第173話 深夜の茶会(後編)
「読書」
「……書物がお好きなのですか?」
「本は勉強にもなるし、娯楽にもなる。これほど優れた道具は無いと思うが」
本気でそう思う。
「ただ最近では読むだけじゃなくて、書く真似事なんかもしているな」
「それは日記……のようなものでしょうか」
「そう……とも言えるかな。試みに問うが、太田信定という男を知っているか?」
「……確か、家中におりましたわね」
やや記憶を探るような素振りをみせてから、鈴鹿はそう答えた。
わたしは頷く。
「あれは丹羽長秀の与力だったんだが、長秀が拝領していた若狭をわたしが落としたことは当然知っているだろう?」
「はい」
「その時に一緒に捕らえてやった。だから今ではわたしの下にいる」
「それがどうかされましたの?」
名は知っているが、さほど興味も無かったのだろう。
鈴鹿は不思議そうに首を傾げてみせた。
「信定はあれやこれやと備忘録を残していてな。特にお前の父親……かどうかは知らないが、信長について書き綴ったものがたくさんある」
史実においては江戸時代初期に完成することになる史料に、『信長公記』と呼ばれるものがある。
この著者が太田信定こと太田牛一であり、信長が本能寺の変で夭折した後はそのまま丹羽長秀に右筆として仕え、その時の記録をもとに編纂されたとされる史料だ。
内容は織田信長の一代記。
その史料価値も高いことで有名である。
早い話、本を書く才能がある人物、ということだ。
「わたしは書物が好きだ。それを書くことのできる者は重用する。今ではわたしの右筆として傍に置いているが、少し感化されてわたしも読むだけでなく、書くことを始めてみたんだ」
ちなみに余談ではあるが。
信定は後に『朝倉天正色葉鏡』なる珍籍を編纂することになる。
「色葉様は何をお書きになられているのです?」
「ん、まあ……大したものじゃない。教科書の類だ」
わたしは家臣やら小姓やらに普段、色々教育を施してはいるが、やはり徒手空拳よりも手助けとなる教材や図書、つまり教科書の類があると便利で効率がいい。
なのでここ最近は部屋にこもり、これを書くことに没頭していたのである。
「そうでしたか。では筆などをお送りした方がよろしかったですわね」
「そうだな」
「ではまた次回に」
「いや、次回は無くていいぞ」
また来る気なのかこの女は。
やれやれ、である。
「……というかお前、越前に来た時点で気づいただろう? わたしたちは今、兵を集めている。そして今の情勢。わたしがこれから何をするつもりなのかくらい、分からないはずもないだろうに」
鈴鹿は世俗には興味は無さそうだが、しかし頭はかなりいい。
少なくともわたしはそう評価している。
「織田を攻めるのでしょう?」
あっさりと、鈴鹿は答えてみせた。
やはり侮れない。
「信長は約束を反故にして、武田に攻め込んだ。つまり和睦は破られたというわけだ。ならば報復として朝倉が織田に侵攻することに、道理は通ると思うが?」
「もちろんですわ」
微笑みながら鈴鹿は頷く。
「ですから殿も、色葉様を待ち構えておいでです」
「…………ふん」
思った通りか。
情報によれば、予定されている三河侵攻の総大将は柴田勝家だという。
相変わらず信長自身は動くつもりはないらしい。
当然わたしを意識してのことだろう。
「そんな情報をぺらぺらしゃべっていいのか? 信長が討死でもしたらどうなる」
「その折は色葉様が天下をお取りになるのでしょう?」
「そうとは限らんとは思うが」
「ふふ、ご謙遜を。わたくしはひとなどに支配されるのは我慢なりませんが、色葉様ならば別ですわ。その天下の元でわたくしの居場所を拵えて下さるのならば、それはそれで構わないのです」
「……場合によっては信長を裏切るとでも?」
「そのようなことは致しません。殿は殿で、素敵な方ですから」
どこまで本気の言葉かは知らないが、鈴鹿は結局のところ、自身の感情を最優先させるのだろう。
そしてわたしへの興味が好感となって、結果としてわたしは存えている、ともいえる。
鈴鹿におもねるのは不愉快極まりないが、さりとて害意を持たれた時点でわたしは終わるといえるかもしれない。
「居場所を用意すれば、例え信長を殺しても構わないと、そういうわけだな?」
「哀しいことですけれど」
「何にせよ、信長がこのまま天下を取ることはありえない。その原因がわたしによるものかどうかはさて置いたとしてもだ。その際にお前がわたしに復讐しないというのならば、織田家が滅亡した後に保護してやってもいい」
保護されるような存在ではないが、言葉を変えただけでわたしの元に身を寄せることを許容する、という意味である。
当然鈴鹿にも伝わったことだろう。
「織田家は滅亡すると?」
「さてな。今はまだ、織田の方が朝倉よりも強い。が、差は縮まっている。ここで差を再び広げられるつもりはないから、武田領への侵攻など指を加えて見ているつもりもない。わたしを迎え撃つというのならば結構。討ち果たしに行ってやると、信長に伝えろ」
事実上の宣戦布告に、鈴鹿はくすりと笑む。
「素敵な戦が見られそうですわね」
その後、鈴鹿との会話は夜明けまで続いた。
鈴鹿のことは嫌いだし、苦手でもあるが、しかし話は不思議と弾む。
だからこそ、面倒な相手でもあるといえるかもしれない。
鈴鹿は夜明けと共に館を辞して、意外なほど素直に一乗谷から去った。
天正八年六月三十日のことである。





