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第114話 信長の戦術


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「五郎左が敗れただと?」


 丹羽勢壊滅の報せは、京の信長の元にも急ぎ届けられていた。


「はっきりとは分かりませぬが、丹羽殿の生死は不明であると」


 光秀の報告に、信長は苦い顔になる。


「では、若狭は落ちたか」

「恐らくは」

「……こちらが陽動だったとはな」


 現在、織田の主力は桂川に沿って展開していた。

 丹波方面から押し出した朝倉景鏡率いる朝倉勢二万は、しばらく山城国境に布陣していたものの、数日前に進軍を開始し、京へと侵入。

 荒木勢もまた、これに呼応して進軍し、朝倉・荒木連合軍と織田勢は桂川を挟んでの対陣に至ったのである。


 ここで両軍睨み合いとなっていた最中に、急報がもたらされたのだった。

 すなわち、丹羽長秀の敗北である。


「丹羽殿が敗れたのは朽木谷であるようですから、朝倉勢は先んじて若狭を攻略し、待ち受けていたものと思われます」

「即座に京に攻め寄せて来なかったのは、若狭を優先させたからか」

「はい」


 つまり朝倉は、目先の利よりも後先を考えて動いた、ということである。

 あの姫の采配であるかどうかは知らないが、かなり慎重な性格であるらしい。


 慎重であることは疑いようも無いが、しかしかなりの猛将でもある。

 報せでは長秀を破った朝倉勢はそのまま南下し、この京を目指して進軍中であるという。

 つまり京の織田勢を挟撃する算段なのだ。


「……信忠を飛騨に向かわせたのは早計であったな」


 織田信忠率いる美濃衆や徳川家康の連合軍は飛騨へと向かわせたものの、これは朝倉、武田の連携を阻止する意味もある一方で、朝倉勢への動揺を誘う意図もあった。

 しかし朝倉勢はその意図に反して飛騨方面は気にもかけず、東西からこの京を挟み込むため進軍中である。


「肝の太い狐め」

「確かにあの姫ならば、とも思いますが……」

「光秀、五郎左を負かしたのはその狐なのだろう? 坂本城は持ち堪えられるのか」


 今のところ桂川にて対陣している朝倉勢の中に、件の姫の姿は見当たらない。

 となると、兵を分けて若狭に攻め入ったのは十中八九、色葉だろう。

 となれば、長秀を破ったのも色葉ということになる。


 その色葉率いる朝倉勢が、今や琵琶湖の西を南進し、まさにこの京を突こうと進軍しているのだ。

 いつかの志賀の陣同様、朝倉勢は坂本へと進軍しつつあるはずである。

 ここで食い止めなければ、京の織田勢は朝倉勢により挟撃されることになってしまう。


「……坂本城に駐留する我が手勢は千程度です。対して朝倉勢は一万余とか。かつて森殿は二千足らずの兵で朝倉浅井三万の兵を相手に、ついに城を守り切りました。此度の朝倉勢は一万程度ならば、当然防いでみせるとお約束致します」

「うむ」


 光秀の手勢の大半は、すでにこの京にある。

 そのため居城である坂本城は手薄ではあるものの、籠城に徹すればそう簡単に抜かれない自信はあった。


「とはいえ援軍は必要か」

「手勢は置いていきますゆえ、私は城に戻ることをお許しを」

「それはならん」


 信長は即座に光秀の意見を却下する。


「ですが……」

「よいか光秀。敵は挟撃という策をとってきたが、結局は兵力の分散に等しい。我らから言えば、これは各個撃破の好機ともいえる。もしあの狐が連れてきた五万もの兵が相手であったならば、こちらは防御に徹するしかなかっただろう」


 数の上では織田勢が不利であり、しかし兵站に不安のある朝倉の大軍と長期間の対峙に至れば、自然にその士気は下がり、つけ入る隙もあると踏んでいたのである。

 しかし色葉は兵を分け、兵站の確保を優先したらしい。


 その一方で丹波に残した兵を山城に進出させ、京を脅かしつつも積極的な攻勢をかけさせず、時間稼ぎをしていたのだ。

 その間に色葉は若狭を目指し、これを攻略し、若狭へと戻る途上であった丹羽勢を打ち破り、余勢をかって近江を侵略しつつ、この京に迫っているのである。


「兵を分けたことに気づかなかったことはこちらの失策であるが、まだ間に合う。ここで一気に京の朝倉勢を打ち破り、丹波に押し返した後で坂本に急行し、朝倉の南下軍を迎撃する他無い」

「確かに……。とはいえ際どくはありますな」


 こちらも敵に合わせて兵力を分散させれば、逆に各個撃破される可能性が出てきてしまう。

 となれば信長の言うように、覚悟を決めて目の前の敵から順次撃破していく他無いだろう。

 そしてそのためには、坂本城がどれほど時間を稼いでくれるかで、勝敗の行方は変わってくるのは間違いない。


「対陣している朝倉勢が動かないのは、間違いなく別動隊を待っているからに他なりません。となればこちらから仕掛けなければなりませぬが、そうなると渡河せねばならず、当方に不利となりますぞ」


 これまでは桂川が天然の要害となって朝倉勢の進軍を防いでいたかのように見えたが、短期決戦を望む以上、これが逆に足枷となっていた。

 しかし信長ならば渡河しての急襲を決行するだろう。


「心得ている。が、やらねばならん。猶予は一刻も無い。今夜、俺が自ら一軍を率いて渡河攻撃を敢行する。光秀、そなたは鉄砲隊を率いて朝倉の陣に対して一斉射撃を浴びせかけ、怯ませろ。敵がこちらの渡河に気づいたならば、鉄砲隊によりこれを徹底的に援護せよ」

「し、しかし、それではあまりに危険かと!」

「構わん。この戦い、渡河せねば勝利はないぞ?」


 信長の気迫に、光秀は頷くしか無かった。

 光秀をして思うのは、主君である信長は自ら兵を率い、窮地にあってもそれをことごとくはねのけてきた運があることだ。


 桶狭間などもそうであるし、天正四年の天王寺砦での戦いでは信長自ら救援に駆け付け、銃撃により負傷しながらも勝利し、光秀の命を救ってもいる。

 となれば、今回も従うことこそが最良だろう。


「かしこまりました。ただちに出陣の準備を整えます」


 光秀は首肯し、支度を整えるために即座に陣を出た。

 京の情勢は、にわかに慌ただしくなったのである。

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