第124話 丹後侵攻
/色葉
「それじゃあ色葉様! 行ってくるね!」
元気一杯、というよりは気合の入りまくった乙葉が戦装束に身を包み、わたしへの挨拶をすませて部屋を出ていく。
「久秀、うまくやれ」
「自分のものは自分で手に入れるまで。お任せあれ姫」
一緒に来ていた松永久秀・久通父子もまた挨拶をすませ、乙葉の後を追うようにわたしの前を辞した。
丹波亀山城。
丹波国の新たな拠点の一つとしてわたしが普請させ、京での織田との合戦以来、半月ほど居座っている城である。
新しいこともあって居心地は悪くない。
悪くはないが、さすがにそろそろ出歩きたいものである。
今日などは久秀率いる朝倉勢一万五千が丹後攻略に向かう日であり、外まで見送りに行きたかったくらいなのだが、安静にしていろとみんなに言われて渋々引き籠っているわけだった。
特に雪葉がうるさいのである。
まあ、心配してくれているのは分かるけど。
ちなみに織田との戦は現在膠着状態となっていた。
京ではまあ引き分け……といったところだろうか。
まあ丹波や若狭はしっかりと落としたのだから、戦略的には今のところ問題は無い。
ただ今後の動きやすさのためにも、京の織田主力は一度徹底的に叩いておきたかったのだが、さすがにそこまではうまくいかなかった、というわけだ。
そしてそのことが、現在の丹波、山城国境での睨み合い、という形での膠着状態に陥っている原因でもある。
失敗というほどでもないとはいえ、世の中そう思った通りにはいかない、ということだろう。
桂川の敗戦はわたしの読みが足りなかったことに起因するし、洛中戦ではわたし自身の不調に足を引っ張られたことも撤退の原因である。
となると、まるでわたしが一番悪いみたいで一人悶々としていたのだけど、そんなことなどどうでもよろしいとばかりに周囲の者はわたしの身を案じるばかりで、もはやこの城に軟禁状態でもあった。
というのも、どうやらわたしが懐妊しているから、らしい。
おかげで敗戦や撤退が続いたにも関わらず、朝倉勢の士気はさほど下がらなかったのは意外だった。
みんなしてわたしの懐妊を喜んでいるらしいのである。
まあ確かにめでたいことなのかもしれないが、現金な奴らだ。
しかし懐妊、ねえ……。
実感が湧かない上によくわからない、というのが本音である。
今は体調も落ち着いていて何も問題無いのだけど、身体のことを聞こうにもアカシアは相変わらずだんまりでうんともすんとも言わないし。
結局、色々考えていたら少し気が抜けてしまったのは否めない。
上洛してからしばらく気を張り詰めっぱなしだったこともあり、確かに静養もいいかもしれないが……。
「そうも言ってられないか」
膠着しているとはいえ、今も戦の真っただ中であることには違い無い。
それに京方面では動かないとしても、周辺も同じ、というわけではない。
わたしが上洛、という形で起きた波は、確実に周囲にも影響を与えていたからだ。
今回の丹後攻略も、その一環である。
松永久秀を謀反させるにあたり、わたしは丹波一国と追加で丹後国も与える約束をしていた。
もちろん、今のところ丹後国は未だ朝倉の支配するところではない。
となれば当然、これを手に入れる必要があったわけである。
現在丹後国を支配しているのは一色家であり、その当主は一色義道。
かつて室町幕府においては赤松氏、京極氏、山名氏らに並ぶ四職の一家として、まさに名門中も名門であった氏族である。
が、今では見る影もないのであるが。
「本来ならばわたし自ら平定するつもりだったんだがな」
本音である。
臣従を迫り、従うならば良し、従わないのならば一気に踏み潰してやった上で、久秀にくれてやるつもりだったのだが……。
「なりません、姫様。今の姫様が戦場に赴くなどありえぬことです」
「然様だ。少しは大人しくしておれ」
などと言うのは雪葉と景鏡である。
「……でも元気だぞ?」
「お子に障ります」
そう言われると反論の仕様も無い。
「色葉よ。身体が動くうちに一乗谷に戻ってはどうだ? ここでは落ち着くまい」
そう言うのは景鏡である。
「ここは最前線。万が一、ということもある」
「心配無用だ父上。気持ちはありがたく受け取っておくが、ここから離れる気はない」
わたしと朝倉家の主力が丹波にあって京に張り付いているからこそ、信長は京から離れられない。
畿内の平定はその分だけ遅れることになる。
この隙に武田が動く手筈になっているだけに、余計にだ。
「そういうわけだから雪葉。お前は急ぎ越前に戻れ」
「……ですが」
わたしの命にいつもならば素直に頷く雪葉は、しかし困ったような顔でわたしを見返してくる。
信長とて愚かでは無く、わたしが丹波にいることを逆に好機と捉え、その隙に越前攻略を狙ってくるのは予想の内だ。
実際、どうやら近江国の安土に大軍を集めているとの知らせもある。
敦賀か、若狭かは分からないが、これを突いてくるつもりだろう。
織田家には朝倉家以上の動員力があり、経済力も豊かであるから、まだまだ余力はあるはずだった。
「乙葉様も丹後に向かわれて不在……。となれば、姫様のお世話をする者がおりませぬ」
「それはまあ、ちょっと不便だけど」
「ならば――」
「何度も言わすな雪葉。お前は晴景様の元に行って、晴景様を守れ。命令だ」
現在、越前の守備を担っているのは、わたしの夫である朝倉晴景である。
防備は完璧とはいえ、敵は恐らく大軍。
これを守らせるために、乙葉か雪葉を送り込む必要性を感じてはいたものの、乙葉が丹後攻略を買って出たので必然的に雪葉が越前に戻ることになったのだ。
「しかし、心配です……」
雪葉がわたしの身を案じていることはよく分かる。
今のわたしは雪葉や乙葉に劣る上に、身重ときている。
ついでにアカシアもどういうわけか、だんまりだ。
誰かが暗殺でも試みるならこれ以上の好機は無いだろう。
「せめて華渓を呼び寄せるまで、お待ちいただけませんか」
「時間が無い。織田はすぐにも来るぞ」
「…………」
華渓というのは元は上杉景虎の妻で、その子を含めてわたしが保護し、雪葉に命じて育てさせていた人物だ。
人間ではあったものの、わたしが彼女を助けた際に色々あって、後から妖になってしまった存在でもある。
雪葉の側近のような立ち位置でもあるが、雪葉が徹底して教育・指導したこともあって、雪葉に似て冷徹なところがあり、ついでにわたしへの忠誠は高い。
雪葉の手が回らない時は、代わりにわたしの身の回りの世話をしてくれており、しかし今は一乗谷に置いてきたのでここにはいないというわけだ。
「いいか、雪葉。これは功を上げる好機でもある。乙葉は丹後で功を上げるだろうから、お前も負けたくないだろう? 織田の大軍を打ち払い、これを晴景様と共に撃破してみせろ。その方が嬉しいぞ」
「……やむをえません」
断腸の思い、といった感じで雪葉は頷いた。
雪葉を向かわせるのは晴景の護衛という意味もあるが、何よりわたしの方針を伝えるためでもある。
越前を出る前とは状況も変わっているため、色々と修正したものを晴景や貞宗に伝えなければならないからだ。
単身ならば、雪葉の足は人とは比べ物にならないくらい早いし。
「いつ産まれるのかは知らないが、正直不安だ。その時には傍にいろ」
「! はい! もちろんそのつもりです!」
嬉しそうに頷く雪葉。
よしよし。
しかしこればかりは本当に不安だな。
どうなることやら……。