠様の正室に相応しかったのですけれどね」


 信忠には未だ正室がいない。

 しかし側室はおり、塩川長満の娘である鈴が、信忠の長子・三法師を昨年、出産している。


「それは……お戯れを」

「そうですか? ですがそうなれば、色葉様とわたくしは義姉妹……。少々羨ましかったのですよ? 色葉様の従僕である二人が、その妹を称していると知った時は」


 誰の事かは分からなかったが、この鈴鹿に妬まれるというのはさぞかし不運なことに違いないだろうと、信忠は密かに思う。


「ですが、どうされたのです? 信忠様が色葉様に興味を持たれるなど」

「興味、というわけではありませぬが……。姉上、少々お話をさせていただいてもよろしいですか?」

「構いませんわ。どうせ、暇なのです」


 頷く鈴鹿を、信忠は自身の居室へと招き入れた。

 まさしくそれは、密談の類だったのかもしれない。

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