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第183話 武田家の趨勢

「まあそんなことも言っていられないか」

「はっ……。馬場様は色葉様のお知恵を借りたいと申しておりました」

「わたしの知恵など借りて、後で後悔しなければいいがな」


 景頼がいる以上、今回のことはわたしも無視はできない。

 仮に無視したところで内乱は必至であり、武田家はまず内から滅ぶだろう。


「やれやれだな……。穴山に続いて諏訪が離反か。他にも出てきそうだな?」

「そのようなことは、と申したくはありますが、わかりませぬな」

「お前はどうなんだ? 昌幸」

「は?」

「これを機に独立する気は無いのか」


 昌幸の立場こそ、もっとも武田から独立し易いとも言える。


「お戯れを。そのようなことをしては、兄者の立場がなくなります」

「ああ、真田か」


 昌幸の実家である真田家は、昌幸の兄・昌輝が当主としてあって、武田家に忠誠を誓っているのだ。

 弟の昌幸が仮に離反などすれば、それは苦しい立場になるだろう。


「それにそれがしも武田家に忠誠を誓う身。そのようなことはできませぬぞ」

「そうだな。まさにお前の言う通り、戯言の類だ。許せ」


 史実での昌幸は、表裏比興の者と評される食わせ者だ。

 周辺の強大な大名家を次々に鞍替えし、最後はあの家康に痛い目を遭わせたことで知られている。


 とはいえ武田家に対する忠誠は本物だったようだ。

 主家滅亡後は生き残るために手段を選ばなかったが、それまでは確かに武田に忠誠を尽くしたのである。


 もしここでわたしが武田家に見切りをつけ、翻って領土拡大に乗り出せば、昌幸は飛騨を死守してわたしを遮ることだろう。


「ともあれ現状はかんばしくないな。ここまで内憂外患とは。むしろ笑えるぞ?」

「笑えませぬ」


 仏頂面になる昌幸に、わたしは苦笑する。

 普段からわたしにからかわれて耐性のついている昌幸でも、この現状はまるで余裕が無いのだろう。


「そうまずい顔をするな。大前提として、わたしは武田が滅びるのを良しとはしない」

「はっ……。それはありがたく」


 その宣言に、昌幸はほんの僅かであるが、安堵した表情を見せた。

 万が一、朝倉家がその気になってしまえば、それこそ武田家は滅亡すると考えていたのだろう。


「そのためにはまず織田と北条をどうにかせねばならん」

「それには色葉様の援軍が不可欠です」

「承知している。が、未だに要請が無い」


 援軍派遣の準備はできている。

 しかし武田信勝からの援軍要請は、未だ届くことは無かったのだ。


「さすがに傍で見ていただけのことはある。わたしを警戒するのも当然だが、な」


 要請が来ない理由はいくつかあるだろうが、一つは上杉家のお家騒動に朝倉家が介入した結果をよく見知っているからだろう。

 現状の上杉家にはすでに力無く、朝倉家の影響力が無視できない規模になっていることを、武田家は知っている。


 特に武田信豊は御館の乱の際、朝倉と武田の外交の窓口となっていたこともあって、わたしの性格を知り得ているから尚更だ。


「……色葉様は、武田も上杉のようにするおつもりなのですか」

「するならとっくにそうしている。が、それならあんな同盟など結ばない。お前が思っているほど、わたしは不義理ではないぞ?」

「そ、そのようなつもりは毛頭無く」


 武田をわたしが本気で臣従させるつもりがあったのであれば、もっと事前にもっと根深く動いていたことだろう。

 晴景もあそこまで立てず、いいように利用していたはずだ。


「とにかくこのままでは援軍の派遣もままならん。しかし要請なくば動けん。おかげで晴景様も悶々としている」

「では、美濃に侵攻していただくというのは如何か」

「それも考えたがな」


 美濃侵攻を行えば、武田にとっては間接支援となるし、朝倉にとっても領土拡大の好機ともなる。

 が、織田家と全面戦争に突入することになるだろう。


 信長にしてみれば、すでに畿内と近江を失っているわけだから、死に物狂いで抵抗してくるはずだ。

 先の近江侵攻の際も、楽に勝てたわけではない。

 今、まともにやりあっては消耗戦になるだろう。


 そうなれば武田の支援どころではなくなってしまう。

 少なくとも織田家からの圧力は無くなるだろうから、その間に武田が単独で北条を打ち払うことができるのであれば、それもいい。


 が、それは無理だろうというのがわたしの判断だ。

 つまり直接武田を支援しなかった場合、北条を利するだけで、結局武田は滅亡しかねないのである。


「北条に漁夫の利を取っていかれるのは、実に胸糞悪い」


 北条家はすでに大国であり、これに武田の所領を加えてしまうと、織田家以上の難敵になってしまいかねない。

 わたしは一度、北条と対決してこれを打ち破る必要があると考えているのだ。


 織田家も面倒な相手であるが、こちらは秀吉という要因があるため、牽制し易い点が北条とは異なっている。

