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五十六話『好きじゃないです』

「急ぎましょう。あなた様」

 あなた様……? ハイドラは、そこに強烈な違和感を感じた。そしてそれを正さずには居られなかった。

「どうした急に……? いつものようにハイドラ様と呼んでくれて構わないぞ」

「いつもの……ように? もしあなた様がご希望でございましたら、そう呼ばせて頂きますが……」

「どうした……? こんな事態でそんな冗談は笑えないぞ……琥珀」

「……冗談?」

 琥珀は終始、真剣に返してくる。

 ハイドラはそこで、不意に昨日の昼の出来事を思い出した。

『記憶は魂に保存されていくんだ』

 そして鮮明にリピートされる男性の言葉。

 昨日の今日で、この偶然はあり得ない。あの男性はきっと、何かを知っていたはずだ。

 ハイドラはそこで、苦渋の決断を迫られる事になる。

「屋敷へ戻るか……あの男を追いかけるか……」

「屋敷に戻りますよ。ハイドラ様」

 淡々と答える琥珀。

 また昔のように、冷たい視線を向けてくる。

 その光景は先程までのやり取りが夢だったかのように感じるほどだった。

「なぁ……さっきからどうしたんだ? 琥珀」

 状況が今一、飲み込めないハイドラは腕を広げて歩み寄る。

 すると、

「あなた様こそ、どうしたのですか」

 琥珀はそう言って、まるでハイドラから距離を取るように後退りした。

 ハイドラの中を衝撃が駆け巡る。そしてそれは悲しみと言う感情になって、ハイドラを襲った。

「琥珀……。……俺は嫌いか?」

「変な質問です。ですが正直に言わせて頂きますと、やっぱり好きじゃないです」

「そうか……」

 はっきりと嫌いとも言わないのは、好きと言う可能性がある訳ではなく、一応主ではあるハイドラへの言葉を選んだのに過ぎない。

 それが琥珀と言う少女。

 ハイドラはそれをよく知っていた。

「……」

 絶望に飲まれたハイドラは琥珀に背を向けて歩きだす。

 そうして宿のフロントでお金を払って宿を出た所で、そこまで黙って付いてきていた琥珀が言った。

「屋敷はそっちではありませんよ?」

 ハイドラはそこで腕を広げるが、すぐに腕を下ろすと元気を無くしたような声で答えた。

「屋敷……の事など、今の状況を考えればどうでも良い。俺の契約書で再建など、いくらでも出来る。そしてメイドの裏切りも、俺と契約を結んでいる以上、何も恐れる事など無い」

「意味が分かりません。でしたらあなた様は、屋敷を放置して何をするのですか」

「……さぁな。とりあえずは、奴を追い掛けるか……」

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