四十話『やだなぁ、忘れちゃったの?』
「あなた様! あれ! あれです!」
そう言って先程の少女が指差したのは夜の外門の前で、話し合うメイド長と、白い髪の男性だった。
黒い衣服が暗闇に溶け込むように同化しているのに対して、その頭髪はよく目立っている。
そしてその男性は、琥珀を遠目で見るなり手を上げて言った。
「おーい! 琥珀ちゃん! 俺だよ俺! 琥珀ちゃんとその主人に用事があるから会わせてくれって言ってるのに、全然分かってくれないんだよォ」
「だから用件は何ですか! って聞いてるじゃない!」
そう言ったのはずっと応対していたであろうメイド長だった。
琥珀はそんなメイド長に、御愁傷様。と一言、心の中で念じる。
そしてヘラヘラと笑っている男性に歩み寄りながら言った。
「まさか、あなただとは思わなかった。なに? まだ何か用?」
男性は両手を広げて、おどけるように返す。
「やだなぁ、忘れちゃったの? ほんとはこんな所で言いたく無いんだけど、仕方ないかぁ」
男性は内緒話をするように口元に手を当て、少しだけ小声で続ける。
「……ほら、お昼の件だよ。シャルルループの追っ手がうろうろしていたでしょ?」
「それが……どうしたの?」
「ツレナイねぇ……。君は守ってあげるって言ったでしょ? ……それで頑張って調べたんだけど、あれほんとにシャルルループからの追っ手だったみたい。シャルルループのご親族がご立腹みたいだよォ? 怖いねぇ」
琥珀は隣のハイドラへ視線を移す。
目が虚ろだった。風邪が悪化してきているのだろう。恐らくこの様子では話も耳に届いていない。
琥珀はそこで溜め息を付くと、再び男性へ視線を戻して言った。
「わざわざありがとう。じゃあ、私はまだ仕事中だから」
そうしてハイドラの手首を掴むと、背を向けて屋敷へ歩みを進める。
男性はその背に向けて言った。
「あ! まだ用事は済んで無いんだけどなぁ。けど、まぁいいか。次の新聞とかちゃんと見ておけよー」
「本当に大丈夫なんですか?」
昨日から変わらず散らかっている屋敷の玄関で、琥珀は問う。靴を履いてふらふらと立ち上がるハイドラを見つめて。
「あぁ……大丈夫だ……。少しは回復した……。やはり商談を断っては俺の今後に響く……」
「それはそうですね……」
ハイドラの言った事は確かな事で琥珀自身もそれに強く同意するが……だがそれでも心配だった。ハイドラの身の心配と、自分の今後の心配。それが丁度、二分割出来るほどには。
なんだかんだ言ってまだ半分ハイドラを心配できるのは、この人の世話になっている事には違いなかったからだ。
「まぁ、無理はなさらないように」
気兼ねなくそう言う。
それがどうしたものか、ハイドラはじっと琥珀を見つめて黙り込んでしまう。
「……? 何か?」
「何かもくそかもあるか……」
そこでまた言葉を詰まらせるハイドラに、琥珀は首を傾げる。実は少し面倒くさかった。しかしそんな事は言えやしないので、黙ってハイドラを見つめ返す。
するとハイドラは徐に琥珀の両腕を掴んで言った。
「何て心に響く言葉なんだ。俺の心配をこうしてしてくれるのは、お前だけだ……!」
「うーん……」
返答に困る。何て返してあげれば良いのか。別に悪い気はしないが溜めに溜めた言葉だけに、今度は気兼ねなく返す訳にはいかない。
しかし実際の所、ハイドラを心配をしているのが琥珀だけだなんて事は無く、むしろ琥珀はあまりハイドラを案じていない方だった。それどころか心配で言えば、昨日のメイド少女やメイド長の方がよっぽど心配していると言える。琥珀に限っては、ただただ世話係を買って出たおかげで接触する機会が増え、掛ける言葉が増えただけ。この件に関してはハイドラの勘違いに過ぎなかった。
だが……それは琥珀にとって実に都合が良かった。
「そう……なんですね。ハイドラ様、私だけはあなた様の味方ですよ」
とでも言っておけば喜ぶだろう。と琥珀は悪い笑顔が表に出てこないように細心の注意を払う。
都合の良いように勘違いして貰えるのであれば、勘違いして貰うに越した事は無い。事実ハイドラは琥珀の目前で、体をわなわなと喜びに震えさせていた。
「そうか……お前は何て良い奴なんだ……。これからもよろしく頼む……」
そう言ってハイドラは外へと向かって行く。その素直な様子を見る限り、精神面で随分と追い込まれているのが伺えた。
琥珀はそこで溜息を付く。そしてハイドラの背に向けて、囁くように言った。
「まぁ、普段の様子に戻れるまでは、優しくしてあげましょう」




