最終話『これからしたい事、いっぱい残ってるんだよっ!!?』
「これで……終わりだああああ!!!」
琥珀の握り締める剣が白雨の腹部を貫く。
その瞬間、返り血が琥珀を斑に染めた。
「ああ……! あああ!! ああああああああっ!!!」
叫び声を上げて倒れていく白雨。
体を上げられた魚の如く暴れさせて、悲痛の叫びを上げる。
まだ立ち上がろうと床に手を付くが、激痛が勝ってしまうのかすぐに叫びを上げて足掻くように床の上をのたうち回る。
そうして広がっていく血の池の上で自身が苦しむ姿を見るのは、何とも言えない気持ちになった。
「しぶとい……ですね。それ以上、私の体を蹂躙しないでください」
止めを刺そうと琥珀は剣を振り上げる。
しかし既にその時には白雨の動きは鈍っており、目を見開いてピクピクと痙攣するだけだった。
「あっ……嫌だ……あ……ぁ……」
声も力を失っていくように小さくなっていく。
そうして白雨はそこで、完全に動きを止めた。
それを確認し、琥珀が剣を落として座り込む。
「終わった……のですね……」
ひたすらに白い天井をぼんやりと眺める琥珀。
思えば苦労しかない人生だったな。とまだ若い十数年の人生を振り返る。
物心が付く前に親に捨てられ、スラム街で育ち、その時から契約の魔法によって縛られていた。
しかし今は、その契約の魔法からも解放されている。
何も自身を縛り付けるものはなく、今度は自身の意思でハイドラに尽くすだけ。
……ねぇ、時雨君。と琥珀が安堵の表情を時雨に向けた所で、時雨は叫んだ。
「ああああああああああっ!!!」
それは全て成し遂げた達成感からなる解放の叫び。……なんて物では無かった。悲痛苦痛絶望とあらゆるものを色混ぜたような暗く黒い叫びだった。
「し、時雨君!!?」
慌てて琥珀が時雨に駆け寄る。
そんな琥珀に時雨は、今度は笑って言った。
「ごめん……琥珀ちゃん。やられた……」
「何!? どうしたの!? 時雨君!!」
「時雨……では無い。残念だな、琥珀よ。我は……」
首を思い切り横に振って時雨は琥珀の両肩を掴む。
そして表情を歪ませて訴え掛ける。
「は、早く僕を……殺して……早く……完全に乗っ取られてしまう前に……」
「そんな……出来ないよ……」
「早く……」
時雨はそこで立ち上がると、どこからともなく剣を出現させる。
そして琥珀を見下ろしながら不敵な笑みを浮かべて剣を振り上げるが、すぐにそこで剣を床に突き刺した。
「琥珀……ちゃん……早く……」
「だって……私……嫌だよ……!」
「早く……琥珀ちゃん……。殺して……やろう」
時雨が再び剣を抜き取り、琥珀を睨んで構える。しかしすぐにその剣を地面に投げ捨てた。
「ああああああああああっ!! くそ兄貴!! お前の思い通りにさせるものかあああっ!!! 琥珀ちゃん!!! もう限界だよ! 今すぐ殺して……! やるからそこで待っていろ」
転がる剣を拾い上げ、時雨は琥珀に歩み寄っていく。
しかしそこで時雨は、自身の片足を切り捨てた。
時雨はそのまま倒れていく。
「どこまでも抗いやがって……。だがコントロールはもはや完全に俺の物だ……! 今、琥珀を殺して、お前も楽にしてやる」
そう言って上半身を起こす時雨。
しかし次の瞬間には、琥珀が時雨に馬乗りになり、首に両手を宛がっていた。そして叫ぶ。
「どうして!!? どうしてお前は……!!! 私の事をなんだと……!」
「お前など……端から捨て駒だ。俺に取って俺以外の人間に価値など無い。俺は自身を最愛している」
涙を流す琥珀。
しかし首に宛がう手に力が入らない。
にやりと笑って時雨は言った。
「早く殺せ」
自身の言葉に驚く時雨。
そして琥珀の手に、両手を重ねて続けた。
「こんな役ばかりさせてごめんね。琥珀ちゃん。僕、君の事好きだったんだよ。バレバレだった?」
「ん……バレバレだよ……」
「……じゃあ琥珀ちゃんは? 僕の事……どう思ってた……?」
「……好き」
「……えへへ。なんだか照れるね。……ねぇ、知ってた? 人が他人を殺す時、憎悪を抱いていた場合はね? 刺殺を選ぶんだって」
「じゃあ……愛していた時は……?」
時雨はトン……トン……と琥珀の手を叩いて答えた。
「絞殺。じゃあ、一つお願い。僕が僕で居られる内にさ、そうやって殺して。変な話、兄貴に絞殺を奪われると思ったら、悲しくなってきちゃってさ」
時雨はゆっくりと倒れていく。その表情は穏やかなものだった。
「ううう……あああっっ……!」
琥珀の手に徐々に力が入っていく。
こんな役ばかりさせてごめん。と言いたいのはこちらの方だ。
時折、時雨が苦しさを表情に出さないようにしていのか、顔の筋肉を痙攣させるのが、琥珀を苦しめた。
「ごめんね……時雨君……!」
琥珀の力が全力に達する。
そこで目を閉じる時雨の口が静かに動く。喉を絞められ声が出せないのだろうが、それでも口だけの動きでしっかりと伝わった。
時雨は発したのは、たった四文字の言葉。それだけで全てが伝わる。
「私もだいすきだよ……時雨君……だから……」
だからこそ琥珀はそこで手を緩めてしまう。
どうして好きな相手を、自らが殺さなければならないのか。
驚いたような表情を浮かべる時雨だったが、すぐにその表情は不気味な笑みへと変わった。
そしてすぐさま琥珀の肩を押し倒し、今度は逆に馬乗りになる。
「甘いな……お前も……」
「ん……子供を産める事しか価値の無い女だけど、それでもやっぱり私は女の子だもん」
「下らんな」
時雨がその手に剣を握る。
そこで琥珀は時雨の頬を力強く叩いた。警戒な音が白い空間に響き渡る。
「ねぇ! 時雨君! 悔しくないの!? 何もかも思い通りにされて! 何一つ兄に勝てないままで! 時雨君はそれで満足なの!?」
「無駄な抵抗だ。もうその声は届かない」
「最後くらいさ! 勝って笑おうよ! 最後くらいさ! このクソ兄貴に一泡吹かせてやろうよ! 最後くらいさ!! せっかく思いを伝えあって両思いになったんだから、幸せになろうよ!!! これからしたい事、いっぱい残ってるんだよっ!!?」
時雨の動きが止まる。
琥珀は泣いていた。
「目を覚まさないなら何度だって叩いて起こしてやる!」
そしてもう一発、時雨の頬を全力で叩いた。
そうして琥珀の額に一滴の涙が溢れ落ちる。
そしてまたも琥珀は時雨の頬に触れた。しかし今度は、優しく撫でるように。
「お帰り……時雨君」
「ただいま……琥珀ちゃんっ……ううう……!」
そのまま琥珀を抱き締める時雨。胸に顔を埋めて、琥珀の胸元を湿らせていく。
「簡単な事だった……! 君を思えば……簡単な事だった!」
「ん。そうだよ。それって何か知ってる?」
時雨からの返事はない。
満足げな表情を浮かべる琥珀は、時雨の頭を撫でて続けた。
「それも簡単な事だよ。……愛、なんだよっ」