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第185話 信長と信忠


     ◇


「なに、貴様は反対と申すのか」


 美濃岐阜城にあって、織田信長は嫡男・信忠の言に不快げに眉をひそめていた。


「はっ。私はそのように愚考いたします」


 天正九年四月九日。


 甲斐武田家は遠江を失陥し、東海道を完全に失った。

 三河方面の侵攻は急襲によるところが大きく、これの平定は迅速に行われたものの、さすがに遠江方面ではそうもいかなかった。


 勝頼死したとはいえ、武田家にも未だ人はいる。

 浜松城を死守する山県昌景などは、織田家随一の猛将たる柴田勝家の猛攻に耐え、これまでこれを翻弄し続けてきたが、ついに力尽きて討死に及んだのだった。


 また同じく粘りに粘っていた高天神城の岡部元信も、ついには玉砕した。

 これにより、一応の同盟関係にあった北条家と織田家は、遠江国において領地を接し、大井川を境にしてそれぞれの領有を認め合うことになる。


 その間、武田家の武田信豊は密かに織田家と接触を持ち、和睦交渉を持ち掛けてきていたが、信長はこれを引き延ばしていた。

 遠江割譲では条件にならぬと考えていたからであり、信長は信濃割譲と朝倉家との手切れを新たな条件として提示。

 さすがにこの条件は呑めるはずもなく、交渉は不調に終わった。


 もっとも信長にしてみれば、この交渉に本気で取り組んでいたわけでもない。

 同時に信濃国に対し、調略の手を伸ばしていたのである。

 そしてその結果が出たことで、信長は新たに信濃侵攻を決意したのだった。


「父上の働きかけにより、木曾義昌がこちらに寝返ったのはまことに重畳。なれば、このまま工作により武田方を切り崩していくだけで、かなりの成果が見込まれます。敢えて進軍する必要はありますまい」

「たわけ。機を逸するわ」


 木曾義昌は武田家に臣従後、武田信玄の三女・真理姫を娶ったことで親族衆となり、木曾谷を安堵されていた人物である。

 そしてこの木曾谷は、美濃国に対する武田家の最前線基地でもあった。


 穴山梅雪離反による駿河失陥と、高天神城や浜松城陥落による遠江失陥により、義昌を始めとする武田の諸将が、その行く末に不安を感じていたことは、どうしようもない事実である。

 信長はそこに目をつけ、まず木曾義昌の調略に取り掛かった。


 木曾氏は親族衆とはいえ、武田家の譜代の家臣というわけでもない。

 そして義昌は信長の誘いに乗り、弟である義豊を人質として差し出すことで、武田家を離反した。


 これを武田家を滅ぼす好機とみた信長は、ただちに北条氏政に書状を送り、甲州征伐をもちかけたのである。

 しかしそれに反対したのが、信長の嫡男であった織田信忠であった。


「今座しておっては、北条に甲斐はおろか信濃をも奪われるぞ。そうなればもはや対等の相手とはいえなくなる。新たな敵を増やして如何するか」


 畿内や近江を失った今、東への領土拡大は、強敵となった朝倉家に対抗する大いなる手段と信長は考えていた。

 北条家とも領地を接し、援軍要請も可能となる。

 これをもって近江奪還を試みる戦略を、信長は新たに思い描いていたのだった。


「されど朝倉が黙ってはおりますまい」


 信長の三河侵攻は、朝倉家の近江侵攻を誘発し、これに敗れたことで織田家は手痛い被害を受けることになった。

 その轍を踏むべきではない、と信忠は言うのである。


「ではどうせよと言う」

「少なくとも今、朝倉を敵としてはなりませぬ。いったん和睦し、その間に武田家との再交渉を進めるのです」

「武田が信濃を手放すとは思えんぞ」

「されど朝倉家との手切れは承知するやもしれませぬ」


 信忠の狙いはまさにそれだった。

 弱り切った武田家ではあるが、その背後にいる朝倉家が恐ろしい。

 であれば、まずその関係を断ち切るべきである。


 幸いにして、勝頼死後の家督継承を巡って、朝倉家との間にやや溝が広がりつつあるという情報も掴んでいる。

 両者の関係が切れれば、武田家など思いのままでないか。


 もちろん、それまでに十分な調略など下準備を進める必要はあるが、戦力を用いず温存できる利点がある。

 これは朝倉家や羽柴家の侵攻に備えるためにも、必要な戦力だ。


「その間に、朝倉と羽柴の両家の連携を切り崩します。これらが協調されれば分が悪いというもの。現状だけで言うならば、織田家は不利。今は外交によってこれを凌ぎ、力を蓄える時期ですぞ」

「ふん。器用なことを言うようになったものだ」


 信忠は信長に劣らず、その才に恵まれ十分な素質を持った人物である。

 その後継者として最も相応しいことは、織田家中では誰もが納得するところだった。


 そんな信忠は基本、父である信長に従順で、そつなく命をこなしてきたが、時折このように抗弁することもあったという。


「されど見た目だけの器用者など、愚か者と同じであるぞ?」


 辛辣な言葉ではあったが、信忠は臆さずにさらに言葉を重ねた。


「朝倉との交渉ならばお任せ下され。必要とあれば、私が頭を下げて参りまする」

「あの女狐に頭を下げると申すか」

「例えどのような経緯があれ、最後に勝ち残った者を勝者と言うのですぞ」

「黙れ、黙れ」


 嫌な事でも思い出したかのように、信長は手を振った。

 かつて朝倉義景に頭を下げた過去が、頭を過ぎったからである。


「二度も朝倉などに頭を下げられるか。それにそなたは分かっておらん。あの女狐はただものではないぞ? この信長を、よくもここまで翻弄してくれたものだ。それにあれば、この織田家に一片の好意すらも抱いてはおらん。おもねたところでそのまま踏み潰されるのがおちだ」


 信忠の戦略眼は、結果的に正しかったといえる。

 しかし一方で信長の色葉に対する評価も、また正しかった。


「そなたも安土の惨状は聞いておろう? あれは織田家を滅ぼすつもりだ。かつて一乗谷を灰燼に帰してやったことを恨みに思ってでもいるのだろう。和解はあり得ぬ。そう心得よ」

「……やむを得ませぬ」


 不承不承ながらも、信忠は頷く他無かった。


「武田征伐の総大将は信忠、そなただ。主力を率いてまず高遠城を攻めよ。俺は光秀と共に岐阜に残り、朝倉の美濃侵攻に備える」

「……羽柴の方は、如何しますか」

「すでに長宗我部に大坂を牽制させるべく、出陣を促している。秀吉とてそう簡単には動けまい」

「なれば、かしこまりました」

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