二十三話『誕生日、おめでとう』
「なに……これ……気持ちわる……」
寂しげな地下室に琥珀のひきつった声が良く響いた。想定はしていても、それを目の当たりにすると、やはり面喰らう。想像以上の悪臭に、想像以上に酷い景色。
金庫の扉を開けて流れ出てきたものは、得体の知れない粘液塗れの得体の知れない一人の人間だった。今からそれに、口付けを行わなければならない。
「やだなぁ……」
考察するまでもなく、この人間は白雨のクローンだと分かる。分かってしまう。
忌々しく忌々しい白雨の忌々しい企み。の一つによって作られた白雨のスペアだ。
自身の体の乗っ取りに失敗し、尚且つ本人の体を失ってしまった時の保険に作られたクローン体。
そしてその策は見事に功を成し、こうして利用される事になる。最悪のパターンを想定した白雨の用心深さが今、まさに活きたと言えるだろう。
「はぁ……やるしかないかぁ……」
クローン体は金庫の扉を開けると同時に、粘液と共に流れ出て来た。
水浸しの床を、琥珀はとぼとぼと歩いてクローン体に歩み寄って行く。靴底に張り付く粘液がまた不快な事、不快な事。
そのまま琥珀はクローン体の隣で屈むと、首に腕を回して頭を持ち上げた。肌から妙な生暖かさが伝わってくる。
「うぇ……」
気持ち悪い。ただただ、そうとしか思えなかった。生臭さが鼻を突く。
せめて少しでも不快感を軽減しようと琥珀はクローン体の唇の粘液を親指で拭き取ると、そのまま一思いに唇を重ねた。
「はっ!?」
その瞬間だった。クローン体が目を見開いて産声を上げる。
「おおおおうう!?」
「おはよう白雨。そして誕生日、おめでとう」
「……ははは。魂とは興味深いものだな。我は甦ったぞ……!」
「はいはい」
全裸で喜びを体現する白雨を、琥珀は投げ捨てて適当にあしらう。
しかし、白雨はそれをまったく気にしていない様子だった。
「同じ契約の魔法使いならば、俺にもこの力が扱える可能性はきっとあるはずだ……! 魔法陣とは即ち魂を目視するための道具に過ぎないと言う事……! これが分かっただけでも大きな進歩と言えよう!」
「ふーん……」
白雨の戯れ言にはまったく興味が無い。
そんな事よりも、どうやってグリムソウルを陥れるか。結果的にハイドラの力を失ったのは痛手だった。
作戦を練るにも、ひとまずはこの疲労した体を休めたい。
「私はもう行くから」
「どこに行くんだ? 琥珀よ」
お前には関係無い。と言って一蹴してやりたい所だったが、話が拗れてもそれはそれで面倒臭い。
過去の経験のせいか、最近はやけに合理的な判断をするようになった。きっと自身は、つまらない人間なのだろう。
「どこって。適当に宿を探して休むのよ。魂を移すのって疲れるんだから」
「おいおい。行き先を間違えているぞ」
いちいち突っ掛かってくるこいつは何者のつもりなのか。都合の良い事に、既に契約には縛られて居なかった。それはつまり、もう白雨は主でもなんでも無いと言う事。
そんなただただ偉そうな貴族崩れに過ぎないこいつに、どうして行き先の一つすらも指示されなければならないのか。
「もうほっといてよ。あんたは元気かも知んないけど、私は今すぐにでも休みたいの……」
「だったら尚更だ。俺達の向かう先は時雨の元だ」
「……なぜ?」
「そこにグリムソウルを殺す勝算が残されているからだ。それに安全だろう」
「私はともかく、あんたが受け入れられるとは思わないけど」
「受け入れさせるさ」
自信満々と言った様子で、白雨は言った。
その発言が嘘か本当かは分からないが、そこにグリムソウルを殺せる算段があると言うのであれば、時雨の元を訪れる価値はある。それをこの目で見てから判断してもきっと遅くは無い。それに合理的ではあった。
「まぁ、そこまで言うなら」