六話『そうですね。だから私は……あなた様の傍に居るのです』
「もっとゆっくりと歩いてくれ……」
商談を諦めきれないと少年は、露骨に嫌がる少女と共に斜面を上がっていた。
もっともその足を力強く動かして突き進んでいるのは少女のみで、肝心の少年は少女の背からだらしなくぼやているだけだった。
「酔う……」
「本当に日が暮れてしまいますよ」
特に歩みを緩める事の無い少女は、背におぶっている少年に溜め息を付いて言った。
肩にだらしなくしがみついている少年からの返事は無い。
男が女におぶられていると言う実に情けない状況なのは少年も痛いほど理解している。が、それを理解したからといって自分に鞭打ち、歩けるほど少年は心身共に強くなかった。
「この道で合ってるのですか?」
「……」
「もう。私が居なかったらどうしてたんですか?」
「……」
ぽちゃんっと木々で隠された近くの池で魚が跳ねる音が聞こえた。
少女は返事をしない少年を池に投げ飛ばしてやろうかと言う殺意に近い感情を覚えたが、少年を投げ飛ばしてしまったらそれこそ本当に死んでしまうとだろうと容易に想像し、踏みとどまる。
「はぁ……どこに行けば良いのですか……」
少女のそれはもはや独り言に近かった。
どうせ返事は返ってこないと踏んでいたからだ。
もちろん返事は無い。
少女がここで立ち往生しているのには訳があった。
と言うのも分かれ道の間で廃れた看板が道の案内を放棄していたからだ。
ペンキはホラー映画のタイトルのように垂れ、錆びた鉄板は既に所々剥げている。
それを支える木造の柱は激しく老朽化しており、今にも倒れてしまいそうだった。
少女はまた深く溜め息をつく。
そして、
「……こいつ……寝てる……?」
不意に背中の少年を確認した少女は信じがたいその光景に思わず目を見開き、敬語を使う事を忘れて言った。
少年の穏やかな表情。
対して少女は腸が煮えくり返るような怒りの感情を抱いた。
「こう言う時って、どうすれば良いんでしょうか」
何の為に自分はこんな所にいるのか。それは今も背で寝息をかき始める少年のわがまま故。
何の為に自分はしんどい思いをして少年を背負っているのか。それは今にも涎を垂らしそうになる少年が自分の主であるが故。
自分が従者で少年が主。故に少年の指示に従うのは当然の事だが、そこに一つ思う事はある。
「そもそも私はこんな従順に言う事を聞くべきなのですか」
そう考えれば考えるほど、今も丁寧に少年を背負っている事に疑問を感じる。
ぽーいっと投げ捨ててしまっても許されるのではないだろうか。
いや、この少年が許さなくとも神はきっとお許しになるだろう。とその決意が鈍らないうちに行動へ移す事にする。
「ぽーいっ!」
蒼天の空に響く少女の声はこれ以上に無く清々しく、澄んだものだった。
土の上の雑草を全身で踏み倒すように転がる少年。停止してすぐに慌てて上半身を起こし、砂まみれの顔を少女に向けた。
「何事だ!?」
少し眠ったおかげで、元気が出て良かったですね。と嫌味の一つくらい言ってやりたいところだったが、話が拗れそうなので素直に本題を話すことにする少女。
「道が分からないのです」
少年は少年なりに状況を理解しようと辺りを見渡したが、その中で一点、どうしても気になる事があった。
それは主である自分が地を転がっていると言うのに、少女が満面の笑顔を浮かべると言う事。
主の身の心配を一つもしないで道の心配をしている少女を見て、少年の中で嫌な仮説が浮かび上がった。
「……え。もしかして……投げた? 投げちゃったの??」
少女はもじもじと身を縮こまらせると、頬を片手で押さえながら答える。
「投げちゃったっ」
「何で!? ねぇ、何で投げたの!?」
立ち上がって指をわきわきと広げ、猛抗議する少年。
「申し訳ございません」
少女は深々と頭を下げたが、棒読みの声からは反省の色がまったく感じなかった。
「嘘だろ……? は、初めてだ……」
砂だらけの手で口元を押さえ込み、体を震えさせる少年。
全身の砂がパラパラと地に落ちていく。
少年は首を傾げる少女に困惑した様子で続けた。
「こんなにも反抗的な召し使いは初めてだ……。どう対応したら良いのかも正直分からん……」
「帰りたいのです」
「いや、そう言う事じゃなくてね……」
「でしたら早く道案内してください」
「……。女では無い要素に山賊退治と主を投げると言う無慈悲な行動を追加だな。これでお前は家事料理洗濯が出来ない事に加え、暴力振るいだって事が分かった。いよいよ救いようが無いわけだ」
両手の平の空に向け、やれやれと肩をすくめる少年。
すると少女は真剣な顔をして少年を睨んだ。
「だったらもう解雇してくれても良いですよ……」
少年は腕を組んで叫ぶ。
「駄目だ! それとこれとは話が違う!! それに俺とお前は切っても離せない契約があるだろう?」
契約と言う単語を聞いて少女は目をそらすと、そのまま右側の道に進みながら答えた。
「そうですね。だから私は……あなた様の傍に居るのです」
そう言って見せる背に、少年は言う。
「分かればよろしい。だが、次の道は左だぞ?」




