九十四話『感謝します。おとーさんっ』
「白雨! 時雨! その男から離れなさい!」
そうして新たに姿を見せたのは白雨の父、ハイドラ王だった。
ハイドラ王はそのまま駆け出すと、その手に握られる深紅の剣をグリムソウルへ振り払う。
「うおっ!? あ、あぶねえ!!」
それをグリムソウルが転がるように回避した所で、深紅の剣の切っ先が喉に宛がられた。
そして素早く琥珀を背に回す。
「この男はハイドラを破壊する者。ここに居て良い人間では無い。白雨よ! 今回は貴様の思惑通りに動いてやる。さっさとこの場から去れ!」
「感謝します。おとーさんっ」
白雨はこんな状況だと言うのに笑っていた。
そしてロゼを連れて駆け出す。が、琥珀は動かなかった。
「何をしている!」
白雨よりも先にそう言ったのはハイドラ王だった。
琥珀は暗い顔をして、ただじっとそこに佇む。
「今の……グリムソウルの話は本当なのですか」
「なに?」
「この男は……本当にハイドラ王様の弟なのですか」
「そうだ」
「……!」
琥珀は後退りする。今回ばかりはグリムソウルお得意の嘘では無かった。
視線を落とせば、そのグリムソウルは床に倒れたまま笑っている。
こんな状況で良く笑えるものだな。と敵ながら感心する。
「私は……どうしたら良いのか、分からないです……」
「お前は白雨と契約を交わした従者なのだろう? ならば、するべき事は明白なはずだ」
「……契約ならその男とも弟様とも結びました。それでも私は……白雨様に付いていくべきなのでしょうか……」
「……。だったら逆に、お前がしたいように動けるでは無いか」
ハイドラ王の発言に、エレベーターの前で待っていた白雨が反応する。
「何を!! そして琥珀! お前も何を考えている!! 早くこちらへ来い!!」
そして反応を示したのは、白雨だけで無かった。
グリムソウルは素早く立ち上がると、ハイドラ王に飛びかかりながら言う。
「そうだ! 王の言う通りだ!! 自分がしたいように動け!! それが生きるって事だろう!? 俺はそうして過ごしてきた! そしてエル! お前はそこで呆然と何をしている! 俺が何の為にお前をここへ連れてきたと思っているん――」
――グリムソウルがそう言っている最中だった。
ハイドラ王の剣が、無慈悲にもグリムソウルの胸を貫いた。
そして力を失って倒れていくグリムソウル。
「久し振りに姿を見せたかと思えば、これか……」
剣を払い抜くハイドラに、琥珀は問う。
「弟であっても容赦無く殺すのですね」
そしてその問いに答えたのは、
「ほんと、酷い事するよねぇ」
グリムソウルだった。
何事も無かったかのように立ち上がり、いつもの飄々とした調子で続ける。
「俺さぁ……魂を無数に持ってるんだよねぇ。だからこれくらいなんとも無いんだ。……あ、それとさっきの続きだけどね。ほら、エル。さっさと頼むよ」
エルはただ無言で頷くと、琥珀へ向けて駆け出す。
そしてそれを迎撃しようと振り払われるハイドラ王の剣を回避し、琥珀の手首を掴んだ。
「ちょっと手荒だけどごめんね」
エルはそのまま琥珀を持ち上げると、あらぬ方向へ投げ飛ばす。
そしてその進行方向の先に、突如闇が現れた。
まるでその空間だけが抜け落ちたような、そんな見る者を不安させるような穴だった。
「ちょっと!! 何を!」
飛ばされながらも琥珀は足掻く。
しかしその抵抗も虚しく、琥珀は闇の中に落ちていった。
そしてそれを追うように、グリムソウルとエルも駆け出す。
「俺の目的は琥珀ちゃんの誘拐。目的も達成された事だし、おいとまさせて貰うぜ」
「待て!!」
ハイドラ王は叫ぶが当然、グリムソウルが止まる事は無かった。
しかしそのハイドラ王の隣を走り去って行く者が一人。
その人物はグリムソウルとエルに続き、消えていく闇の中に間一髪のタイミングで突入し、その姿を闇と共に完全に消した。
そして気が付けば白雨もロゼも、この場から去っている。
そうしてこの場に、ハイドラ王だけが残された。




