第9話 来訪者
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内ヶ島氏の支城の一つ、向牧戸城のある荘川村からやや山奥へと入った場所にある廃寺が、わたし達の一時的な住処になっていた。
ちなみにこの飛騨国を支配しているのは姉小路氏であるものの、内ヶ島氏は白川郷一帯に独自の勢力を築いており、独立勢力として存在している。
この白川郷は山国である飛騨国の中でも峻嶮極まりない陸の孤島であり、身を隠すには最適だったこともあって、比較的長く滞在していた。
夜になり、月明かりを頼りに山道を進んでいく。
わたしにとっては月明かりだけでも十分であったが、同行している貞宗は難儀そうで、自然、わたしが先導する形になっていた。
そしてその貞宗の後ろを、十体ほどの骸骨が、ぞろぞろとついてきている。
本日の戦利品というか、例の野盗のなれの果てだ。
朽ちた山門を潜り、寺の敷地に入ると、明らかに雰囲気が変わる。
どうしようもないほどに、妖気が満ちていた。
ここに住み着いて三週間近く経つが、もはや亡者の巣窟となってしまっているからである。
寺の周囲には、これまでに増えた亡者が見え隠れしており、まさに地獄の様相だ。
運悪くここに旅人が迷い込もうものならば、二度と日の光を拝むことは叶わなかっただろう。
今のところ、そういうことはないようだったが。
本堂の前まで来たところで、その前に控えていた三体の鎧武者が足早にわたしの前に揃うと、膝をついて礼をとった。
「お帰りなさいませ。色葉様」
直隆の言葉に、頷いてみせる。
「留守中、変わったことは?」
「それが……」
言い淀む、弟の直澄。
すぐに違和感を覚えた。
他の連中はともかく、直隆と直澄、隆基に関しては中に入ることを許している。
それが外にいたこと自体、少しおかしい。
わたしのことを待っていたにしては、この得も言われぬ緊張感は何なのだろうか。
当初は話すことができなかった直澄と隆基も、今では生前のように会話をすることが可能になっていた。
最も強力な個体はやはり直隆であるものの、直澄や隆基もそれに準ずる程度には成長している。……すでに死んで亡者になっているというのに、成長という表現を使うのもあれだが、まあそんな感じだ。
そういうわけで、この三体はかなり強い。
生前も猛将だったらしいから、余計にだろう。
しかしそんな三体が、どことなく緊張をみせている。
わたしを前にする時にみせるものとはやや違うもの。
敢えて言うならば、警戒している――といった雰囲気が近いのだろうか。
「何かあったのか?」
「客がみえておりまする」
「客?」
それは思ってもみなかった返事だった。
こんな所に客が来ること自体がありえない。
「誰か、旅人でも迷い込んだのか?」
そういったことならばありえるかもしれないが、それは旅人にとって不幸なことであったと諦めてもらうつもりだった。
というかわたしに断りをいれるまでもなく、亡者どもの餌食になっていただろう。
「いえ……それが、その。色葉様にお会いすべく参ったと、そう申しておりまする」
答える直隆の声がわずかに震えていた。
恐怖している?
この直隆が?