 それに一度、信長は朝倉に対して大敗を喫しているから、警戒して即座の決戦には及ばない公算も高い。


「とはいえ、このままでは手詰まりだな」


 まさに厄介な情勢である。


「昌幸、お前も少しは考えろ。得意の謀略でどうにかできるだろう」

「ですから、別にそんなものは得意でも何でもござらんのだが……」

「まったく使えないな」


 わたしは苛々と、尻尾を揺らしてしまう。

 昌幸はそんなわたしの様子にぎくりとしたようだが、今のわたしの尻尾には何の力もありはしない。


「……とにかくこのまま武田が滅ぶのは望まない」

「は」

「だから、だ。最悪、要請が無くとも兵を動かす」

「……やむを得ぬかと」

「事前通告無しに朝倉が武田領に入ることで、武田が二分する可能性は?」


 その問いに、昌幸は苦悩したように唸った。


「……八割方、かと」

「正しい分析だ。わたしもそう思う。下手をすれば、迎撃されかねないだろうな」


 盲目的に武田に忠誠を誓っている輩ならば、朝倉家の援軍を武田領への侵攻と思う者も出て来るだろう。

 そんな連中に優しく諭してやるつもりなど、わたしには毛頭無い。


「いいか昌幸。覚悟はしておけ。例え武田の者であっても、頭の悪い奴が出てきたら容赦なく踏み潰していく。そういった輩が主家を滅ぼすと思え。本意では無いが、朝倉家の大義名分には景頼を使う。諏訪の者どもは喜ぶだろうがな。それを少しでも避けたいのなら、今のうちに根回しをしろ。……もっとも、賢しいお前なら分かるだろうが、そういう根回しこそが、武田からの離反だと捉えられかねないがな」


 だから覚悟をしろと、そう言ったのだ。

 この先は恐らく綺麗事ではすまなくなる。


「言っておくが、憂鬱なのはわたしも同じだぞ? そうなることを晴景様に伝えて、説得せねばならないからな」


 朝倉が介入することで武田家が瓦解する――そんな皮肉な可能性を晴景に納得してもらわなければならない。

 晴景は苦悩するだろう。


「……一つだけ、確認を」

「ん、なんだ」

「若――いえ、殿は如何するおつもりですか」


 昌幸が言いたいのは、信勝のことか。

 仮に武田を救えたとしても、わたしは朝倉に反感や疑念を持つ武田家臣どもを一掃するつもりでいる。

 でなければ、後が面倒だからだ。

 そしてそもそも景頼を擁立して武田領に入るのならば、信勝自身が敵ともいえるだろう。


「武田家の家督は信勝のものだ。別にどうもしない」

「まことに……ですか?」

「ただしわたしの庇護のもとで――という制約はつくぞ? これまでのような対等な関係ではなくなることは、まあ仕方が無いだろう」


 一応は武田を救うつもりで武田領に入るのだ。

 これを処断したり廃嫡したりすれば、晴景が黙っていないだろう。

 信勝はまだ幼い。

 今ならばまだ、わたしの色に染めることも不可能ではないはずだ。


「……お家が存続できるのであれば、やむを得ませぬ」

「別にそうなると定まったわけじゃない。そんな悲壮な顔をするな」

「まさか色葉様に慰められるとは、それがしもまだまだですな」

「失礼な奴め」


 苦いものであったが、どうにか笑みをみせた昌幸に、わたしも苦笑を返してやった。


「……ところで、源二郎は元気にしておりますか」

「ん、そうだな。あれは乙葉に懐いてよく稽古してもらっているぞ」


 最近増えたわたしの小姓の中でも、昌幸の次男である源二郎こと武藤信繁は、どちらかといえば武芸に秀でているのは間違いなかった。

 わたしは小姓連中に文武共に教え込んでいたが、その中でも信繁は軍略に興味津々で、武芸に関してはわたしに代わって乙葉に教授してもらっているほどである。


「あれは乱世ならば役に立つかもな。とはいえもう少し治世も学んで欲しいものだが」

「次男坊ですからな。弟は兄の刃であれば良いかと」

「それもそうか」


 とはいえ何が起こるか分からないのが、戦国の世である。

 学べることは学んでおくべきだろう。


「それにしてもどうした急に? 返して欲しくなったのか?」

「いやいや」


 昌幸は苦笑する。


「そうではありませぬ。我が手元にあるよりも、色葉様の手元にあった方が今は安心ゆえ」


 なるほど。

 それも昌幸なりの覚悟の上での想い、なのだろう。


「わかった。お前が死んだら後は任せておけ。父親の分までこき使ってやる」

「いや……そう明言されるとさすがに悲しくなりますぞ? というかそう言われてはとても死ねませぬ」

「あはは」


 渋面になる昌幸を見て、わたしは珍しく声を上げて笑った。


 こうしてある程度の方針を個人的に定めたわたしは、武田からの要請を極力待ちつつ援軍派遣の準備をぬかりなく行わせることになる。


 そうこうしているうちに時は流れ、天正九年四月。

 援軍要請は無いまま、武田家が遠江を失陥した旨の書状が届けられることになったのだった。

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