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第160話 一服の茶(前編)


     ◇


 四月十日。


 武田からの使者も帰還し、所領から集まっていた家臣どもも領地へと帰っていった。

 北ノ庄はもちろんのこと、一乗谷にもようやく静寂が戻ってきたことに、わたしは少なからず心穏やかになっていたといえる。


「……お久しぶりに、そのようなお顔を拝見できましたな」


 などと言うのは大日方貞宗。

 わたしの側近中の側近であるが、四六時中忙しくしているため、最近では傍にいないことが多い。

 今回の代替わりの際にさえ、落ち着いている様子は無かった。

 まあ貞宗が多忙な原因は、主にわたしが命じた仕事の多さによるものなのだが。


「ふん」


 わたしは特に言い返さず、茶をすすって息を吐き出した。

 天候も良く、穏やかな風が何とも心地いい。

 自然と尻尾がぱたぱたと揺れてしまう。


「本当に静かになってしまったな」


 見渡す一乗谷は静寂に包まれている。

 以前は骸どもがあちこちで働いていたものであるが、今はどこにもその姿は無い。


 一乗谷には家臣の中でも重臣連中の屋敷がある。わたしの館の周辺に建てさせたのであるが、基本的に家屋はそれだけだ。

 最近では家臣どもは北ノ庄に詰めているので、何か行事でもなければ一乗谷に人が訪れることはまずない。

 城戸も基本、閉じられているから往来すら無いのである。


「やや寂しいくらいか」

「これが正常なるひとの世のあるべき姿ですぞ」


 感慨にふけっていると、真面目に貞宗が答えてくる。


「そうとも思えないが」


 わたしの視線の先、庭の隅には邪魔にならないようにひっそりと、一人の若い武者が控えていた。

 名を真柄直澄、という。

 わたしにとって、貞宗と同じくらい最初期の家臣の一人だ。


 ただし直澄は死人であり、亡者の類である。

 兄である直隆やその子である隆基も同様で、その姿は白骨が鎧をまとっているような、おぞましいものだ。

 普段はこの館の背後にある一乗谷城の城主として、この一乗谷を守っている。


「……以前の方が恰好良かったような気もするぞ」


 直澄を見つめ、わたしはつぶやく。

 以前まで骸骨武者であった直澄は、今や肉を持ち、一見ひとの姿と変わらぬ容姿となっていた。

 これには理由がある。


 わたしの力が減衰していることはもはや自明の理であったが、これを憂いた朱葉があれこれと考え、わたしに献策したことによる結果だった。

 すなわちわたしがこれまで得ていた無数の骸を生贄にして、直隆、直澄、隆基の三人に受肉させ、より自然にわたしの護衛ができるようにというものである。


 今のわたしに大した妖気は無いが、骸どもは元はわたしの妖気に触れたことで亡者化してしまった連中であり、それらを束ねればそれなりのものになるだろうということで、朱葉がわたしの許可を得た上で実行したのだった。


 結局のところ妖気は足りず、せいぜい一人分しかできないと分かった際に、雪葉と乙葉が自身のものを使うことを提案。それぞれが一人ずつを受け持つことになった。

 わたしが直隆、乙葉が直澄、雪葉が隆基である。


 隆基は以前の経緯により、わたしから乙葉にその支配権が移っていたこともあって、当初は乙葉が担当するはずだった。

 しかし雪葉が頑強に反対し、自分がすると言い張ったのである。

 これは雪葉が隆基に助けられたことがあり、今なお恩に感じているためでもあった。


 そのため多少ややこしい仕儀となったが、朱葉は問題無いと言い切って、思うようにしてしまったのである。

 そしてその隆基は雪葉の護衛として、越後行きに同行している。


「しゃれこうべを見てそう仰るのは、色葉様くらいのものでしょうな。やれやれ」

「やれやれって言うな」


 相変わらず貞宗はわたしに遠慮が無い。


「貞宗」

「なんでしょうか」

「お前も少しは楽にしたらどうだ? 家臣も知行も増えたのだから、多少は他人に任せればいい」


 とにかく貞宗は真面目だ。

 そのせいで基本、働き通しである。

 今日ここにいるのも、一乗谷で骸どもが担っていた仕事を他に移転するための打ち合わせに来たに過ぎない。


「色々と仕事を振ってくるのは色葉様でしょう」

「だからといって、お前が全てこなす必要もないんじゃないのか?」

「私は色葉様と違い、人を使うのは不得手ですから」

「地位や名声を使えば何とでもなるだろう」


 貞宗の朝倉家中における地位は低くない。

 堀江景忠や姉小路頼綱、松永久秀などといった一国を預けてある連中に比べれば、貞宗の知行は奥越前と郡上を合わせて十万石程度と、そこまで多いわけでもない。まあ少なくも無いが。