少なくともわたし以外に、直隆がこういう態度をみせたことはない。
「お、お気を付け下さい」
どこか上擦った声でそう言うのは隆基だ。
「ふうん……」
どうやら招かれざる客人が、本堂の中にいるのは間違いなさそうだ。
しかも勇猛なこの三体が恐れるような相手。
「色葉様、これを……」
隆基が手にしていた本を、おずおずと差し出してくる。
出かける前に隆基に預けていたアカシアだ。
放っておくとぺらぺらとしゃべり通りしてうるさくてしょうがなかったので、しばらく隆基に渡しておいたのだった。
『…………』
手にしても、反応は無い。
どうやら置いていかれたことで、拗ねているらしい。
まあいいか。
静かだし。
それよりも客……ね。
「で、誰が来てるんだ?」
「名を明かしてはおりませぬ……」
「申し訳ございませぬ。我らではとても相対すること叶わず……」
苦々しい直澄の様子から、面倒な客であることはもはや疑いようがなかった。
誰だか知らないが、こうなると直隆らが無事であったことは、僥倖だったというべきかもしれない。
「わかった。ご苦労」
そのまま本堂に向かって歩を進めると、慌てたように三体が立ち上がった。
「お供を!」
「いい。お前らでは分の悪い相手なんだろう? 足手まといはいらない。――ああ、貞宗、お前はついてこい」
「……は」
仮に直隆が敵わないような相手であるのならば、貞宗とて同じである。
とはいえ貞宗は人間ということもあってか、呪法的な効果にかかりにくいという利点があるのだ。
わたしの支配力が上ならば問題無いが、そうでなかった場合、最悪直隆らが敵になる可能性もある。
わたしが、例の南蛮人から直隆の支配を奪ってしまったように、だ。
敵になったところでわたしとの力の差は歴然であるものの、面白くはない。
「お前らは下がっていろ。――なに、心配するな。相手は話し合いに来たんだろう? なら話し合いで解決させればいい」
適当なことを言いつつ、わたしは本堂の扉の前へと進む。
慌てて貞宗が前に出て、その引き戸を引いた。
「……ん?」
くたびれた本堂の奥――その薄暗い中に、確かに誰かがいる。
客人のくせに、我が物顔で上座に座っているやつ。
……女、か?
「――誰だ?」
単刀直入に尋ねる。
返ってきたのは、くすり、という僅かな笑み。
「これは……話に聞くよりもずっと、可愛らしいお顔ですわね。だというのに乱暴なお言葉だこと」
そのギャップがたまらない、とばかりに女はくすくすと笑う。
こいつ……。
「ずいぶん無礼な奴だな。まず名乗ったらどうだ?」
「確かに」
女が頷いた瞬間、薄暗かった室内が明るくなった。
青白い光。
蝋燭の明かりなのではなく、宙に浮かんだ青い炎による明かりだった。
しかし複数個、女の周囲に浮かんでいる。
これ――は。
『鬼火の類かと思われます』
わたしの警戒心を感じ取ってか、アカシアがそんなことを言ってくる。
鬼火って……。
「わたくしは鈴鹿と申します。貴女様の御名を伺っても?」
こっちの心境を知ってか知らずか、鈴鹿と名乗った女は微笑みながらそう口を開いた。
明るくなって分かったが、どうにか少女の域を出たかどうか、といった容貌の女だ。
そして絶世の、という形容詞がつくくらいの、美人だった。
しっかりとした生地の打掛を羽織り、どこか物憂げな表情でわたしを見つめている。
気圧されそうになるのを堪えつつ、わたしは尊大に答えてやった。
「色葉だ」
ああ、くそ。
この女はちょっとやばい。
直隆たちじゃどうにもならないことは、間違いない。
わたしですら気を抜けば、射竦められてしまうのでは、と思ってしまうくらいだったのだから。
「色葉様……。お美しいお名前ですのね。どうぞ、お座り下さいな」
「……どっちが客だかわからないな」
皮肉を交えつつ、わたしはその場に座り込む。
目の前の女のようにお上品に座る練習もしたのでできないこともないが、何だか張り合っても負けそうなので、胡坐をかいて座ってやった。こういう時、袴はありがたい。
部屋の隅では貞宗が最初から膝を折って控えているが、女は気にした様子もなく、完全に無視していた。
わたししか見ていない――ということになるのだろう。
やはり目的はわたし、ということになるか……。
「……で? わたしに会いに来たということだが、本当か?」
