四十六話『ただの嫌がらせなら……まだ良いんですけどね』
「良い返事が聞けて良かったです。……ミスターハイドラァ」
悪寒が走ると言うのは正しく、こう言う事なのだろうと琥珀は思う。
目前の青年、ロジックベンセンの発した言葉がオートマチックに何度も脳内で再生される。実に気持ちが悪かった。
ハイドラに至ってはその呼ばれ方がトラウマ化しているのだろう。ひきつった顔に冷や汗をタラリと流していた。
そしてその中でロジックは、咳払いをして続けた。
「失礼、口癖が。気にしないでください。それで話を戻しますが、シャルルループの件ですが、どうも現場が悲惨らしくて……」
ロジックは後頭部を掻きながら言葉を詰まらせた。
そしてこうもあっさりと話を流されると、触れたくとも触れられない雰囲気が出来上がってしまう。
故に琥珀は、ロジックの話に合わせるしかなかった。
「そ、そうなんですか……?」
「そうみたいなんです。なにやら、大嵐が通り過ぎたような、獣の大群に襲われたような……つまりは人為的な被害には見えないそうで」
「な、なるほど……」
「それでですね。私共はこう考えているのです。……かの魔物によるものではないかと」
「魔……物?」
ロジックは不安そうな表情を浮かべるながらも、どこか楽しげに言ってみせた。
対して琥珀は『魔物』と言う普段聞き慣れない単語に、思わず首を傾げる。
そしてまた判断を煽るように、ハイドラへ視線を移した。
「お前なぁ……散々、俺を無視して会話しといて、困ったら話を振るのはやめろ。……まぁ、それにしても魔物と言うのは、俺は同意出来んな」
ハイドラはそこでベッドから立ち上がると、近くのポールハンガーに掛かっているタキシードを手に取る。そしてそのまま袖に腕を通しつつ、ロジックの隣を通り過ぎながら続けた。
「そんなもの、何百年も前に滅んだものだろう」
琥珀が慌てて、その後を追いかける。
ロジックは、ハイドラの背に向けて言った。
「えぇ。その通りです。しかし、それが何らかの要因によって……もっと言えば、それこそ人為的に復活させられていたとすれば……?」
ハイドラは思わず足を止めて聞いた。
「何が言いたい?」
「いえ、僕にはこんな情報も流れているのです。どこぞの貴族が良からぬ実験……とでも言いましょうか。それを秘密裏に行っていると。さてここからが本題の本題なんですが、ファフニールアルファ領には、禁足地となっている森があるのです。どうもそこが怪しいんですよねぇ……」
「それで結局、口車に乗せられてしまった訳ですか」
「仕方無いだろう……。本来なら商談で貰うはずの薬を使わせてしまったのだぞ……。それに派閥に加わった事だし、今後の安全の為にも良い印象を与えておかなければ……」
「なにもかも、あのロジックと言う人の思うがままですか……。それにはそうとして、こんなひ弱な人に森での探索をお願いしますかね? 普通」
まるで庇うような言葉だが、良く考えなくとも馬鹿にしてるような意味合いにも捉えられる台詞を吐いた琥珀のいる場所は、正しく森だった。それも禁足地とされている森。
ハイドラはそんなきつい当たりをしてくる琥珀の背後に、隠れながら進んでいた。
「それに関しては同意しざるを得ないが……。魔物だなんて実に馬鹿馬鹿しい……」
「まぁ、きっとロジックさんも信じていないのでしょうね。でないと、もし本当に魔物が出た時、どうやってハイドラ様にその場を切り抜けろと言うのですか」
失礼な物言いだが、その通りだった。魔物なんて見た事も無いが、その恐ろしさは字体からも容易に想像できる。きっと犬ですら、ろくに払い除ける事も出来ないであろうハイドラがどうにか出来るレベルの相手でないのもまた、火を見るより明らかだった。
そしてさりげなく発言された、そのもしも、の状況を想像してハイドラは肩を抱いて身震いする。
ずっと琥珀の影に隠れて忘れていたが、周囲を見渡せば既にとても薄暗くて気味悪かった。
「魔物も、もちろん怖いが……そんな不明瞭なものより、今の状況の方がよっぽど恐ろしいぞ……。遭難とか……しないよな……?」
「まぁ禁足地なんで当然、道しるべなんてありませんね。なので、なんとも言えませんよ? ……それにしても禁足地に踏入る許可が良く取れましたね」
琥珀は辺りを見渡す。
どうして自分がこんな場所に行かなければならないのか、ほとほと疑問だった。見栄だがなんだか知らないが格好つけて頼みを聞くなら、一人で行けば良いのに、と付け足して思う。
「まぁ、あいつも貴族なんだ。それくらい出来るのだろう」
「ふーん……。とりあえずこんな場所に長居したくはないので、適当に見回って帰りましょう、ハイドラ様」
「あぁ……。だが、あのロジックとか言う男、俺の事をミスターハイドラと呼んだぞ……嫌がらせか何かなのか……? ほんと質の悪い……」
「ただの嫌がらせなら……まだ良いんですけどね」




