八十七話『魔人に感謝なんてしてると、変な人に目を付けられるよ』
翌朝。早々に宿を出たハイドラ一向は、昨日から手配させておいた車と言う乗り物に乗り込んでいた。
車なんてものに琥珀やロゼは馴染みが無く、見た事もないそれは、二人を大いに驚かせる。
「車……初めて乗りました。話には聞いた事あっけど……」
馬車でも無いのに目まぐるしく移動していく景色を眺め、緊張した様子でそう呟いたのは、後部席にハイドラと並んで座るロゼだった。
はっきり言って馬車よりもかなり早い速度で走っているのにも関わらず、それでありながら不快な揺れはほとんど無い。ゆったりとしたシートも相俟ってか、これは快適と言わざるを得なかった。
そこで、車を運転する時雨が得意気に返事をする。
「そうだよね。車に乗り慣れる事なんて、まぁないよ。貴族の中でも車を所持してるのは上流貴族くらいだからね」
車は森の中へ入っていた。
本来ならば馬車が走るはずの平らな土の地面を、砂埃を上げて力強く走って行く。ハイドラは外の並木を眺めて呟いた。
「魔人の遺産。今は亡き魔人が残した文明の名残。車もそのうちの一つだ。……ほんと魔人は、俺の暮らしをより良いものにしてくれる。感謝しないとな」
「魔人に感謝なんてしてると、変な人に目を付けられるよ」
「変な人……か。そう言えば、この辺に魔人教団の一つがあったな。……確か名は……」
「非禁禁忌教」
「あぁ、そうだった。こいつらは特に変わり種だったな」
気が付けば森は抜けていた。
道路もアスファルトで舗装された道になっている。揺れなど、既にほとんど無かった。
そこで時雨は助手席で黙り込んでいる琥珀に声を掛ける。
「今日はやけに静かだね。もしかして酔った?」
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「まぁ、馬車に慣れていればこれくらいは大丈夫か」
「うん……。ところで弟様は、ハイドラ様と契約を交わしていましたよね」
「交わしたよ」
「ではなぜハイドラ様がメイド達へ自害するように命令した時、弟様は無事に済んだのですか? 遠くに居たからですか? それとも、あくまでも命令はメイド達のみにされた物なんですか? だとすれば、なぜハイドラ様は力を取り戻す事に成功したのですか?」
琥珀の連続した問いにロゼも同感したのか、怪訝そうにハイドラへ視線を移す。
対してハイドラと時雨は表情一つ変えなかった。そして時雨が、さも当たり前のように言う。
「ハイドラ同士の契約は特殊でね。普通なら相手の力を制限したり与えたりするのに自分の力を犠牲に行うのだけど、ハイドラ同士はそれが出来ない。だから互いに力に影響を与えないから、僕の生死は兄貴の力の解放に関与しないんだよ」
「なるほど……」
「僕の方こそ君が生き残れた理由が今一、分からないんだけどね。察するに君は僕と兄貴と、あの白髪の男と契約を結んでいるんでしょ? ダブルブッキングならぬ、まさかのトリプルブッキングなんだよね。でも生き残れた理由は分からない」
「それは私も詳しくは分かりません。でもどうやらハイドラ様の命令より、あのグリムソウルの命令が優先されたようです」
「ふーん、そんなものか……。そんな事で生き残るなんて、契約も案外抜け道が多いんだね。そして、都合良く兄貴も力の解放に成功したと……。自分の事ながら勉強になったよ」
四人を乗せた車は金属で出来たひたすら続く城壁の前で一旦止まった。
そしてそれこそがハイドラ領の本拠地を隔てる国境で、車の前の鉄格子の門が今まさに開かれている。
そうして一向はハイドラの実家へ、向かって言った。




