五十二話『私まで照れちゃいますよ』
「はぁ……」
琥珀を残して部屋を後にしたハイドラは、すぐ近くの階段をぼんやりと眺めては大きな溜め息をついた。そして重い足取りでゆっくりと下っていく。
腕を抱えて、何か思い悩んでいる様子だった。
そうして一階のフロントに下るなり、中年くらいの宿主がすぐに声をかけてきた。
「君……元気でたのかい?」
ハイドラはいきなり声を掛けられた事と、貴族である自分に対するには、やけに馴れ馴れしい態度の男性に、若干戸惑いながら返事をする。
「あ、あぁ。だが、まだ少しの間、部屋を借りたいのだが大丈夫か?」
「……そりゃ、泊まってくれるって言うなら俺としては喜ばしい限りだが……なんだ? まだ調子が良くないのかい?」
「いや、俺じゃなくて一緒にいた従者の具合が悪いんだ」
「へぇ、それは大丈夫なのかい? あの子が君を背負ってここに訪れた時はびっくりしたよ。まぁ、あれだけ大怪我してたら体調も崩してしまうわな。主としてはさぞ心配だろう」
「そうなんだ……。何かしてやれる事は無いかと、濡れタオルでも作ってやろうとしたら『余計に気を使うからやめてください』と言われたんだ。……おっさん俺は何をすればいい?」
声色を変えて説明するハイドラに合わせるように男性は大きく腕を広げて返す。
「そりゃお前、やめてくれと言われても濡れタオルくらい作ってやれば良い。迷惑にはならんだろ?」
「そうか……! なるほど……! たしかに……!」
何度も同意するハイドラに、男性は何度も頷きながら続ける。
「そしてお前、許される限り……許される限りな? 体でも拭いてやりゃ良いんだよ。汗でベタベタしてるのは気持ち悪いもんだろう?」
「それは名案だ……! すぐに実行してくる!!」
既に背を向けて階段を駆け上がっていくハイドラの背に、男性はもう届かないと分かっていても声を掛けた。
「やり過ぎんじゃないぞ」
「琥珀。腹は減ってないか?」
「そうですね……食欲はありませんね」
「そうか」
ハイドラが部屋に帰って来て早々、ドン。っと背後から返事と共に机の上に何かを置く音が返ってきた。
琥珀が気になって寝返りを打つと、そこには、しなくても良いと告げておいたタオルが浸された水の入った器があった。
「大丈夫と言ったのに……」
「まぁ、そう言うな。体を拭いてやろうと思ってな」
「……いえ、そんな手を煩わせる訳には……」
「まぁまぁ」
琥珀はそこで黙って考え込む。どうせ下心だろうな、と。
確かに体が汗でベタベタして心地悪いのには、間違いなかった。そこまでしてくれるのは嬉しい誤算ではある。
それに加え、例えハイドラの行為が、下心であろうと純粋な好意であろうと、あるいはその両方であろうと、ちゃぷちゃぷと水が鳴らす音を聞いてしまっては、体を拭きたいと言う要望は強まってしまう。
ここはハイドラの好意を名目に、好きにさせてやる事にする。
「ではお言葉に甘えさせて頂きます」
琥珀は上半身を起こすと、背中のファスナーに手を伸ばし、そのまま自ずと下着のフックも外していった。
比較的素直な琥珀に、ハイドラが本人が面食らう。
「……本当に良いのか?」
「……さっきのお言葉は嘘なのですか?」
「嘘ではない!」
「では……お願いします」
琥珀はそう言って立ち上がると、軽くよろめきながらも、ハイドラへ背を向けた。
ハイドラは躊躇いながらも、いつものようにメイド服を脱がしていく。
そうして完全に露になった上半身に、ガーターベルト姿の半裸の下半身と言ういつもの格好になる琥珀。
しかし今回はここで止まらなかった。
ハイドラがさっそく濡れタオルに手を伸ばそうとすると、その手首を掴む琥珀が横目でハイドラを見つめながら言った。
「まだ完全に脱いでませんよ」
ドキン。とそれを聞いたハイドラは、琥珀の瞳を見つめ返したまま、全身を硬直させてしまう。
そこで思わず黙り込んでしまうハイドラに、琥珀はにっと笑うと、少しだけ楽しげに続けた。
「なに可愛い反応してるのですか。緊張してるのですか?」
「そんな訳ないだろう……!」
強がりだったが、きっとそれも見透かされているだろう。
琥珀はそんな様子のハイドラを満足げに眺め終えると再び前を向いて、自ら下着とタイツを脱ぎ、そしてガーターベルトを外していく。
そうして文字通り、全裸になった琥珀は局部を腕で隠しながら振り向くと、ベッドに腰掛けた。
「どこから拭いてくださるのですか?」
そこでハイドラはハッとする。
線の細い体のラインに目が釘付けにされていた。
いかんいかんとハイドラは首を横に振ると、濡れタオルに手を伸ばして答える。
「首からだ」
「お願いしますね」
琥珀は座ったまま、背を向けた。
そうしてハイドラがゆっくりと首に濡れタオルを宛がった時、
「あっ……」
琥珀から甘い声が漏れる。
それにハイドラが戸惑っていると、また少しだけ楽しげな表情を浮かべる琥珀が振り向いて言った。
「冷たくて気持ちいいですよ。ありがとうございます」
「そ、そうか」
そのままハイドラは、濡れタオルを背中の方へ撫でるように落としていく。
そこでも琥珀は、
「んっ……」
また悩ましげな甘い声を漏らした。
ハイドラは尋ねる。
「お前……わざとやってるだろう」
「分かりましたか?」
琥珀が熱で火照っている顔を向けて笑っている。
ハイドラは濡れタオルを広げて琥珀の顔に被せると、その場から去るように言った。
「余裕があるなら自分で拭け!」
そうしてハイドラが去った後の扉へ、琥珀はベッドに倒れながら言った。
「少し、からかい過ぎました。顔を赤くして照れちゃって……うぶですね」
そうして天井をぼんやりと眺めたまま続けた。
「私何してるんだろ……。熱のせいだ、きっとそうだ……。だけどあんな反応されると、わたしまで照れちゃいますよ」




