十九話『子は親を選ぶ事は出来ないんだ』
「やーやー。琥珀ちゃん。久し振りだねぇ」
どこかで聞いた懐かしい声がする。しかしその声の正体を思い出すのに大した時間も掛からなかった。
「グリムソウル!」
慌ててベンチから立ち上がる。
うとうとしていた頃合いだったが、その忌々しい声を聞いて眠気などすぐに飛んだ。
「そんな怒らないでよ。迎えに来てやったんだからさ」
今更、何の用事があると言うのか。薄れかけていた憎悪が再び琥珀の心を占領し始める。
「迎えに? ふざけないでよ。私を学園に売っておいて、はいそーですかとあなたに付いて行くと思う?」
「良く喋るねぇ。やっぱり怒ってる?」
見れば分かるだろ。と言いたげに琥珀はグリムソウルを睨む。
するとグリムソウルは素早く琥珀の背後に回り込むと、拘束するように首に腕を回して言った。
「乱暴したく無いんだけどねぇ。このまま俺の話聞いてくれる?」
「……」
「まぁ良いや。勝手に続けるけどさ。琥珀ちゃんを学園に預けたのにはちゃーんと理由があるんだ」
そこで琥珀の腹部に手を伸ばし、そのまま腹部を撫でながらグリムソウルは続ける。
「ここに居る新たな生命。本当に俺の子か確かめる為さ。別に琥珀ちゃんが他人と寝るなんて疑ってる訳じゃないよ?ただやっぱりそこは白黒ハッキリさせたいと言うか」
「だったら……なによ」
「その子は俺の次の依代にする。ハイドラの血筋とはやっぱり相性が良いみたいでさ」
「決めた。今……決めた。だったら私は自害する。お前の糧を腹の中で育てるつもりは無い」
「させると思う? 何の為に、琥珀ちゃんにハイドラの長男を憑依させているか」
「……どう言う意味よ?」
「本人に聞いておいでよ」
グリムソウルのその声を最後に、琥珀の意識が遠退いていく。
そして聞き慣れない声が新たに一つ。
――ふふ。こうも容易く魔人を見つける事が出来るなんて――
夢の世界。真っ白なこの空間が夢の中であると、琥珀はすぐに気が付いた。
目前には見慣れてしまった白雨か呆然と立っている。
「琥珀……」
「なによ」
「分かっていると思うが俺は自害なんて許さないぞ」
そう言う白雨には、いつもの威勢が感じられなかった。
何をそんなに不安に思っているのか。恐らくだが、自身の死が間接的に白雨にも死をもたらしてしまう事を懸念しているのだろう。
こいつの最愛の人間は自分自身。そんな人間だ。まぁなんにせよ、腐りきったその性格に今更とやかく言うつもりは無い。思うは、ざまーみろ。と、ただその一言くらいなものだ。
「あんたに許可を貰う事でも無いでしょ。どうせお前は自分の心配しかしていない」
「……いや、違う。違うんだ」
「なにが違うと言うの?」
苛立ちを強く表面に出して琥珀は尋ねる。
白雨は腕を広げて、そして悲しそうな表情で答えた。
「確かに俺は俺の心配をしている。そこに疑う余地は無い。だがな、こうしてお前と共に過ごすに当たって感じた事がある」
「はぁ……一応、聞いといて上げる」
「それは二人してグリムソウルを強く憎んでいると言う事。復讐したいと考えている事。共通するその目的に、おれは酷く感化されたのかも知れない。確かに俺はお前に償いきれない酷い事をした。許して貰えるとは思わないし、それを望む事も、よはや無下だろう」
汗を流して必死に訴えかける白雨に、琥珀は腕を組んで冷たく続きを促す。
「それで?」
「その………だから……。どうせ死んでいる身だ。もう俺がどうこう出来るとは思ってもいない。だから残りの時間。琥珀と共にあるこの僅かな時間を、お前に捧げたいと思っているんだ」
「ふーん……」
そう言って琥珀は白雨に歩み寄っていく。そして白雨の冷たい手を取って答えた。
「だったら一緒に死んでくれる?」
そう告げる琥珀の顔は、それはそれはあざとく作られた笑みだった。
白雨は気恥ずかしい思いを誤魔化すように視線を反らして答える。
「……駄目だ」
「なんで?」
「諦めるには早い……と俺は思うんだ」
「諦める訳じゃないよ。知ってるでしょ?ここにあいつの依代が宿っている事」
琥珀は自身の腹部に手を当てて言った。
白雨は後退りし、琥珀と距離を起きながら答える。
「だが……その腹の子には何の罪も無いだろう」
「それ、あんたが言える台詞じゃないよ。もっと言うと私も含めて、人殺しが言えるような事じゃないと思うけど」
「……琥珀の言う事にも一律あるが、俺の殺してきた人間は俺と対峙した人間だ。戦いに身を置いた愚かな人間だ」
「じゃあ犠牲になったメイド達は? ロゼは?」
「それは自身が置かれている状況が安全か否か、判断し損ねた哀れな人間だ」
「良かった。あんたは変わって無かった。やっぱりクズだった。だったらこの子は、私の元を選んでしまった哀れな人間なのよね」
白雨から離れるように背を向けて歩き出す琥珀。
白雨はその背に向けて答える。
「それは違う。俺の言った奴らは、状況も自身の実力も計り違えた人間共だ。自身の欲を優先させて自滅した愚かで哀れな人間だ。だが、その子は……」
そこで言葉を詰まらせる白雨に疑問を感じたのか、そこで琥珀は振り返る。
するとその疑問に答えるように白雨は続けた。
「子は親を選ぶ事は出来ないんだ」
「……ねぇ。急だけどさ、どうしてあなたは自身の父親を殺したの?」
「それがハイドラのやり方だからだ。弱き息子に王位を継がせるつもりは無いと親は言った。だから奪った。あの親も本望だろう。そう言う意味では今、ハイドラ嶺を治めている時雨が一番優秀だったと言える」
「ふーん。つまらない話ね」
「お前が聞いたのだろう。それにつまらないと一蹴するには早い話題だと思うぞ!」
「どう言う意味よ」
「起きろ! 琥珀! お前の希望はまだ続いてる!!」