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第118話 桂川の趨勢

◆西上作戦編 登場人物紹介◆


●朝倉家

朝倉色葉あさくら いろは:主人公。狐憑きの妖。朝倉晴景の正室にして朝倉家の事実上の当主。一乗谷の主。


・アカシア:色葉が謎の少女にもらった本。その本に宿った人格。「京介」を「色葉」に作り変えた張本人。


朝倉晴景あさくら はるかげ:色葉の夫。武田信玄の五男。武田勝頼の弟。


雪葉ゆきは:雪女の妖。色葉の側近。


乙葉おとは:妖狐。色葉の側近。


華渓かけい:上杉景虎の正室。道満丸の母。上杉景勝の姉。色葉の侍女。


朝倉景鏡あさくら かげあきら:朝倉家の表向きの当主。色葉の養父。越前北ノ庄城主。


朝倉景建あさくら かげたけ:朝倉一門衆。一門衆筆頭。敦賀郡司。越前金ヶ崎城主。


朝倉景道あさくら かげみち:朝倉一門衆。景建の嫡男。


朝倉景忠あさくら かげただ:朝倉一門衆。晴景の腹心。


磯野員昌いその かずまさ:朝倉家臣。越前疋壇城代。


山崎景成やまざき かげなり:富田流名人・富田景政の門下生。色葉とは兄妹弟子。のちの富田の三剣。


松永久秀まつなが ひさひで:朝倉家臣。丹波八上城主。


松永久通まつなが ひさみち:朝倉家臣。久秀の嫡男。


長連龍ちょう つらたつ:朝倉家臣。能登七尾城代。


大野定長おおの さだなが:元一色家臣。丹後侵攻に伴い、朝倉家に鞍替えする。


●武田家

武田勝頼たけだ かつより:甲斐武田家当主。


武田信豊たけだ のぶとよ:武田一門衆。勝頼の従兄弟。


諏訪景頼すわ かげより:信濃高遠城主。色葉の義弟。


馬場信春ばば のぶはる:武田家臣。信濃深志城代。


跡部勝資あとべ かつすけ:武田家臣。勝頼の側近。


小山田信茂おやまだ のぶしげ:武田家臣。


大熊朝秀おおくま ともひで:武田家臣。


小宮山友晴こみやま ともはる:武田家臣。


●徳川家

徳川家康とくがわ いえやす:徳川家当主。三河、遠江を支配する戦国大名。


石川数正いしかわ かずまさ:徳川家臣。家康の懐刀。


大久保忠世おおくぼ ただよ:徳川家臣。遠江二俣城主。


大久保忠教おおくぼ ただのり:徳川家臣。忠世の弟。


本多忠勝ほんだ ただかつ:徳川家臣。


井伊万千代いい まんちよ:徳川家臣。家康の小姓。


●織田家

織田信長おだ のぶなが:織田家当主。尾張、美濃、近江、伊勢、畿内を支配する戦国大名。


織田鈴鹿おだ すずか:信長と帰蝶の娘。


大嶽丸おおたけまる:鈴鹿が使役する鬼。


柴田勝家しばた かついえ:織田家臣。鬼柴田。


佐久間盛政さくま もりまさ:柴田家臣。鬼玄蕃。


前田利家まえだ としいえ:織田家臣。勝家の与力。


・佐々成政さっさ なりまさ:織田家臣。勝家の与力。


明智光秀あけち みつひで:織田家臣。近江坂本城主。


村井貞勝むらい さだかつ:織田家臣。京都所司代。


黒田孝高くろだ よしたか:羽柴家臣。通称官兵衛。


井上之房いのうえ ゆきふさ:黒田家臣。


●毛利家

安国寺恵瓊あんこくじ えけい:毛利家臣。外交僧。


     /


 時はやや遡る。


「なに、信長が荒木勢へと矛先を変えたじゃと?」


 その夜、織田勢の急襲の中にあって態勢を整えていた松永久秀の下に、不穏な報告がもたらされていた。

 朝倉・荒木連合軍と織田勢は桂川を挟んで対陣に、睨み合いが続いていたものの、この夜ついに動きがあったのである。


「京が危ういとみて信長が動くは予想のうちじゃったが……。して、戦況は?」

「はっ。信長率いる本隊と思しき一軍は、朝倉主力である大殿の手勢と一戦交えた後、すぐにも転進。後詰の荒木勢へと向かったとのこと。お味方である第三陣である姉小路殿は続いて渡河してきた明智勢と戦闘中です」


 松永家家臣である岡国高の報告に、久秀は唸った。


「なるほどの。我らの手勢のみが蚊帳の外に置かれたか」

「そうでもありませぬぞ、父上。確かに我らは直接の戦闘には至ってはおりませぬが、対岸からの鉄砲の集中砲火にさらされております。これでは身動きとれますまい」


 久秀の嫡男である松永久通の言葉に、久秀は鼻を鳴らした。


「そうして動かさぬのが恐らく信長の狙いじゃ。つまり動けば勝機も出てこようというもの。今のままでは……ちと危ういな」

「危うい、とは?」


 首をひねる久通。

 確かに奇襲は受けたものの、今のところ朝倉勢は十二分に応戦しており、勝敗に優劣は無いように思える。


「信長がそのまま朝倉本陣と決戦に及んでいたならば、こちらとしては当初の予定通りであり、敵を引き込んでの足止めはうまくいったやもしれん。しかし……信長めはまるでそれを見越したかのように、矛先を変えたのじゃろう? 荒木勢はやられるな」