「はい。もちろん」
「…………ということは、お前はわたしのことを知っている、ということになるんだが、どこで知った? というより、何を知っている?」
今のわたしは、尻尾も耳も隠していない。
つまり人間でないことは一目瞭然であり、しかしわたしを見たこの鈴鹿という女は少しも驚かなかった。
つまり、最初から承知していたことになる。
「ふふ……。そのように警戒なされないで下さいな? 何も貴女様を取って食おうと思い、ここに参ったわけではないのですから」
――こいつ。
認めたくないが、わたしよりもこの女の方が数段格上だ。
下手を打てばこっちが食われかねないと、本能で悟ってしまう。
この女は危険だ、と。
「ですが……そうですわね。貴女様がそうやってお姿をさらされているのに、わたくしだけ隠しているというのも確かに無礼でしょう……。あまり人前では見せぬのですが、これもわたくしの誠意とお思いを」
その瞬間、強烈な妖気が渦巻いた。
「――な」
わたしですら驚愕するほどの圧力。
「馬鹿が! 何が誠意だ!」
すぐにハッとなったわたしは、慌てて貞宗の前に移動して、その妖気を自分の妖気でどうにか打ち消す。
「……く、色葉、さま……?」
「立てるのならすぐに外に出ろ! 人間には毒になるぞ!」
返事も待たず、わたしは貞宗を蹴り飛ばしていた。
引き戸を突き破り、本堂の前へと転がっていく貞宗。
今ので負傷しただろうが、ここに居続けるよりはずっとマシだ。
本堂の中は、わたしの妖気と女の妖気がぶつかり合い、熾烈な空間と化していた。
「何のつもりだ!?」
鋭く睨んだわたしが見たものは、鈴鹿の頭部に生まれていた二本の角だった。
鬼の、角。
それがこの妖気の発生源だろうか。
「……この姿を見て覇気を失わないとは、やはり貴女様は本物のようですわね。それに、ずいぶんと家臣想いなこと」
「――鬼、ってやつなのか。お前は」
「ふふ……さて」
面白そうにしながら、鈴鹿は言葉を濁す。
絶対的強者の余裕、というやつだろう。
正直今のわたしでは、とても勝てる気がしない相手だ。
「わたくしはさるお方にお仕えする者です。ゆえあって信濃に参っていたのですが、そこで素敵な噂を耳にしました。戸隠の鬼女、紅葉が復活した、と」
戸隠の鬼女?
紅葉?
「そこでわたくしは美濃に帰る前に、是非その方にお会いすべく、こうして捜し歩いていた、というわけですわ」
「……人違いだろう? わたしの名前は色葉だ。紅葉じゃない」
「ええ、その通りです。そもそもにして貴女様はわたくしと同じ、鬼ではないようです。そのお姿から妖狐の類かとも思いましたが、あくまで形代として利用されているに過ぎないご様子……。もしかして貴女様は、南蛮の方がおっしゃっていた、悪魔、ではないのでしょうか?」
悪魔って……なあ。
わたしを作ったのは悪魔かもしれないが、少なくともわたし自身は悪魔なんかじゃない。
とはいえ文句を言える雰囲気でも無かったが。
「……それで? だったらどうだっていうんだ?」
認めたわけではないが、まずはこの女の目的を知ることが一番だと思い、わたしは先を促した。
「わたくしは、貴女様のことがとても興味深いのです。わたくしにとって、どういう存在になり得るのか。そこで提案なのですけれど、わたくしに仕えませんか?」
「……はあ?」
思わぬ言葉に、つい素で答えてしまった。
いきなり過ぎて、ちょっと意味が分からない。
「今の貴女様は、流浪の身の上のはず。そして不自由をされているとお見受けします。わたくしの元に来て下さるのならば、十分に報いる用意がありますわ」
「……わたしが欲しい、ということか? どうして」
この世界でまだ右も左も分からない状態のわたしにとって、この誘いはもしかすると天祐なのかもしれない。
もしくは不吉な罠か。
「わたくしはこの日ノ本が欲しいのです」
何やらとんでもないことを、あっさりと告白されてしまった。
「ですが、そうしようと思った矢先に、またいつかのように出会ってしまったのです。わたくしはその方と契約し、しばし待つことにいたしました。なぜならばその方がこの国を欲しいとおっしゃったから。わたくしは見守ることとしましたが、その折に貴女様の存在が障害となるのかそれとも助けとなるのか……。だからこそ、このような提案をさせていただきました」
