第172話 深夜の茶会(前編)
/色葉
とにかく不愉快だった。
寝ていたところを起こされたというだけではない。
こんな夜分に館を訪れた相手に、いい思い出など一つも無かったからだ。
「……わたしの都合などお構い無しなのはいつものこととはいえ、実に気分が悪い」
「まあ、つれないですわね」
何がつれないですわね、だ。
乙葉にたたき起こされ、鈴鹿が一乗谷に現れたと聞いて眠気など吹き飛んだが、この時期にわたしの前に現れたことにさすがに警戒した。
というより覚悟した。
かなりの確率で信長が放った刺客だと考えたからである。
ここには乙葉もいるし、雪葉もいる。
が、わたしの個人的な戦闘力ではもはや足手まといにしかならない。
抵抗どころか逃げることも難しいだろう。
ここでわたしが死ねば、朝倉家は兵を出すどころではなくなる。
それを見越しての信長からの一手かと思ったのであるが、乙葉の話によると茶を飲みに来たのだという。
ふざけた理由だが、冷静になってみれば至極あの女らしい。
とはいえ厄介ごとには違いなく。
わたしは苛々しながら、それでも精いっぱい見栄を張るべく着飾って、鈴鹿に相対したのだった。
「お子は無事にお生まれになったようですわね」
「お前のおかげだと感謝すべきか?」
「あらあら。それは嬉しゅうございますわ」
皮肉も通じない。
本気で喜んでみせるのだから、始末に負えないというものである。
「お前なら分かるだろう? 見ての通り。今のわたしには力も何も残っていない。殺すのなど簡単だ。例えその気が無かったとしても、今のわたしを見て興味も失せたのではないのか?」
「ふふ、まさか。貴女様の魂の強さは一向に失われてなどおりませんわ」
そうなのか。
自分ではよく分からないが、確かに未だ乙葉や雪葉はわたしを畏れ敬ってくれる。
肉体的な力はほぼ失われたというのに、だ。
不思議なものである。
「……で? 結局何をしに来たんだ?」
「ですから――」
「茶を飲んだら帰るのか? なら喜んで付き合ってやるぞ。一杯飲んだらとっとと帰れ」
本気でそう願ったのだが、鈴鹿の笑みは崩れない。
「せっかく土産を持参したのです。せめてこの中の茶が無くなるまでは、お付き合いいただきますわよ」
そう言って、何やら包んであったものを取り出して、そっと置いてみせる。
「土産?」
「はい。殿の秘蔵の茶器の中から一つ、お許しがあったので適当に選んでお持ちいたしました。中身ごと、進呈いたしますわ」
「ふうん」
わたしは気の無い返事をしつつ、土産と称されたそれを受け取ると、とりあえずまじまじと見返してみた。
いわゆる小型の茶入である。
茶器に関しては詳しくはないが、恐らく形状からして茄子と区別される茶入だろう。
「わたしに目利きはできないが、価値があるものなのか?」
「さて、わたくしも良くはわかりませんわ」
「なんだ、安物か」
価値の分からないわたしにしてみれば、これが高価なものかどうかはさほど重要でもないし、正直どうでもいい。
茶入としての機能を果たしているのならば、それで十分である。
というかこの女、この中の抹茶が全て無くなるまで居座るつもりなのか。
「殿が所有していたのですから、そのようなことも無いとは思いますが。……ただ、見覚えのあるものでしたので、何となく選んだまでですわ」
殿というのは信長のことで、確かに信長は茶器収集に精を出しているらしい。
この前貞宗に茶を点ててやった時にも言ったが、久秀などは信長が欲しがるような茶釜を所有していて、幾度も所望されて断り続けてきたとか。
そんな信長が持っていたものなのだから、まあそれなりのものなのかもしれない。
「見覚え?」
「以前、申し上げましたでしょう? 義教様のお側にいたことがあったと」
「ああ……そういえばそんなことも言っていたな」
足利義教だったか。
室町幕府の六代目の将軍で、今から百三十年くらい前の人物である。
「ん? そんな時に見たのか?」
「足利家所有の茶器の一つだったと記憶していますわ」
「ふうん。大事に扱われてきたんだな」
素直に感心した。
形あるものは必ず壊れる、というのは茶碗などをつい落として割ってしまった時などに使える便利な言葉ではある。
そんな諸行無常の世の中で、百三十年かそれ以上の時間、形を保ってきたということは、やはりそれだけ大切にされてきたという証なのかもしれない。
「くれるというのなら貰っておくが、本当にいいのか?」
「勿論です。そのためにお持ちしたのですから」
「そうか」
今度機会があったら久秀にでも聞いてみよう。
それなりのものであるのなら、貞宗にやってもいいかな。
「とりあえず、茶は点ててやる。下手くそだと笑うなよ」
「……色葉様も茶の湯を嗜まれるのですか?」
「趣味とかじゃない。でもちょっと前に習ったんだ」
ぎこちなくはないが、さりとて洗練されているわけでもない。
そんな動作で茶を点てていく。
「ご趣味、ですか」
わたしの何気ない言葉に反応して、鈴鹿は小首を傾げてみせた。
「色葉様は普段、何をなされているのです?」
「世界征服だ」
「ふふ、そうでしたわね。天下統一を目指されているのでした。ですが以前窺った際、それはわたくしと似たような理由であるとお察しいたしましたが」
以前、鈴鹿は言っていた。
ひとに支配されるつもりはなく、それが嫌であるのならば自身が一番高い所にいるしかないと。
そのため時の権力者の影となることによって、それを実現してきたのである。
わたしの場合も似たようなもので、鈴鹿との違いは自身が直接動いているか否か、であろう。
「つまり、何が言いたい?」
「ご趣味で天下統一を目指しているわけではないのでしょう?」
「それはまあ、そうだな。世界征服なんて、別に趣味じゃない」
「ですから」
そこで鈴鹿は微笑む。
「色葉様が普段されているご趣味は何なのか、を窺ったのです」
なるほど。
そういう質問だったのか。