「そうはおっしゃいますが父上、後詰である荒木殿の陣を狙うなど、敵陣に深入りするもいいところ。我らの織田勢を引き込むという策通りなのでは?」

「つまり飛んで火にいる夏の虫、じゃと?」

「然様では」

「たわけ、たわけ」


 久秀は苦く笑う。


「今回の色葉姫の策、荒木勢の存在を想定しておらん。頼りにしていないというべきか。そのためまず荒木勢がうまく動けんじゃろう。ついでに言えば、朝倉勢はわしが思っていた以上に精強ではあるが、想定外のことに弱い」


 これは久秀が朝倉勢と合流し、その一軍や諸将を見回って思ったことでもある。

 朝倉の武将の平均値は高いような気もする一方で、際立った者がいない。

 これは色葉が手ずから鍛えたことにより、諸将の能力は底上げされているものの、元より平凡な将が多かったことに由来するものだ。


 また色葉の影響力が強すぎる。

 その統率力もそうだが、何より色葉への信頼が厚すぎるのだ。

 そのためかの姫の命令に対しては、諸将どころか一兵卒まで忠実にこなそうとする雰囲気がある。


 これは色葉自身が率いた時は脅威となるが、不在の時には……実に悩ましい弱点となるだろう。

 色葉が事前に与えた策が、必ずしもうまくいくとは限らないからだ。

 現に今、裏をかかれつつある。


 ここに本人がいれば即座に対応できたであろうことも、色葉への信頼が強すぎてそのまま愚直に実行してしまっては、それこそ惨事となってしまいかねない。


「……なるほどの。姫があまり表に出たがらんのはこういう場合を危惧してのことか。されどその影響力はもはや強すぎるわ」


 かつて朝倉勢は上杉勢を相手に大敗したことがある。

 その時の敗因は、色葉の命を守らずに城を守る将が勝手に動いてしまったことが原因だった。

 そのため朝倉の諸将は、余計に色葉の命は絶対だと信じて従う嫌いがあることは否めない。


「世の中良し悪し、一長一短、裏表……まあよくあることじゃ。こういう時こそ、我らのような新参者が動くのが良いのじゃろうよ」


 色々と得心のいった久秀は、すぐにも決断した。


「こちらも渡河攻撃を開始する。なに、鉄砲などこの暗さゆえ当てずっぽうに過ぎん。闇に紛れて逆撃と洒落込むぞ」


     ◇

「なに、朝倉が渡河しただと?」


 朝倉本陣を相手に激戦中の信長の元にもたらされた知らせに、思わず舌打ちする。


「はっ! 動いたのは松永久秀の一軍かと思われます!」

「……あの男め、やはり戦上手であるな。嫌な時に嫌な動きをする」


 信長の戦術は功を奏し、まず油断していた荒木勢を軽く一捻りした後、即座に転進して救援に駆け付けた朝倉景鏡率いる朝倉主力と激突。

 これは当然なまなかな相手ではないが、奇襲を受けた朝倉勢と荒木勢を破った後の織田勢とでは士気に差があった。


 また信長が荒木勢へと矛先を変えた際、それを即座に追撃する動きにならなかったことは信長にとっては幸いであり、朝倉にとっては敗因となった。


 織田方の予想外の動きに、朝倉方が慎重になり過ぎたことや、まさに久秀が危惧していたように、色葉の指示に無かった信長の動きに対応が遅れたためともいえる。

 うまくいけば朝倉方にとっては挟撃の好機であったにも関わらず、これを逃したことは何とも惜しいことだった。


 一方で織田勢にとっては各個撃破がなり、今まさに朝倉本陣を呑み込もうとする勢いである。

 そんな時に水を差してきたのが、件の久秀だったのだ。


「こうなると、光秀が勇んで出てきたことも逆効果か。褒めるべきか叱るべきかややこしい奴だ」


 明智光秀は本来、渡河攻撃する信長に代わって織田方の本陣を守るはずであったのだが、自らも打って出、これが朝倉勢の動きを鈍らせた要因になったことは確かであり、信長の荒木攻めを確実に成功に導いたともいえる。


 しかし一方で、織田方の本陣が手薄になったこともまた事実だった。

 そのため松永勢の渡河攻撃に対し、十分な対応ができないであろうことも、また確かだった。


「やむをえん。まだ不十分ではあるが、それなりに敵を蹴散らした。急いで引き返すぞ! 光秀にもその旨伝えよ!」


 信長の判断は早く、朝倉本陣を崩したところで即座に軍を退いた。

 これに対する松永勢の動きも迅速で、信長が引き返してくることを知った久秀は深追いせず、織田方の動きに合わせて手勢を引き揚げる。


 この時の松永勢が織田方に与えた被害はそれなりではあったが、勝敗を左右するほどのものではなかった。

 しかし信長を転進せしめ、朝倉本陣の壊滅を防ぎ、朝倉方の一方的敗北を回避させたことは確かであり、老将・松永久秀の名は改めて両軍の中で再認識されることになったのである。


 ともあれ第二次桂川原の戦いは織田方の勝利に終わった。

 当然織田方の士気は奮い立ったが、戦勝に沸き立っていられたのは僅かな時間に過ぎず、慌てて陣を退きはらって洛中へと取って返すことになる。


 北より京を侵した朝倉勢が一気に南下し、二条城を囲んだという急報がもたらされたからである。

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