第116話 第二次桂川原の戦い
◇
そして翌日の深夜。
大原へと兵を進めていたわたしの元に、使者に出していた乙葉が大慌てで戻ってきたのだった。
「先手を打たれたか」
乙葉の報せは信長が桂川を渡り、朝倉勢に対して夜襲をかけたというものである。
「戦況は」
「もうぐちゃぐちゃ。夜だし何がなんだか……」
要領を得ない乙葉の説明に、それでも一つ一つ状況を問い質し、ある程度の戦況を把握したわたしは渋面を作りつつ舌打ちした。
「想定内だがやはり敗戦は不愉快だな」
わたしの不機嫌に、珍しく乙葉が怯えるような表情をみせる。
「い、色葉様……」
「ん、どうした?」
「その、ちょっと怖い……」
見れば乙葉の尻尾は緊張したかのように、どれもがぴんと張っていた。
ふむ……?
そんな乙葉の様子に、改めて自分を客観的に振り返る。
ここしばらくの気分の悪さから、周囲に家臣どもがいない時などは、妖気の抑えが甘くなっていることは認めるところだ。
とはいえ今の妖気は乙葉の方がわたしよりもずっと強い。
それでも質の差はあるようで、妖気の大小に関わらず乙葉ですらわたしを畏れることがある。
この辺りはやはり、真っ当な妖である乙葉と、アカシアに作られたわたしとの差、なのだろう。
「お加減、やっぱり良くないの?」
「……自制できないくらい、苛々していたみたいだな。お前に言われるまで自覚も無かったが……すまない」
頭を撫でてやれば、乙葉もやや緊張が和らいだようだ。
「体調は今は悪くない。ただ普段こういうことに慣れていないせいか、慢性的な調子の悪さからストレスが溜まっていたようだ」
「すとれす?」
なにそれ、と聞き返してくる乙葉に、わたしは意表を突かれつつも納得する。
思わず使ってしまったが、この時代にそんな言葉は伝わっていないし、そもそも世界中どこを探しても存在していないのだろう。
「この時代の表現に直すとどう言えばいいのか……難しいな。強いて言えば、呪い、のようなものか」
「の、呪い? 色葉様――大丈夫なの?」
「はは、大袈裟に考えなくてもいい。発散すれば解消できる類のものだ」
この体調不良が治れば勝手に消えるだろうが、京方面の戦況が別種のストレスになっていたことも、ここは認めざるを得ないだろう。
案外緊張していたらしい。
信長の先制攻撃は予想の範囲ではあるものの、かといってされて嬉しいものではない。
そもそも想定よりも一日ほど動きが早い。
さすがは織田信長、ということか。
「乙葉、悪いがもう一仕事頼む」
「うん。妾は大丈夫」
「連龍の所に赴き、進軍を急がせろ。わたしの手勢か、連龍の手勢かどっちでもいいが、京に侵入次第攻撃開始だ」
とにかく今は時間の勝負である。
「……妾もそのまま戦っていいの?」
「ああ。暴れろ。存分にな」
「やった♪」
「目標は二条城。これを落とすぞ」
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大永七年二月。
かつてこの桂川を挟んで戦が行われたことがあった。
当時の管領・細川高国に対し、波多野稙通が反旗を翻したことに端を発した騒乱で、高国ら室町幕府軍に対し、波多野・三好連合軍は桂川にて激突し、最終的に連合軍の勝利に終わった合戦である。
結果、室町幕府の権威は失墜し、また丹波の国人に過ぎなかった波多野氏は戦国大名へと昇格し、その最盛期を築くことになった。
それから五十年。
室町幕府はすでに滅び、波多野家もまた滅びたが、今や再び同じような展開のもと、桂川を挟んでまさに合戦が行われようとしていたのである。
かつての波多野・三好連合軍に代わるのは、朝倉・荒木連合軍。
迎え撃つ織田勢は、かつての幕府軍に相当すると言えるだろう。
天正七年七月十九日。
それまで睨み合うだけであった両軍が、ついに動きをみせた。
「刻限だ。撃てぃっ!」
明智光秀の号令の元、織田家自慢の鉄砲隊が対岸の朝倉陣中に目掛けて一斉射撃を開始。
夜間の突然の攻撃に、朝倉の陣は蜂の巣をつついたような騒ぎになるまで、さしたる時間はかからなかった。
とはいえ夜の闇とこの距離である。
奇襲とはいえ、朝倉勢にさほどの被害が出ようはずもなく、やがて態勢を整えた朝倉鉄砲隊も、猛烈に撃ち返してきた。
その数は織田鉄砲隊に勝るものではないものの、十分に数が揃えられており、油断できない脅威である。
「怯むな! どうせ当てずっぽうだ。当たりはせん!」
それはこちらの攻撃も同じことではあったが、ここで敵に打撃を与えることがそもそもの目的ではない。
敵が撃ち返してきたことで、轟音が周囲に絶え間なく響き、まさにそれが光秀の目的とするところであったのだ。
すなわち、陽動である。
「義父上、御頼み申します」
「うむ。任せよ」
敵からも十分な轟音を得たところで、光秀は舅に当たる妻木広忠に命じて鉄砲隊を分け、別動隊を担わせた。
その任務は渡河部隊の援護である。
「利三、後を任すぞ」
「……はっ。しかし、まことによろしいのですか?」
心配を隠そうともしないのは、明智家重臣・斎藤利三である。
「殿だけに渡河させるなど、私の面目にかかわる。ここの指揮はそなたがいれば十分だ。作兵衛を借りるが、その功はそなたの功と思えば良い」
今回の渡河作戦による急襲は、光秀率いる中央の鉄砲隊が派手に銃撃し、朝倉勢の注意を引き付けるところから始まった。
川を挟んでいるため、鉄砲の撃ち合いとなることは必然である。
かつての桂川原の戦いにおいては、鉄砲は未だ伝わっていなかったため、矢による応酬から始まったという。
これを第一の陽動とし、次に明智隊が上流から渡河を開始。
これが第二の陽動である。
この部隊は元々斎藤利三が指揮するはずであったが、ここに来て光秀自身が指揮をすると主張し、家臣である利三も認めざるを得なかったのだった。
当然この任も危険である。
そして十分に敵を引き離したところで、信長が率いる織田本隊が渡河を決行する予定で、その援護として広忠率いる鉄砲隊がその援護を担うことになっていたのだ。
「殿のことはお任せを!」
陽動の渡河部隊は利三の部隊が行う手筈だったこともあり、利三の家臣であった安田作兵衛もこの渡河作戦に参加することになっている。
作兵衛はその武勇で明智家の中でも名を知られた武将だ。
「頼むぞ作兵衛。ここで殿に何かあれば話にならぬ」
「ははっ!」
信長は勿論のこと、光秀まで最前線に出張っては、何かあった際にどうにもならなくなる恐れがある。
とはいえ渡河作戦は決死の覚悟が必要であり、総大将や大将が自ら先頭に立ったことは、否応なく織田の将兵の士気を奮い立たせたのだった。
これに対する朝倉・荒木勢は奇襲の混乱から十分に立ち直ったとは言い難かったものの、ともあれ織田主導により合戦は開始されるに至った。
第二次桂川原の戦いである。