饒舌に、鈴鹿は言う。
なるほど。
どうやらこの国はかなりの危機的状況にいるらしい。
こんな化け物じみた鬼とやらに、目をつけられてしまっているんだからな。
しかしこんな女が、いったいどこの誰に仕えているっていうんだろうな……。
そしてそいつは、天下統一を狙っている、と。
「いかがでしょうか、色葉様?」
男ならば一発で落ちてしまいそうな微笑を拵えて、鈴鹿が再度尋ねてくる。
わたしもまだ男のつもりでいるが、身体がそうでなくなったせいで以前ほどの影響は感じない。というより半分以上は確実に、女になりつつあるのを自覚している。
それでもまあ、魅力的な女ではあった。
とはいえ、だ。
「お断りだな」
わたしは肩をすくめる。
「せっかくというか、たまたまというか……とにかくこの身になったというのに、今さら誰かの下につくつもりはない」
誰かを従えても、従うのは御免だった。
「お前がわたしに仕えるというのならば、受けてもいいが」
何となく押されっぱなし、やられっぱなしだった気がしていたので、今のはせめてものちょっとした挑発だった。
鈴鹿は小首を傾げ、微笑む。
「それも魅力的なご提案ですが、わたくしにはすでに心に決めた方がいらっしゃいますので」
案の定、あっさりとかわされてしまう。
「なら話はこれで終わりだ。帰ってもらおうか」
問題はここからだった。
この女が素直に帰ってくれればそれで良し。
しかし鈴鹿の提案を断った以上、しかもそれが彼女のこの先に悪影響を及ぼすかもしれないと判断したならば、ここで襲ってくる可能性もある。
そして多分、わたしでは勝てない。
さてさて、どうなるやら……。
「それでは、致し方ありませんね」
立ち上がった鈴鹿はしずしずと進み、わたしの目の前を通り過ぎて本堂の入口まで歩み出た。
「今宵は突然の来訪、まことに失礼いたしました。また、お会いしたいものですね」
「……その時はもっと平和的に話がしたいものだ」
「ふふ……お戯れを」
鈴鹿はそのまま踵を返す。
拍子抜けするくらいあっさりと、わたしを見逃してくれたようだった。
どうやって逃げたものかと算段し始めていたわたしにとっては、意外過ぎるくらいである。
外に出ると、本堂の周りにうじゃうじゃ集まっていた骸骨らが目に入った。
どうやらわたしを心配して集まってきていたらしいが、これ以上近寄れずにいたらしい。
というかこの女、そんな恰好でここまでの山道を歩いてきたのか……?
素朴な疑問が浮かんだ、その時だった。
「大嶽丸、行きますよ」
さりげなく、鈴鹿が口を開く。
その瞬間、本堂の屋根から何かが飛び降りてきた。
「っな」
思わず息を呑む。
飛び降りてきたのは三メートルはありそうな巨大な何かで、重い地響きを立てて地に降り立ったのだが、当然巻き込まれた骸が何体も踏み潰されていた。
それは一目で分かるほどの鬼だった。
「待て! 手を出すな!」
直隆や直澄が刃を抜き放ち、反射的に襲い掛かろうとしたのを寸でで制止する。
直感だが、恐らくこの鬼にも、わたしでは叶わないと悟ったからだ。
大嶽丸という鬼に大切そうに抱きかかえられた鈴鹿は、その高見から改めてわたし達を睥睨する。
「――色葉様、最後に一つだけ」
「……何だ?」
「このまま帰るだけ、というのもつまりませんので……少しだけ悪戯をさせていただきました。悪く思わないで下さいね?」
「悪戯……? おい! 何を――」
したんだ、と聞き返す間も無く、鈴鹿を連れた大嶽丸は先へと歩み出す。
何体かの骸骨が蹴散らされ、砕け散ったが、何も言えない。
「では、御機嫌よう」
そのまま見送るしかなかったわたしたちだったが、完全にその姿が見えなくなってから、ようやく肩を力を抜くことができた。
満ちていた妖気も徐々に収まっていく。
いや、まだ抜くには早い。
「色葉様――ご無事で!」
比較的近くにいた隆基が慌てて駆け寄ってくる。
問題無いと告げたわたしは、改めて周囲を確認した。
主人公である色葉がそれなりにチートのように見えるのですが、現状において、この時代の妖の中では決して強力な個体、というわけでもありません。中の上、といったところでしょうか。
ちなみに人間の中にも、色葉と互角、もしくは軽く上回るような存在も出てくる予定です。