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七十九話『私には勿体ないのです』

 アクア領の街並みは、見る者を魅了する。

 豊かな生活の基盤となる水。今やこの街の住民には欠かせない物となったその水を通すための水路が多く、その水路に合わせて道路が作られる為、地形は少々入り組んでいる。初めて訪れた者はまず迷ってしまうだろう。

「さて、まずは服を買いに行くか」

 朝食を済まし宿を後にしたハイドラは、後に続く街並みに目を奪われているメイド二人に言った。

 それを聞いてロゼと顔を見合わせる琥珀が、怪訝そうな表情で尋ねる。

「服……ですか?」

「あぁ。もうお前達がメイド服を着る必要は無いからな。それに俺達の服装は目立ってしまう。これからは、忍ぶんだ」

「……なぜですか?」

「今の説明で分からないの?」

 琥珀の質問に信じられないと言った様子で、問いに問いを重ねたのはロゼだった。

 当然、琥珀にはハイドラの意図は分からなかった。首を傾げる琥珀に、ロゼは補足するように説明する。

「良くも悪くも主は有名人となってしまった。このアクア領であれば外部の敵に襲われる心配はまず無いけれど、一歩外に出ればいつスコラミーレスに襲われるか分からない。だから民衆と同じ服装で紛れるのよ」

 琥珀はその説明で一応は納得できたのか「そっか……」と小言を漏らす。そして改めてハイドラへ視線を向けて再度尋ねた。

「ではハイドラ様。スコラミーレスってなんですか?」

 ハイドラは「あぁ……そうだったな……」と小声で呟くと、咳払いをして続けた。

「……馬鹿な人間達だ。魔人の残した遺産……つまり魔法の、研究、開発、習得に一生を捧げる者共。世界の三分の一ほどもある莫大な敷地……いわゆる『学園』と呼ばれる魔法の精進に適した場所で、そのほとんどが短い人生を終わらせてしまう。要は人生を楽しめないつまらない奴らさ」

「でもそれはつまり……彼らは魔法のエキスパートって事ですよね?」

 スコラミーレスの実力は一度遭遇した経験があり、琥珀もその強さは身を持って知っている。今の話を聞けば、あの実力にも実に納得が出来た。

 ハイドラは琥珀の問いに、腕を広げて答えた。

「確かに学園外に出て来るような奴らは優秀な人間ばかりだ。だが学園内だけで生活している者のほとんどは、遺伝魔法も持たないただの人間……つまり落ちこぼれに過ぎない。組織としては恐ろしいが、皆が強者と言う訳ではない。……魔法の精進をすると言うのを建前に、学園に守って貰っているだけのお荷物共だ」

 琥珀も当然、遺伝魔法なんてものは持ってない。いつもなら嫌味の一つでも返すが、今回は伏せておく事にした。

「やけに酷評ですね……」

「貴族と良い関係が築けているとは言えないのだ。お互い金で動くだけ。俺も奴らはいけすかないな」

「ふーん……」

 ハイドラはそこで唐突に立ち止まると、蔦の葉で覆われたレンガ造りの建物を指差して言った。

「着いたぞ。ここで服を揃える」







 こうして琥珀が服屋に訪れたのは初めての事だった。

 様々なデザインの衣服に次々に目移りする琥珀はそこで、自分がきちんと女の子である事を自覚する。

「可愛い……」

 琥珀が一つの衣服を見てそう呟いた時だった。

 先に試着室で着替えを済ましたハイドラが、勢い良く仕切りのカーテンを開けた。

「どうだ! 似合っているか?」

 琥珀がハイドラの足元から上へ、順に一瞥していく。

 スキニーパンツに、シャツの上には薄地のロングカーディガンと、ハイドラは比較的、一般的な格好をしていた。が、琥珀的にはその全ての色調が黒一色で染められているのは、あまり好みでは無かった。

 しかしハイドラが言うように忍ぶのが目的と言うのであれば、納得出来ない事も無い。

 どちらにせよ・自分のセンスに自信が持てない琥珀は、そこでは笑って過ごすしか無かった。

「悪くないと思いますよ。ハイドラ様」

 ハイドラは揺らめくロングカーディガンの裾を眺めがら返す。

「そうか。ならば良い。まぁ、そこはお世辞でも似合っていると言うべきだがな」

「……す、すみません」

「それで、お前はまだ決まって無いのか? 気に入った服が無いのか?」

「い、いえ。気に入らないなんてそんな……。むしろこんな可愛らしい服……私には勿体ないのです」

 「ふむ……」とハイドラは顎を撫でながら呟くと、試着室から出て琥珀の横の衣服を手に取る。

 そしてそれを琥珀に合わせながら言った。

「これは……悪くない。お前の髪色は派手な方では無いからな。こうして明るい色の服と合わせても喧嘩しない。顔も綺麗に整っているし、スタイルも細身なのだから何でも似合う。自信をもて」

 お褒めの言葉に、琥珀の頬が自然と染まる。

 対してハイドラは至って真剣な表情だった。

 そこでハイドラは絵が上手だった事を琥珀は思い出す。そしてあくまでも芸術的な観点で意見を述べているのだろうと推測できた。

 嬉しいような残念なような。そんな気分になる。

「自信……なんて持てませんよ。地味……なだけです」

「俺が可愛いと言っている。何が不満なんだ。まぁとりあえず、これを持って試着室に居ろ。他にも良さそうな物があれば持っていく」

「……お手を煩わせてしまって、すみません……」

 ハイドラにそう言われて琥珀は、両手で衣服を受け取った。

 本来ならば主にさせるような事では無い。それは分かっている。が、色彩感覚においては太刀打ち出来そうもないので、素直に甘える事にする琥珀。そして一礼して、試着室へ向かった。

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