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第152話 江口正吉


     ◇


 若狭に入ったのは、天正八年三月になってからのことだった。


 若狭国の拠点は後瀬山城であり、以前わたしが陥落させた城でもある。

 あの時はわたしの猛攻のせいで荒れに荒れていたのであるが、今はすっかりと整備されていた。


 出迎えたのは武田元明と、北条父子、そして本多正信である。


 ちなみに後瀬山城はかなりの規模の山城ではあるが、標高が高く防衛には適しているものの日常の政務には向かないことから、歴代の若狭武田氏はその麓に守護館を築き、そこに居城していた。

 わたしが入ったのもその館である。


 これは数日前まで滞在していた八田守護所と建部山城との関係と同じであるし、もっと言えば一乗谷にあるわたしの館と一乗谷城との関係と同じで、戦国時代ではよくある光景なのだろう。


「ようこそお越しいただきました」


 頭を下げる一同に、わたしは上座にふんぞり返って鷹揚に頷いてやる。


「少し疲れた」

「で、ではすぐにもお休みの準備を……」


 慌てる武田元明に、わたしは首を横に振る。

 休みたいのは山々だけど、時間もあまり無いのだ。


「それには及ばない。ただ楽にさせてもらうぞ」


 足を崩すわたしに隣の雪葉がもの言いたげな視線を寄越してきたが、口にはしなかった。


「まずは援軍ご苦労だった。礼を言う」

「ははっ」


 またまた一同が頭を下げる。

 敦賀防衛の際に若狭からの援軍が無ければ、恐らく疋田は抜かれて金ヶ崎城に籠城する羽目になっていたことだろう。

 その際に城下が荒らされれば、経済的な損失は甚大である。


 わたしは元明に援軍の命を出していなかったが、これは疋壇城単独で防げると判断していたからであり、もちろんその読みが外れたからでもある。


 柴田勝家を侮っていたことや、改修させた疋壇城を過信し過ぎていたことが原因だろう。

 これについては反省しなければならない。


「……勝手に若狭を離れたこと、お許し下さい」

「ん、その件か」


 援軍の件は、乙葉が元明の所に乗り込んで半ば強引に要請したことに始まったのだが、当初紛糾したという。

 わたしの命も無く、若狭を離れて軍を出すことについて、である。


 しかしこれを最終的に決定したのは元明で、元明は正信の献策を受けていったん近江国へと進軍し、これを蹂躙しつつ柴田勢を挟撃することに成功したのだった。


 もし織田方がこの動きに迅速に対応していたならば、足止めされて援軍自体が間に合わなかった公算が高い。

 だが賭けに勝ち、見事挟撃を為したのである。


「問題にする気は無い。褒美として大溝城を任す。ここに先鋒として功のあった景広を据えろ」

「はっ!」

「ははっ! ありがたき幸せにて!」


 元は上杉家臣であった北条景広は、当初はさほどわたしに対する忠誠が高かったわけではない。

 降伏も父である高広に説得された面が大きく、渋々といった感じだったのである。


 それはわたしも分かっていたので、先の上洛戦では副将を任せ、若狭攻略では共に戦ってやった。

 それで功を上げれば、知行を与えて応えている。

 そのため以前ほど忠誠が低い、というわけでもなくなっていた。


 北近江の湖西に位置する大溝城は、対織田家の最前線である。ここを守るにあたり、それなりに勇猛な将を配しておきたかったという思惑もあった。


「……されど姫、此度の戦での功一番は、乙葉殿かと思われますが」


 景広がやや遠慮したように言う。

 そういえば一緒に戦ったんだったか。

 だとしたらわたし以上の暴れっぷりを目にしたことだろう。


「乙葉にはすでに褒美は与えている。雪葉と共に、わたしの妹として朝倉姓を与えた。お前達も以後はそのつもりで接してやれ」


 静かに頭を下げる雪葉と、嬉しそうな顔になる乙葉。

 景広や元明はなるほどと頷いて、承知する。


「ところで姫、塩津や長浜は如何されるのです?」


 そう尋ねてきたのは正信だ。

 織田から割譲させた北近江の半分の内、湖西は元明に暫定統治させていたが、湖東は景建に暫定的に統治させている。


「塩津に関しては敦賀防衛で功のあった景建に与えるつもりだ。敦賀と一緒に統治してもらう。そして長浜だが……」


 実を言えば、これが若狭に立ち寄った目的の一つでもあったのだ。


「――江口正吉を連れてこい」


     ◇


 江口正吉とは丹羽家臣の一人である。

 若狭平定の際に、最後まで抵抗した敵将でもあった。


 朽木谷においてわたしが丹羽長秀を破り、これを捕らえたことで、丹羽家臣だったものの大半は朝倉家に降ったのであるが、正吉のみが未だに仕官を断り続けていたのである。


