第1話
「申し訳ありません。何とお詫びしたら良いのか・・・」
目の前の女性が深々と頭を下げている。
私自身、何が起こっているのか分からないし、この女性が何度も謝罪する理由も分からない。
っていうか、さっきまで私は独り暮らししてるワンルームで、テレビを観ながらカクテルを飲んでマッタリしていた。
一度揺れた気がしたが・・・電気はついてるしテレビで速報は出てないから、前の道を大型車が通っただけだと思った。
暫くして玄関チャイムが鳴ったが居留守を使うことにした。
カースト底辺の仕事をし、絶賛ボッチ中の私の来訪者なんて、近距離で同じく独り暮らししてる母親ぐらいなもの。
来るなら来るで、事前にメールをしてから来る。
大体今は20時を過ぎた頃。
21時には布団に入る人が来るはずがない。
そして、ここ最近は忙しくて通販を注文していないから、配達業者さんが来る予定もない。
つまり、今も繰り返し鳴らされているチャイムに『心当たり』はないのだ。
しかし連打ではないものの近所迷惑だ。
仕方なく掛けていたチェーンを外してドアを開けると、目の前に真っ白な服を着た女性が立っていた・・・
「取り敢えず、分かりやすく説明して下さい」
女性の頭を上げさせようとしても、「すみません」「私のせいです」としか言わない。
頭も上げないから話にならない。
ここでふと、廊下の両端にあるすりガラスの窓に違和感を覚えた。
スクエア型のこのマンションは、玄関を出ても外は見えない。
でも両側に窓があるから外の様子は分かる。
だが今は夜なのに窓の外が明るい。
窓にかけ寄り開けると、外には見慣れた風景も夜空も存在しなかった。
明るく白い空間がただ広がっているだけで、空も地面も何もなかった。
「亜空間?いや異空間か?」
人間って、ビックリした時に『パニックを起こして騒ぐ』タイプと『自分の持つ知識を行使して冷静になろうとする』タイプがいるらしいが、私はどうやら後者だったらしい。
ラノベで読んで得た知識が、すべて役に立つとは思わない。
十人十色。異世界も存在する数だけあれば状況も変わる。
何の知識も持ち合わせていないよりは、「あった方がマシ」だと思う。
その分「可愛げのない」と嫌われるだろうが。
逆に母みたいに、ぽやぽやした性格だと庇護欲が湧くかもしれない。
でもここに母はいない。
母が巻き込まれなかった事に安堵する。
飛ばされたのが母でなかった事に、本当に安堵した。
これからは、親戚や友人たちが母を助けてくれるだろう。
まず、この現状を把握しなくてはならない。
何もないこの空間で生きろなんて無理だ。
では部屋の状況は何だろう。
テレビも観られる。エアコンも動いている。電気も供給されている。
ふと白服の女性の存在を思い出して振り向くと、こちらを向いている顔は青ざめている。
「一体何が起きたのでしょうか?」
少しでも情報が欲しかった。
「この状況は『貴女のせい』なんですか?」
涙を浮かべて俯く女性。
「泣きたいのは貴女じゃない」
私の方だ!
口に出さない怒りが届いたのだろうか。
ビクッと身体を震わせた。
「この有り様を包み隠さず。すべてをお話し下さい」
入居者さんの入っていない部屋の鍵を開けてもらい、そこに私たち二人はいま向かい合って座っている。
ダイニングテーブルセットは女性が出した。
私としては床に直接座っても構わなかったが、口癖なのか「それでは申し訳ない」との事。
別にラグを出してくれれば良かったんだけどね。
そしてこれまた取り出されたティーセットには、香り豊かなお茶が注がれていた。
カミツレに似た香りを楽しみ、ひとくち口に含む。
味もカミツレのハーブティーと変わらない。
リラックス効果があるようだ。
「はぁ・・・」と深く息を吐いて、真っ直ぐ正面の女性を見る。
少しの間、沈黙が続く。
重い口を開いたのは女性だった。
「貴女がこの世界に来てしまったのは、偏に私の深い思いからでございます」
女性の話を纏めると、私はこの女性・・・今いる世界の『最上位の女神様』だそうだ・・・から一方的に好かれてしまったらしい。
そして他世界の神々に好かれた人間は、直接干渉されなくても大なり小なりの『加護』を受けてしまうらしい。
私の世界ではその加護を良しとしないらしく、加護を受けた者は世界から弾き出されてしまうそうだ。
私の場合、住んでいたマンションが最上階ということで、フロアごと異世界に飛ばされてしまった。
「ねえ。あの時同じ階に隣人とかいたけど。彼らはどうなったの?」
女性=女神『アリスティアラ』とやらは、私の問いに表情を強ばらせた。
「ああ。消されたんか」そう呟くと小さな声で「はい」と言われた。
「でも彼らはあの世界で再び生を受ける事が出来ます」
私が死んだら?そう問うたら「すみません。分からないです」と返事された。
今まで、加護を与えてこの世界へ迎えたことはないらしい。
「ですが『この世界へ召喚された』方たちは、亡くなられた時に「帰りたい」と強く願って、元の世界で新たな生を受けた方もいます」
ちょい待て!
