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三十三話『それをハイドラ様に出来れば……の話ですけど』

「あーあ。悲惨な光景」

 一息を付いて琥珀は、空を見上げる。

 空は雲で陰っていた。森とは怖いもので、少し日光が届かないだけで、先程までの穏やかな雰囲気は無くなってしまう。誰が見ても雨が降る前なのは分かった。

 強風が長身の針葉樹の葉を、枝から揺らし、森全体にざわめきを奏でる。

 そのまま視線を足元に落として行くと、靴が汚れていた。光沢のある茶色のローファーが、泥と赤い液体で汚されている。

 そしてその傍らには、肌色では無くピンク色の肉を露出させた死体が二つ。

 琥珀はそこで溜め息を付くと、腰に片手を置いて気だるそうに言った。

「ハイドラ様。目、覚めましたね」

 木にもたれ掛かるように移動させておいたハイドラに視線を移す。

 すると言葉通りハイドラは瞼を開けて、前に立つ琥珀を見つめた。

「なぜ……俺が目を覚ましたって、分かったんだ」

 聞くべきはそこでは無いだろう。と子供のように目を擦るハイドラに、琥珀は心の中で毒を吐く。

 そしてその呑気な姿に琥珀は、少し苛立ちを覚えながら返した。

「ハイドラ様が気を失っている間、私は本来の力を取り戻しました」

「なに!?」

「……けど、そのおかげでこいつを倒す事が出来たんですけどね」

 ハイドラの驚愕に、琥珀は間髪入れず答えた。

 そして足元に転がる死体を靴の側面で小さく、数回こつく。

 そこで死体へ視線を落としたハイドラが、やっと意識をはっきりさせ始めた。その無惨な死体の姿と異臭に、思わず後退りしようと針葉樹に背を擦り付ける。

 結果的には針葉樹に阻まれて離れる事は出来なかったが、その場で立ち上がる事によって、少しは距離を稼ぐ事に成功させた。

「お、お前がやったのか……?」

「ですから私がしたって、今言ったじゃないですか。それでハイドラ様が目を覚ました結果、私の力が再び弱まったのです。それでお目覚めが分かったのです」

 琥珀はそこで死体の片方へ、テアへと視線を落として続ける。

「そんな事より、やっぱり死なせてしまったのですね」

「あ……あぁ」

 既に死体から目を背けるハイドラ。その表情は曇っていた。そこからは後ろめたい何かを感じる。

 琥珀はそんなハイドラを逃さなかった。

「死因はなんですか? 見たところ、チェーンソーのような鋭い物で抉られたような傷をしていますが」

 琥珀の発言に、ハイドラはリアルな傷を脳内で想像する。

 現実でまじまじと見たわけでも無いのに、この鼻を突くような臭いも相まってかこれ以上に無く鮮明に想像できてしまう。

 それだけで強烈な吐き気がハイドラを襲った。

 そしてハイドラがその吐き気に抗えるはずも無く、俯いて思う存分に食べた物を吐き出す。

「何吐いてるんですか……これくらいで……」

 後退りするように素早く距離を取って、遠目から引き気味にハイドラ眺める琥珀。

 そうして吐き切って疲弊するハイドラは、冷たい視線を送る琥珀を茫然と見つめ返した。

「これくらいだと……? これのどこが、くらいなんだ…」

 自分が挟んだ話題だが、琥珀にとってそんな事は既にどうでも良かった。

 それよりも聞きたい言葉はテアが死に至るまでの経緯。ハイドラがこの窮地(きゅうち)でどのような判断をしたのか。そこだった。

「それで、どうしてこの子は死んだのですか?」

「俺の……身代わりにした」

 それを聞いて大きな溜め息をする琥珀。

 大体想像は付いていた。

「クズですね」

「……そうしないと俺が死んでいた」

 それはそうだろうな。と琥珀は思う。だったらもっと強くなるための努力をするなり、こんな無謀な行いなど(はな)からしなければ良いのに。と付け足して軽蔑する。

「きっと私も、簡単に身代わりにされてしまうのでしょうね」

「……ち、違う。お前は特別だ……!」

「あーそうですか」

 琥珀は素っ気なく返すと、ハイドラに背を向けて歩き出す。

 自分が被害にあった訳でも無いのに、今回の件は腹が立って仕方がなかった。

 テアと争っている様子を見たくなかったからかは定かでは無いが、自分の都合で契約を交わし、自分の都合で命を奪う。それでいて、まるで仲人を務めたかのような得意気な顔をしていたのが今となっては苛立たしい。

 そんな人間なのは百も承知で、その性格をとやかく言うつもりは無いし、そもそも他人事なのだが……そんな人間に言い寄られて居るのが、不快だった。

 琥珀自身も誉められた人間では無いと自覚しているが、やはり不快だった。

「お、おい! どこに行こうと言うんだ!」

 琥珀の背に向けてハイドラは叫んだ。

 ほんとに馬鹿な人だな。と率直な感想は抑えて、琥珀は横目でそんな馬鹿な人を見て答えた。

「逃げるんですよ。シャルルループを殺して、それで終わりだなんて……まさか思ってませんよね?」

「どういう意味だ……?」

「分かりませんか? これほどの大企業の社長を殺したんです。保安機関が動きますよね?」

「しかしこれは仕返しだ……! 正当防衛だ! そうだろ?!」

「でしたら何故、シャルルループは強気でハイドラ様を襲ったのでしょう? 答えは簡単です。根回しが済んでいるからです。でないと、むしろ捕まるのはシャルルループの方になりますよね?」

 ハイドラはそこで黙り混んでしまう。驚愕と失望の入り交じった表情している。

「……お……俺はどうすれば良いんだ……?」

 琥珀は静かに口角を上げて答えた。

「さぁ? それを考えるのはハイドラ様の仕事です。……ただ私なら、この地を治める人間……それこそ保安機関すらも自由に動かせる人間にすがり付きますかね」

 そしてくるっとスカートの裾を広げて振り返り続けた。

「それをハイドラ様に出来れば……の話ですけど」

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