三十二話『楽に死ねると思わないでね』
「哀れなのはお前だ。ミスターハイドラ」
「いいえ。あなたです」
そう言って木陰から堂々と姿を現したのは、琥珀だった。
シャルルループは自分から見て右に位置する琥珀を首を回して確認する。
「戻ってきたのか?」
「はい。やっとハイドラ様がくたばってくれましたから」
シャルルループの問いに、琥珀は無表情で答えながらも、ハイドラを横目で確認する。
白目を剥いて涎を流し、無抵抗のままピクピクと体を震えさせていた。
まだ生きているのか? と琥珀は無惨な主の姿を見て、冷たく心配する。
シャルルループもそんなハイドラに同情するように、首を横に振って俯いた。
「……従者にもこの言われようか……。つくづく哀れな奴だ」
「……それに関しては私もそう思いますよ」
「じゃあ、君は主の最後を見届けに来たのか?晴れ晴れするだろう?契約による拘束もこれで終わりなのだから」
シャルルループは動かないハイドラを小さく振って爽やかに笑って見せる。
琥珀は胸の前で手を叩き、
「そうですね。それはそれで素敵です。……けど、私はそこまで薄情者のつもりは無いのです」
シャルルループを睨む。
「どういう意味かね?」
「そう、どういう訳か、ハイドラ様は私に逃げるように……ここから遠ざかるように命令したのです。どうやって離れた距離の私に、そのような指示を下せたのかは分かりませんが、確かに私はここに近付けなくなった。……それが不意に解けたものですから、ここに急いで来てみれば、今の有り様と言う訳です」
琥珀はそこで、口元を握り拳で押さえて咳払いをする。そして眼球だけを動かしハイドラを見つめ、口元を隠したまま続けた。
「従者を逃がす為に犠牲になる主。美徳ですね」
恍惚とした表情を浮かべる琥珀。
シャルルループは危機感を感じていない様子の琥珀を気味悪く思いながら尋ねた。
「な、何を言ってるんだね……?」
「そろそろ、その主が死んでしまうので、手を離してあげてください」
「話が通じないぞ」
琥珀が口元から手を退ける。
その奥では、にやりと笑みを浮かべていた。
その事実にシャルルループが訳も分からず、ゾッとしていると、既に琥珀に首を掴まれていた。
「な……に?」
琥珀はそのままシャルルループを地面に叩き伏せる。
そして横目でハイドラが解放されたのを確認すると、仰向けに倒れ込むシャルルループの顔の側を踏み抜いた。
土が舞い上がり、目を丸くするシャルルループの顔を汚す。
シャルルループは何が起きたのか分からない、と言った様子だった。
「油断しているから瞬きの隙を突かれるんですよ」
笑顔でシャルルループを見下ろして言った。
そこで「あ、そう言う事じゃないか」と小言を漏らして続ける。
「何故、私が力自慢のあなたを地に伏せさせる事が出来たかが疑問なんですね。……難しい事は覚えてませんが、契約により私はハイドラ様を攻撃する事が出来ません。確か、これが契約の第一条です」
琥珀はそのままシャルルループの胸ぐらを片手で掴み上げ、さらに続ける。
「そして第二条が、私の力を制限すると言ったものでした。これは何があっても……例えハイドラ様本人でも解く事は出来ないって言ってました。それが死んだか、死にかけているからか、分からないですが、今は全力を出す事が出来るのです」
そして余った片手でシャルルループの首を締め上げると、最後に付け足すように言った。
「驚きましたか?」
シャルルループからの返事は無い。
それは首を圧迫されて声が出せないからだ。
体を暴れさせて、何度か蹴りを琥珀の体に当てているが、怯む様子も無かった。
そしてその無駄な抵抗が弱まってきた所で、琥珀は言う。
「あ、そうそう……制限するのは力だけで無く、闘争心も抑えてくれているみたいです」
そこで笑顔で続けた。
「楽に死ねると思わないでね」




