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第140話 疋壇城の死闘④


     ◇


 急使を受けて久秀の元を辞した乙葉は、若狭に入って武田元明にまず詰め寄ったのである。


「兵を出しなさい!」


 乙葉の有無を言わせぬその気迫の前に、諸将はぞっとしたように息を呑んだが、それを宥めたのが本多正信であった。


「お待ちを。我らはこの若狭の守備を色葉様に任されている以上、勝手に兵は動かせませぬ」

「でも敦賀が落ちちゃったら、そんなこと言ってられないわよ」


 乙葉の言葉もまさにその通りで、諸将の間では紛糾した。

 というより乙葉が来るまでもなく、援軍派遣については議論されていたのである。


「ここで援軍を出すことも、若狭防衛に繋がるのではないでしょうか」


 結局、元明の決断が尊重され、援軍派遣が決定。

 この時点で晴景からの援軍要請は無かったが、独自に動くことになった。


「そうこなくっちゃ」


 喜び勇む乙葉へと、ならばと献策したのが正信である。


「え? 挟み撃ち?」

「いかにも。このまま直接敦賀に向かうのではなく、いったん近江に入って塩津を攻め落とし、疋壇城攻略中の柴田勝家らを背後から襲うのです」


 問題は北近江に展開されている織田方の兵力が、今のところ不透明であることだった。

 進軍する兵力にもよるが、場合によっては足止めされて援軍どころではなくなるかもしれない。


 そのため諸将からの反対もあったが、色葉より正信の言をよく聞くようにと言い含められていた元明は、これを承認。

 元明自ら総大将となって一万の兵を率い、北条父子を副将として近江へと侵攻を開始。

 ただちに近江塩津に向けて進軍したのだった。


 色葉が若狭に残した一万の兵全てをもってしたことも、半ば賭けである。

 若狭は平定したばかりで兵の動員などままならず、この駐屯軍が守備を担っていただけに、若狭はがら空きになったも同然であったからだ。


 特に若狭に対して警戒していた大溝城の動きは気になるところであったが、これが動くことはなかった。

 動けなかった、ともいえる。


 大溝城主であった津田信澄は当初京にあったが、若狭陥落後は戻ってこれに備えていた。

 色葉は京侵攻の際に近江路を使わずにこれをかすめていったため、大溝城は健在で、若狭方面はもちろん、裏切ったであろう朽木谷方面の警戒を担うことになったのである。


 そんな信澄の元に若狭より一軍が近江今津に侵攻した一報が入ったことで、城内はにわかに緊張を帯びた。

 このまま大溝城を目指すかと思われたからである。


 しかし朝倉勢は今津から塩津に進路を向けて進軍。

 狙いは越前侵攻中の柴田勝家の後背を突くことかと思われたが、動くことはできなかった。


 まずは朽木谷の朽木元綱への警戒を継続しなければならなかったこと。

 また城を守る程度の手勢しか、手元に無かったことも動けない理由であった。

 領内を侵されて信澄は歯噛みしたが如何ともし難く、ただちに京の信長へと援軍要請を行ったのである。


 一方、近江塩津に至った朝倉勢は、北条景広を先鋒にまず塩津城攻略に取り掛かった。

 塩津は長浜と最前線である織田勢を結ぶ、重要な兵站の拠点である。

 また敦賀湊と琵琶湖を結ぶ交通の要衝でもあり、ここを落とせば侵攻中の織田勢は孤立したといっても過言ではない。


 しかし早々に落とさねば勝家はこれに気づき、引き返してくるだろう。

 そうなれば敵中に孤立するのは朝倉勢一万、ということになってしまう。

 こうなれば全滅は必至だ。


 そのため朝倉諸将は猛烈な勢いで塩津城へと肉薄した。

 純粋な力攻めである。

 この際に乙葉も参加して、その猛威を振るった。


 だが弓木城での敗戦を顧みて、正信の助言を自ら受け、正面から攻めた北条隊とは別に一手を率い、搦手から強襲。

 一気にこれを攻め落としてみせたのである。


 塩津を蹂躙した朝倉勢は、この地に集積されていた糧秣をまず焼き払った。

 これで越前侵攻軍はそれなりの打撃を受けたことになる。


 ここで速やかに退くというのも選択肢ではあったが、乙葉がそれを了とするはずもなく、時をおかずに疋田に向かって進軍を開始。

 強行軍で織田勢の後備を預かる原隊に接近すると、これを強襲した。


「あはははははっ! なによ、鎧袖一触ってこのことじゃないの!?」


 この時の越前侵攻軍はまさに疋壇城での死闘の真っ最中であり、後備以外は全て最前線で一度戦った後だった。

 そこに押し寄せた朝倉勢を、虚を突かれた原隊は必死になって食い止めたが、衆寡敵せず。

 徐々に押され、崩れていった。


 この後備さえ抜ければ、後は最前線から下がり、再編中であった傷だらけの部隊があるのみである。

 途端に弱くなったと感じた乙葉はここぞとばかりに暴れまわり、織田勢の背後を蹂躙して回ったのだった。


 しかし敵もやられてばかりではなく、不意に圧力が増す。

 引き返してきた柴田勝家率いる本陣である。

 これも激戦にあって傷ついていたものの、その士気は未だ高く、他と比べられるものでもなかった。


「面白いじゃない!」


 嬉々として乙葉は兵を率い、これと正面からぶつかった。

 疋田の地はまさに大乱戦となったのである。


「ほう。あれに見えるは狐の尻尾。であればあれが噂に名高い朝倉の狐姫か」


 戦場で一際目立つ乙葉の姿を認めた勝家は、ならば腕試しよとばかりに馬を走らせ、これに肉薄した。


「ぬぅうぅうん!」

「!?」


 まさに雑兵を首を刎ねようとしていた所を、乙葉は邪魔されて弾かれる。

 そして目にしたのは鬼気迫る雰囲気を持った武将だった。


「――名にし負う敵将ってとこ?」

「我こそは織田の総大将・柴田勝家である!」

「柴田? へえ、お前が?」


 乙葉はにやりと笑う。

 大将首が眼前に現れたからだ。


「貴様が朝倉色葉とやらか!」

「はぁ!? 違うわよ! 妾は朝倉乙葉! 色葉様の一番の家臣よ!」

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