 ただし貞宗に預けてある奥越前はわたしの直轄地のようなものであるし、その代官的地位にある貞宗の立場は決して低くない。

 加えていうならば、わたしの最側近でもある。

 最初の家臣、と言い換えることもできる。


 これを明言すると乙葉あたりが膨れそうだが、家中にはそのように受け止められていることは事実だ。

 早い話、わたしの威を借りればいいのである。

 極端な例では、乙葉あたりでも貞宗の言うことは聞く。


「しかし仮にそれらを人に任せたとして、私はどうすれば良いのです?」

「そんなもの、側近らしくわたしの傍にいればいいだろう」

「そして雑用を申し付けになるのでしょうが」

「悪いか?」


 もちろんそれが狙いなのだが、貞宗も当然そのことをわきまえているらしい。

 はあ、とこれ見よがしなため息までついてくれた。


「それは小姓にお任せになればよろしいでしょうに」

「貞宗だと気兼ねなく色々無理難題を押し付けられるからな」


 普段から家臣に対して気など遣っていないだろうと言われそうだけど、そんなことはない。わたしなりにちゃんと気遣いはしているのである。

 まあ、具体的に、と聞かれると困るが。


「結局私の仕事量が変わらないのであれば、お国の為に働くことを優先させて欲しいものです」

「なんだ。わたしより朝倉家の方が大事か?」

「拗ねないで下さい」

「拗ねてない」

「やれやれ……」

「やれやれって言うな」


 などと言っている間にも、貞宗は目敏く空になった茶碗に茶を点ててくれる。

 雪葉に匹敵する気遣いぶりだ。

 その雪葉が傍にいないものだから、余計に貞宗にはいて欲しかったが、まあ仕方が無いか。


「骸どもに任せていた貨幣の鋳造に関しては、お前が集めた者に任せる。万が一盗みを働くような者が出たら、皮を剥いで吊るせ」

「……そのような者が出ないよう、徹底させます」

「ん、そうしろ」


 今までは銭に無縁な骸どものおかげでよからぬことなど起きようはずもなかったが、人の手でとなれば欲に目の眩む輩も出て来るだろう。

 そういう輩に慈悲などかけるつもりはなかったし、見せしめ程度の役には立ってもらった上で、もがき苦しんで死ねばいいのである。


 わたしがこの程度のことくらい考えていることなどは、貞宗ならば十分に承知している。

 いい意味でも悪い意味でも、だろうけどな。


 その後、細かく打ち合わせをした後、話題は自然、他国の情勢についてに変わっていた。


「わたしはしばらく一乗谷でのんびりしているつもりだったが、そうもいかなくなるかもしれない」

「と、おっしゃいますと?」

「一つは武田の動きだ。これについてはお前も掴んでいるだろう」


 貞宗には主に情報収集を担わせていることもあって、当然、武田勝頼の出兵についても知っているだろう。


「武田のご使者から聞かれましたか」

「信豊がそう言っていたし、昌幸や信春にも確認はとった。詳細は分からなかったが……」

「恐らく小田原を攻めるものかと」


 いきなり敵の本丸を狙うわけか。


「しかし小田原城は、信玄や謙信でも落とせなかった城だろう」

「ですが武田様は、信玄公の落とせなかった高天神城を落としていますからな」

「父親を越えたいわけか」


 偉大な父親を持つと、子が苦労する典型だな。

 だからこその長篠であり、史実であの戦いに敗れた勝頼は、結局信玄を越えられなかったと言われるのである。


「だが東海道を制して、その版図は武田氏の歴史の中でも最大となっている。十分に信玄以上の偉業とも思うがな」

「それは色葉様がご支援されたからこそ」

「……お前が元は仕えた家だ。悪く扱う気もない」


 別に貞宗に恩を売る気があったわけでもない。

 単に当時の情勢において、武田と結んだ方が利があった、というだけだ。


「今の武田は強いからな。小田原を落とせるかどうかはともかくとしても、まあいい勝負はするだろう。それにこの時期を選んだ勝頼は運がいい」

「運がいいとは、どういう意味です?」


 不思議そうに貞宗は首を傾げてみせた。


「羽柴秀吉が謀反するからな。信長は武田どころでなくなる」

「……何ですと?」

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