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五十九話『俺は最愛の人の為なら何でも出来る』

 ハイドラが夜通し歩いて辿り着いたのは、我が屋敷だった。相変わらず悲惨な状況だったが、今のハイドラにそれが再建が進んだ上で再び破壊されたのか、それとも再建すらも進んでいなかったのか、判断は出来なかった。

「やっと付いたか……」

 庭を歩く素足は砂埃を被り、足の裏に関しては真っ黒に汚れ、そして切り傷が無数に出来ていた。

 そうして痛む足を動かして屋敷の中へ入っていくハイドラだが、そこで妙に静かな事に気付く。

「まだ奴は来ていないのか……。メイドたちはどこにいる……?」

 虐殺されたとなれば、死体が転がっていてもおかしくない。わざわざそれを片付ける真似はしないだろう。

 それがないとすれば、どこかに隠れているのか……。

「地下……か?」

 自室に戻ったハイドラは着替えながら憶測する。屋敷内の静かさを考えれば、そうとしか思えない。

 ハイドラは駆け足で地下に向かった。






「はぁはぁ……」

 そうして地下を訪れたハイドラが見たものは、目を疑う景色だった。

 周囲を見渡しながらも、地下へ地下へと進んでいくハイドラ。そんなハイドラが見たものは、枝の葉のように存在する地下牢全てに、捕らえられている無言のメイドたちだった。中には死んでいる者も居る。

 鼻を突くような死臭が……いわゆる、すえた臭いがハイドラを襲った。

「お前たち……」

 不思議な事に牢の錠は開いている。逃げれば良いものの……と思うが、きっとそう出来なかった理由があったのだろうと、ハイドラは容易に想像できた。

 今もハイドラの姿を確認しても何の反応もせず、廃人のように佇んでいる辺りから、よほどの事があったのが伺える。

「……奥の部屋は無事か……?」

 走るようにして辿り着いた地下の最深部。二重構造によって厳重に閉ざされている扉を確認してハイドラは安心する。

 これだけは知られる訳にはいかない。そう思い、再び地上へ戻ろうと振り向いた時、ハイドラは唐突に走る激痛によって、冷たい床に項垂れ(うなだれ)た。

 壁に体重を預けて辛うじて上半身を支え、そして霞む目で見たものは……銃口をこちらに向けて微笑むファフニールアルファだった。

「どうして……? 許してくれたのだろう……?」

 シャルルループの件で許しを乞う為に話した領土の主。ファフニールアルファ。

 その人物は、煙を立てる銃口に息を吹き掛けて答えた。

「……その件はな。しかし、ハイドラ君。魔方陣の改竄かいざんは大罪だ。知っているだろう?」

 まるでお伽噺(おとぎばなし)に出てくる王様のような風貌をするファフニールアルファは低い声でそう言うと、長い立派な髭を撫でた。

 ハイドラからの返事はない。既に意識が朦朧としているのだろう。

 胸元の風穴から大量の血液を流して黙り込んでいた。

「その奥が……魔方陣改竄の為の実験室かね? この辺の医者に、君の従者から魔力の異常者が良く出ていると聞いている。それは魔力の供給を行う魔方陣を改竄した動かぬ証拠。まぁ、もっとも全て失敗だったようだがな……。そうなのだろう? ハイドラ君」

 ハイドラからの返答は無い。

 しかし返ってきたものはあった。

「くっくっくっ」

 掠れた笑い声だった。

「この状況で笑えるとは……気が狂ったか?」

「なぁ……。ファフニールアルファ……。お前の質問はどうでも良いんだ……」

「お前……とは誰に向かって言っている? ハイドラ君」

 乾いた銃声が再度、地下に鳴り響く。

 そうして放たれた銃弾は、ハイドラの胸をまたもや簡単に貫き、そしてハイドラは声も上げずに吐血する。

 そして冷静な声で聞いた。

「メイドが裏切ったのはお前の仕業か……?」

「……裏切る? 違うな。それはお前の勘違いだ。最初から紛れ込ませて置いた……スパイをな」

「あぁ……そう言う事……」

 ハイドラはそこでふらふらと立ち上がる。

「どうして……まだ立ち上がれる?」

「俺は最愛の人の為なら何でも出来る」

 そして血塗れの体で、高らかと腕を広げて続けた。

「まぁもっとも、最愛の人とは……自分の事だがな! ……ふふ。契約に基づき命じる。俺の支配下に居る全メイド、その場で今すぐ首を切れ」

 地下全体から、ざわめきが響き渡る。

 それは地下牢に居るメイド達が一斉に立ち上がった音だった。

 そして今度は一斉に小さなナイフを取り出すと、息を合わせたように自らの首を()っ切った。

 あまりにも一瞬の出来事だった。

 血生臭さが一気に広がっていく。

 地下全体が深紅に染まっていく。

 そうして重力に従って大量の血液が流れ、それがハイドラの足元に辿り着いた時、まるで周囲の色に同化するようにハイドラの髪が、赤く染まった。

「これは……何をした……?」

「……ハイドラは自らの力を犠牲に、契約を交わす。こうして俺を縛り付けるものを払えば……当然、俺は力を取り戻す」

 ハイドラは血の池を踏みつけて歩みだす。

 気がつけばハイドラの傷は完治していた。

「やはりハイドラ一族は狂っておる……!」

 ファフニールアルファは後退りしながらも銃を乱射する。

 けたたましく響く銃声。静かに広がる硝煙。そうして全弾、打ち切ってしまった所で、無傷のハイドラが言った。

「我が名は暴君、血の契約者ハイドラ。お前なら知っているだろう? こうして血が溢れる場所で……俺に傷が付けられると思うなよ」

「だったら私の魔法で……!」

 杖を持ち出し、ハイドラへ向けるファフニールアルファ。

 しかしハイドラが先に飛び掛かると、片手でファフニールアルファの首を鷲掴みにし、そのままもぎり落とした。

「さようなら」

 低い声が地下に響く。そして鋭い目つきで廊下の先を睨んで続けた。

「……出てこいよ。裏切りメイド」

 そうして一つの牢から観念したように姿を現したのは、特殊な目を持ちメイド長に次ぐ実力を持つ少女だった。

 怯えきった表情で、ハイドラから後退りしている。

「ご、ごめんなさい……」

「どうやって契約から逃れたかは分からんが、貴様の行為は許されないな」

「な、なんでもしますから……許して……ください!」

「名は?」

「えっ? ……それは……」

「そうか……言えないか……。つまり魔方陣を改竄していたのは、ファフニールアルファの奴だったと言う事か。貴様の魔方陣を書き換え、名を偽り、そして俺の契約から逃れた。そうだな?」

「恐らく……そうだと思いです……」

 少女が苦しい笑みを見せる。対してハイドラは、冷酷だった。

「あっそ、なら死ね」

 少女の足元の血溜まりが波を打つ。

 そして次の瞬間には針の山のように姿を変えた赤い棘が、少女の体を何ヵ所も突き刺した。

 少女の体から力が抜け、針の山に完全に身を預ける。そうしてそれらが再び液体へと姿を戻した時、既に原型を止めていない少女が地面に転がった。

 そこで、静かになった地下に新たな靴音が響き渡る。

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