「初めてお目にかかります」


 わたしの目の前に連れて来られた正吉は、憶することなく礼をとる。

 とはいえ臣下の礼ではなく、ただの礼儀の類だ。


 ちなみにわたしの隣では乙葉がかっかし始めていた。

 何せ正吉は乙葉に土をつけた相手であるからだ。


「ずいぶんごねているらしいな」

「……仕官のお誘いはありがたく。されど我が主君は丹羽長秀様なれば、二君にまみえることはありませぬ」


 忠誠心が高すぎるのもこれだから困り者である。

 そしてその丹羽長秀もわたしの誘いを断り、今では北ノ庄に送られて虜囚の憂き目にあっているはずだ。


「長秀の処分は保留しているが、斬首に及べばどうする?」


 織田とは和睦した手前、そんなことはできないが、とりあえずは聞いてみる。


「後を追うまで」


 やっぱりか。

 やれやれ……。


「わたしはお前を買っている。配下に欲しい。今回若狭に立ち寄ったもの、頑固者のお前を説得するためだ」


 事実である。

 正吉の知勇は以前から優れているとされていた上に、乙葉を撃退してそれを証明もしている。


 また義理堅い。

 さらに言えば、まだ若い。

 晴景を支えてくれる臣になってくれれば、と思っていたのだ。


 こういう武将は失いたくない。

 わたしの評価に乙葉が毛を逆立てて嫉妬し始めるので、撫でて宥めてやる。


「とはいえお前は丹羽家に忠誠を誓っている。その丹羽長秀はわたしの掌中なのだがな?」

「……私の決断次第で殿の助命をされると、そう仰せか」

「まるで人質をとっているようだな」


 わたしは笑う。

 いつものあの笑み、である。


「ふふ、心配するな。頭のいいお前のことだ。織田と和睦している以上、その重臣だった長秀においそれと手を出せないであろうことは承知しているのだろう。そしてそれは当たりだ」


 織田家とは長秀の返還交渉が続いているが、今のところ突っぱねている。

 信長も案外優しい。


「長秀はもはやわたしには靡かん。それはいい。だがその嫡男である鍋丸はわたしに仕えることになるだろうし、長秀も容認している」

「なっ……」

「これで丹羽家は存続できるし、信長への義理も果たせるだろうからな。長秀としてはそれでいいのだろう。それで、お前だ」


 どうするのかと、正吉を眺める。


「あくまで丹羽家に仕えるというのならば、それでもいい。何なら鍋丸をお前に預けて養育させてやってもいいぞ?」

「……でも姉様、そんなことして逃げ出したりしない?」


 乙葉の問いに、さてなとわたしは肩をすくめてみせた。

 その可能性も勿論ある。


「織田に走るというのならば、それでもいい。だがそうなったらわたしの性格だ。丹羽の一族郎党は根絶やしにすることになるだろうな。そうさせてしまうこと、それはそれで不忠ではないのか?」


 正吉が丹羽家にこだわらなければ丹羽の者など人質になりえないし、脅迫の材料にもならない。

 義理や忠誠が足枷になってしまうのは、何とも皮肉ではあるが、これを利用しないほどわたしは善人ではない。


「……是非もなし、ということでありますか」

「お前の考え方次第ではあるがな」


 結局正吉は折れた。

 わたしの説得だか脅迫だかのたまものである。


「ですが一つ、お願いしたき儀が」

「何よ図々しい――むぐっ」

「言ってみろ」


 わたしがする前に、乙葉の口は雪葉の手によって遮られていた。

 気の利く奴である。


「朝倉の姫は家臣の指導、教育に力を注がれていると窺っています」

「ん?」


 わたしは首を傾げる。

 恐らく一乗谷でやっている調教のことを言っているのだろう。

 知らぬが仏であるので、敢えて指摘してやるつもりもないが。


「若君は姫にお預け致しますゆえ、立派に育てていただき、元服した暁には若に仕えることを良しとしていただきたく」

「ほう。わたしに預けると言うのか」

「姫は若を人質としましたが、私が働き功を上げれば逆に若に対して良くしてくれるでしょう。そういうお方であるとお見受けしました」


 なるほど。

 つまり手元に置くよりも、わたしに預けた方が安全でより良い生活環境や待遇を得られる、と考えたわけか。


 逆もまた然り。

 わたしが鍋丸を厚遇すれば、正吉もその分働く、ということだろう。

 さすがに頭のいい男だ。


「いいだろう。ならばそれまではわたしの直臣となれ」

「承知致しました」


 よろしい。


「さてそれでだが、お前には長浜城を与える。城主にしようと思っていたが、さっきの話も踏まえ、名目の城主は丹羽鍋丸ということにして、お前は城代として長浜の地を治めろ」

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