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五十七話『契約に基づき命じる。……琥珀よ』

「どうだ懐かしいか? 琥珀」

「そうですね。……と言ってもつい最近まではここに居た訳ですが」

 ハイドラに連れられて歩く琥珀は、返事をしつつ周囲を見渡した。

 レンガ造りの道路は酷く荒れ、端には大量のゴミが山積みになっている。

 並んで建っている建物も、簡易的な小屋ばかりだった。それも、どれも薄汚い。

 数少ない住人も身形の良いハイドラを見ては、睨みをきかせている。

 ここはスラム街だった。

「こんな場所で生活するなんてな……俺には考えられんな」

「……でしょうね。私もそう思います。と言っても、つい最近までは私もここで生活していましたが」

 素っ気なく返す琥珀。

 ハイドラの発言を嫌味として捉えたのだろう。

「まぁ、そう言うな。だから、こうしてお前をその生活から救ってやれて嬉しく思っているんだ」

「ふーん……」

 余計なお世話です。とでも思っているんだろうなと、ハイドラは苦い笑みを浮かべる。

「それにしても、こんな所に何の用事ですか? あなた様には無用の場所ですよね?」

 先程から、琥珀の発言が刺々(とげとげ)しい。

 今回ばかりは、心の奥底に突き刺さる。それが表情に現れないようにするのに必死だった。はっきり言って息をするのも苦しい。

「あ……あぁ。それが人を探しているんだ……」

「人……ですか」

 琥珀は空を眺めて自分の顎を撫でる。そして、前を見て続けた。

「一緒に探しますので、特徴を教えて下さい。あなた様よりはこの辺に詳しいですよ」

 こうして垣間見える琥珀の優しさが、ハイドラは余計に辛かった。

 琥珀の言動が大きく変わってしまった原因……恐らくだが、記憶に何らかの異常が発生していのだろう。

 それさえなければ、その優しさも表面上の物ではなく、真に自分を思って言ってくれるのだろう。と、そう思えば思うほど、ハイドラは目から溢れる液体が抑えきれなくなってしまった。

 こんな気持ちは始めてだった。

「琥珀ぅ……」

 不意に向けられる泣き顔に、琥珀は素早く後退りする。

「え……なんで泣いているのですか……」

 膝をつくハイドラ。

 そこで落胆して俯いてしまうハイドラに、ある人物が声を掛けた。

「おぉ、ハイドラの旦那ァ。訪ねてくれたんだァ。貴族に求められるなんて光栄だなァ」

 意気揚々とそう言って、ハイドラを見下ろすのは、探し人である白い髪の男性だった。

「貴様ぁ……!」

 ハイドラはすぐさま立ち上がると、奇襲を仕掛けるように実に弱々しいパンチを男性の顔に目掛けて放った。

 そして案の定、それは意図も簡単に止められる。

 ただしそれを片手で止めたのは、白い髪の男性では無く、あろう事か琥珀だった。

「やめてください、あなた様。彼は私の友人です」

「琥珀……! 俺を裏切るのか……!」

「いえ、契約がありますのでそれは出来ません。ただ、目の前で知り合いを傷付けられるのは、気分が良くありません」

 ハイドラは思わず、白い髪の男性を睨む。

 対して男性は、楽しげに言った。

「まぁまぁ、琥珀ちゃん。この人は何か、誤解をしているんだよ。さぁ……おいで」

 琥珀はすぐにハイドラの手を離すと、男性に歩み寄る。

 ハイドラが咄嗟に手を伸ばすも届かず宙を切り、目前では琥珀が男性の腰に腕を回していた。

「貴様……! 琥珀に何をした……!」

 歯を噛み締めるハイドラ。

 男性は、琥珀の頭部を撫でながら言った。

「俺は別に何も……。それにしても良いのかい? 旦那の屋敷、大変な事になってるみたいだよ?」

「それも貴様の仕業か……!」

「どうだろうねぇ。そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない。俺も遅れて屋敷に向かうから、先に向かいなよ」

 男性はそう言って一礼すると、ハイドラの隣を通り過ぎながら続けた。

「俺は……いや、俺達は……大人の宿にでも泊まって、ゆーっくりと向かうからさ」

 ハイドラは拳を握り締めて、再び飛び掛かる。

 しかし男性は羽虫を払うように簡単に弾き飛ばすと、ハイドラへ見向きせずに歩みを再開させた。

「弱いなぁ……」

「……お前の目的は……なんなんだ……」

 道路に横たわるハイドラは、辛うじて上半身を起こし、情けない格好だが女座りになって尋ねる。

 男性は何も答えなかった。

 せめて琥珀を連れて行かせる訳には行かない。

「琥珀……。待ってくれ……。行くな……!」

 手を伸ばして懇願するが、男性も琥珀も振り向きもしない。

 ハイドラは膝を震えさせて弱々しくもなんとか立ち上がった。

 そして、

「契約に基づき命じる。……琥珀よ、こちらへ来い」

 命令する。が、それでも琥珀は動かなかった。

 ハイドラは言葉を失う。今の状況が理解できなかった。

 そしてその疑問に答えたのは、ハイドラには見えないように、ほくそ笑む男性だった。

「あぁ、ごめんなァ。それ、俺の前では効かないんだわァ。だって――」

 絶望に染まるハイドラには、その声は最後まで届かなかった。

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