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七十五話『……恋人か? おい』

 あれから日は完全に暮れ、気温が下がってきた。アクア領は暖かい場所で知られているが、季節的に少し肌寒い。

「ハイドラ様、まだかなー」

 風邪をぶり返してしまう前に、入浴を済ませ、ホテルに備え付けられているパジャマに着替えた琥珀は、キングサイズのベッドの上でコロコロと転がりながら呟いた。

 そして仰向けになり、天井を睨みながら、

「……恋人か? おい」

 意識せずに出た自分の呟きにセルフで突っ込みを入れた。

 そう言うつもりはない。断じてない。と自分に言い聞かせながらも、それは仕方が無い事だと自分を説得する。

「心配なだけ……」

 事実、心配で不安なのはそうだった。

 自分を逃がす為に自ら囮になり、待ち合わせの場所に一向に現れない主。それを心配しない従者が居るものか。と思う反面、主従関係を問わず、自分に好意を寄せてくれている人間が不幸になるのは、単純に気分が暗くなる。

 琥珀は大きな溜め息を付いた。

「はーあ……」

 そしてその時だった。

 またしても扉がノックされる音が、琥珀に届いた。

 琥珀は急いで立ち上がると、扉へ直行する。

 ロゼは先程訪れてきた。ロゼでは無いはず。そう思い、扉を開けた先で出迎えたのは……このホテルの従業員だった。

「……なんですか?」

 少し荒っぽく返してしまう琥珀。

 従業員は、寝ていた所を起こしてしまったとでも考えているのだろう。頭を下げて要件を述べる。

「明日のお食事は如何なさいましょうか……。何時頃に……」

 食事……。良く考えれば、しばらく食べ物を口にしていない事を思い出す琥珀。空腹感は無かった。それほどに不安な気持ちが強いのだろうか。と自分を労りつつも、空腹感も無いのに食事の事を考える気にもなれず、適当に返事をする。と同時に、いつまでも、ふてぶてしく返すのは可哀想なので、笑顔で対応した。

「……えーと。じゃあ何時でも」

「は、はい!」

 従業員が頭を下げて、去っていく。

 琥珀はそれを見届けると、駆け足でキングベッドにダイブした。

「あー気持ち良い」

 琥珀は自由だった。






 あれから琥珀はベッドの上で、睡魔と戦っていた。

 この心地よさに身を委ねて深い眠りに落ちてしまいたい思いと、ハイドラを待っていたい気持ち。葛藤する思いが同居した結果、今の琥珀の状態が出来上がっていた。

「うーん……」

 ベッドから立ち上がり椅子に座ろうかと思うが、体は動いてくれなかった。しかしこのまま寝転んで居ては、いつか落ちてしまうのも分かりきっている。

 琥珀はひとまずそこで、上半身を起こして持久戦にもつれ込んでいく事にした。

「眠い……」

 しかしはっきり言って、じり貧だった。このままでは座ったまま眠ってしまい、結果として体を満足に休める事も出来ずに朝を向かえてしまうと言う最悪のパターンもあり得てきた。

 琥珀は自分を呼び覚ますように、首を横に振る。そして頬を両手で叩いたその時だった。

 二度あることは三度あるとは、この事だろう。部屋の扉がまたノックされる。

 その瞬間、意識をハッキリさせる琥珀。

 ベッドから立ち上がり、扉へ向かうが、もう期待はしていなかった。

 仏の顔も三度までですよ。とこれを最後にして寝てしまおう。なんて思いながら扉を開ける。

 そして扉の先に立っていた人物は……待ちに待ったハイドラだった。

 予想外の展開に、硬直してしまう琥珀。そうして思わず吊り上がってしまう口角を両指で押さえて、琥珀は言った。

「お、遅いですよハイドラ様」

「……疲れて帰った主へ変顔を向けるのが、お前の出迎え方か?」

「私の顔は元からこんな顔です」

「あぁ、知ってる。可愛い顔だ」

「……」

 頬を少し染めて視線を逸らす琥珀に、ハイドラは続けて言った。

「今、部屋が空いていないらしくてな。お前の部屋に泊めてくれるか? ホテルには許可を貰っている」

「……すみません。配慮が足りませんでした……」

 主が遅れて来ると分かっておきながら、部屋を確保していなかった自分の不甲斐無さに失望する。

 そうして暗い表情をする琥珀に、ハイドラは笑って言った。

「気にするな。お前と寝れる名目が出来た」

「……ありがとうございます」

 臭い台詞だったが、今の琥珀を自然と笑顔にするには事足りる言葉だった。

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