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三十一話『死ぬ前に一つ教えてやろう。』

「どうして……私を……」

 肩を借りながらも、ずるずると片足を引きずって進むテアは、前方を呆然と眺めるハイドラの虚ろな目を見ていった。

 ハイドラは、その魂が抜けたような様子のまま答える。

「深い意味など無い。俺の環境が(おびや)かされない程度なら、良くしてやる。それだけだ……」

 もうシャルルループに対抗する手段がない。希望を失い、今の絶望的な状況に戦意喪失しているようだった。

 これではシャルルループを逆立てただけ。対抗とかの次元ではなく、この先どうやって生き残るか。

 ハイドラは重い頭を抱える。

「これから……どうするのですか……?」

 それが分からないから、困っているのだ。と、口にする元気にすらもハイドラには残されてなかった。

 しかしここで分からないと答えるのも、勧誘した立場としては示しが付かないと言うもの。

「今は逃げるんだ……」

 当たり前の事を言ってしまったなぁ……。とハイドラは後からすぐに後悔する。

 これでは当然、示しも格好も付かない。テアも苦笑いを隠しきれてなかった。

「……あの人、大丈夫なんですか? 勝てないって自分で言ってましたよね」

「あいつは……大丈夫だ。一人で逃げる事は出来るだろう。今は俺達の心配をするんだ」

 俯いて通り過ぎていく雑草を、目で追いかけて眺めるハイドラ。

 そこで不意に、テアの足が止まる。不審に思い、テアの顔を覗き込むと、前方を睨むように見つめていた。

 ハイドラもその視線を追い掛けていく。

 するとそこには、見たくも無いシャルルループの姿があった。ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべて歩み寄って来ている。

「ど、どうしてここに居るんだ……!」

 裏返るハイドラの情けない声。

 琥珀はやられてしまったのか……? と、一番考えたくない事が脳裏をよぎり、汗と言う汗が全身の穴から吹き出す。

「先回りさせて貰ったのだよ。ミスター……ハイドラ! ここは私の庭だ。それくらい当然だろう」

 シャルルループはそこで指を立てて、その腕を天に掲げて続ける。

「そして……ここが……! そう! ここが君の墓場となるのだ。さも当然のようにな……!」

 意気揚々とするシャルルループに対して、ハイドラは顔を真っ青にし、膝を地に付いてうなだれる。

 その傍らでは、支えを失ったテアが釣られるように座り込んだ。

 止めを刺すべく、土を跳ねさせてシャルルループが駆け出した。

「どうするのですか?」

 そう聞いたのはぺたんと座って地に両手を付くテアだった。

 危機感を感じていないのか、可愛らしく首を傾げている。

 ハイドラはその事実に、一瞬だけ疑問に感じたが、どうしてテアがこんな状況でも澄ました顔をしているのか、すぐに察した。

 ……それはテアにはまだ後があるからだ。

 ここでハイドラが勝とうと、シャルルループが勝利を納めようと、テアは生き残る事が出来る。

 そして、その考えは甘いな。とハイドラは思った。

「契約に基づき命じる――」

 シャルルループが大きく振り払い、何かを投射した。

 薄っぺらいそれは、激しく回転しながらハイドラ達へ飛んでくる。

 魔法防壁発生装置だった。

 そしてあろう事か、それは宙で回りながら四角形の魔法防壁を発生させていた。

 殺傷能力があるのは誰が見ても分かる。

 ハイドラが取る行動は決まっていた。

「――汝、我の前に立ち、そのまま盾になれ」

 指示通りにテアはハイドラの前に立つ。

 そしてハイドラの予定通りに、激しく回転する魔法防壁はテアの胸部から腹部にかけてをズタズタに切り裂き、赤い液体を振り撒いた。

 それには思わずシャルルループも立ち止まる。

「な、何と言う事だ! うちの養子が一人減ってしまったではないか! ミスターハイドラ! お前の罪は大きいぞ! 大罪だ!! 万死に値する!!」

 何が大罪だ。何が万死だ。とハイドラは顔に付着した鮮血を腕で拭いながら、シャルルループの言葉に強い嫌悪感を感じた。

 シャルルループの言葉。そこにテアを心配をするものが無かった。

 仮にも養子として迎え入れた立場なのだがらそこに、もっと思う事があるだろうと、ハイドラは思う。主と従者の関係とは訳が違う。

 ハイドラはそれが、そこはかとなく気に入らなかった。

 そしてそこで一つ理解する。

 今抱いているこの気持ちは、(まぎ)れもない同類嫌悪だと。

 自分もクズみたいな価値観を持っている人間である事は、痛いほどに理解している。

 だからこその不快感だった。

 地に伏せるテアはもはや身動き一つしていない。

「哀れだな」

 ハイドラはテアからシャルルループへと視線を移す。

 一見、怒っているような表情をしてるが、その顔は確かに笑っていた。正確には、そう感じさせるような表情。もっと言えば、隠しきれないと言った様子。

 気持ちの悪い。とは思ったものの、やはりどこか自分に重ねてしまうハイドラ。

 そしてシャルルループが一度止めた足を動かし、また駆け出す。

「許さんぞおおおおおお!!」

「自業自得だ。横に大切な養子が人質にされているのに、軽率な攻撃をしたからだ」

 自分でも不思議なほどに冷静だった。

 迫り来るシャルルループは既に目と鼻の先の距離。

 もっと他に思う事があるだろう。と今度は自分の事を指して思った。

「死ね!」

 シャルルループの太い声と共に、太い腕がハイドラの喉へ伸ばされる。

 そこでやっと無力な自分が悔しく思い始めた。

 きっとここで死ぬだろう。それを自然と悟っていたのが、冷静になれた原因だと、ハイドラは喉を掴まれて息が出来なくなる中で思った。

 気道が狭くなり、息が出来ない。苦しい。

 恐らく体は無意識に叫んでいるのだろうが掠れた声も出せず、ただ出るのは大量の涎と、狭い気道の中で必死に空気を吸い込む情けない音。隙間風の方がまだ良い音を奏でる。

 そして何よりもハイドラの中で強かったのが、痛さだった。

「ミスターハイドラァ……。死ぬ前に一つ教えてやろう。この後、私とお前は世間にどう映ると思う?」

 シャルルループは指に力を込めて言う。

 ハイドラはその手首を掴んで弱き力で抗った。

 喉が潰されているだけのはずなのに、全身に痛みが響いてくる。

 呼吸困難と激痛が相まって、もう何かを見ると言う動作も満足に出来ない。つまりは、憎きシャルルループを睨む余裕すらも残られていない。

 今のハイドラの目に映るのは、針葉樹の葉だった。白目を剥くようにだらしなく、空の方を見ることしか出来ない。

 そしてそんな様子のハイドラにシャルルループは一層、楽しく言った。

「お前は世間からあまり良く思われていないからな。それに対して私は、世に約立つ物を放っている望まれた人間。だったら、きっとこう映る。お前が悪者で、私が善者」

 ハイドラからの返事は無い。

 シャルルループはしばらくハイドラの情けない表情を眺めると、鼻で笑って続けた。

「哀れなのはお前だ。ミスターハイドラ」

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