『召喚』ってなんだ!
今までも、この世界に喚ばれた人達がいたのか!?
アリスティアラの話だと、私のように『召喚以外』でこの世界に来た人はいないらしい。
「ですが、この世界は貴女の世界から『聖なる乙女』が世界の浄化のために召喚されます」
そして私たちの世界で『神隠し』と呼ばれる現象は、数多ある異世界へ渡った人達の事らしい。
私たちの世界の人間は、アリスティアラの世界『アリステイド』の空気を浄化するチカラを持っているらしい。
アリステイドの空気を吸って吐く。
それだけで浄化されるらしい。
私らは光合成をする樹木か?
しかし浄化を続けていると『澱』とよばれるゴミが体内に溜まってしまうらしい。
「体内に蓄積された澱は、両手を合わせて気を込めるだけで、掌から最高品質の魔石として排出されます。『乙女の魔石』は精度が高く高額で取引されます」
そして、私は体内の気を外へ向けるだけで、広範囲を浄化するチカラをも持ち合わせているそうだ。
でも、それをすると体力が一気に減って疲れるから、止めた方が良いと止められた。
どうせ放っておいても呼吸すれば周囲を浄化するのだから、わざわざ疲れることをする必要もないだろう。
この世界には『魔物』が存在している。
その魔物は濃い瘴気から生まれる。
私の世界で例えるなら動物に近いだろうか。
魔物が倒されると、体内に溜まった澱が凝固して魔石となる。
一般に流通している魔石はこれらしい。
「先代の乙女が亡くなって1年。次の乙女がこの世界に召喚されず、大気が澱んでいます」
召喚って誰がやってるの?と尋ねたら、「この世界の創造主が、『聖なる乙女』に相応しい人を選んで召喚します」とのこと。
でも、中々召喚されないため、私の世界を覗いていた時に私を見つけた。
どんなに辛くても苦しくても、時には自ら死を望みながらも諦めず生きている。
肉体は、不完全ながらもその世界の環境にあわせて成長していて、『聖なる乙女』に選ぶことは出来ない。
それが分かっていてもついつい見ていたら、自分でも気付かないうちに私に『加護』を与えてしまっていたそうだ。
「見守っているつもりは無かったのです。ただ目が離せなくなったと言いましょうか・・・。貴女は体内に『暖かい気』を持っています。その『気』で周りの人たちの凍った心を癒やしていく姿が印象的で・・・。次の乙女が現れなくて焦っていた私の心まで、いつの間にか癒やしてもらっていたのです」
その代償として、私は家族から、元の世界から引き離された。
もうね。話していたら、頭の中が冷静になってきた。
泣いても騒いでも暴れても、生きて母のいる世界へ帰れないんだって理解したよ。
ただ死んだら帰りたいとは思った。
私が死んだら、せめて遺骨だけでも元の世界にある家族の墓へ納めてもらう条件で、この世界で生きていくことにした。
死体で戻ったら、私は『不審死』として解剖されるだろう。
何年、何十年も前に戸籍上では死亡している私が、家族の墓へ入ることは叶わないでしょう。
だから、私は異世界で生きていく。
その代わり、骨だけでも家族の元へ帰らせてほしい。
そう頼んだら「必ず」と約束してくれた。