十四話『大丈夫。私だって戦える』
声を上げて駆け出す時雨の剣が化け物の顔を突き刺した。
その途端、化け物は奇怪な叫び声を上げる。
その声量は凄まじく、水面に小さな波を起こし、乗客も思わず両手で耳を塞いでしまう程だった。
「なんだよ……! うるさいな……!」
突然な事に時雨も怯んでいると、化け物は時雨へ向けて腕を振り払った。
それを時雨は間一髪の所で跳ねて回避するも、反応が少し遅れてしまったのか、片足に腕が直撃してしまう。そしてその威力も凄まじく、時雨の片足をまるで枝を折るように容易くはねた。
赤い液体を撒き散らして円を描いて飛ぶ片足。
皆がそれを目で追い掛けている内に化け物は、力任せに船を叩いた。
そして休む間も無く連続して叩き続け、船の進行を止めてしまう。
当然、乗客はその衝撃で立つ事も出来ず、まるで赤子に遊ばれる人形のように船の上で跳ねる事しか出来なかった。
その様子を見て、化け物は楽しげに笑う。
そして落ちてくる時雨に琥珀は駆け寄った。
「時雨君! 時雨君!! 足が……!」
「だ、大丈夫……。足は復活する……」
「え……」
琥珀が恐る恐る時雨の足へと視線を移す。すると既に足は赤いゼリーのように光沢をもった形で復活しており、まるで塗装が剥がれていくように生足が露になっていく。
そうして完全に足が回復したところで、時雨は立ち上がり言った。
「僕の回復は、周囲で血液が流れていないと出来ない。そして今、流れている血液はあの化け物に剣を差して流れた血液のみ。僕達ハイドラは動物の血液では回復出来ないんだ。だからあの化け物は動物じゃない」
「え……じゃあ人なの……? それとも本当に魔物……」
「それは僕にも分からない……強すぎてここまま戦いを挑んでも……消耗するだけで勝てそうに無いかも……」
「でも時雨君だけなら逃げられるよね……?」
「……どうかな。けどはそれは無しでいこうよ。血液が流れている場所では僕達は戦闘能力を上げられる。さっきのようには行かないと思うから……」
後半は化け物を強く睨んで時雨はそう言った。
そしてその手に再度赤い剣を握り締め構える。
ずっとへらへらしていた化け物もそれを見て笑みを止めた。一度刺された剣を覚えているのか、それをじっと見つめて警戒している。
そこへ、
「白銀の風『フリーレン』」
魔法名を口にしたのは、琥珀だった。
「琥珀ちゃん!?」
「大丈夫。私だって戦える」
「けど僕と違って、君は回復出来ないんだよ!?」
微笑む琥珀が大きく頷く。
そして辺りに冷たい風が吹き始めた。
「フリーレン。力を貸してっ!」
そう言って腕を天に掲げる琥珀。そしてそのまま手のひらを化け物に向けて合わせた。
「発射!」
その掛け声と共に琥珀の手のひらをから強烈な風が吹き荒れる。
それは痛いほどに冷たく、空気中の水分を瞬時に凍らせているのか、白い衝撃波のように見えた。
思わず時雨も後退りする。
それを直に受けた化け物は、白い靄に覆われて見えなくなった。しかしその靄が激しく乱れている為、中で暴れているのは、うかがえる。そして徐々にその乱れが収まってきた所で、琥珀は魔法を中断させた。
「どうなるの……」
不安げな琥珀の声が寒い空気の中を響き渡る。
そうして靄が晴れた先に見えたのは、上半身を凍らせて船と接着してしまっていた化け物だった。
「時雨君! 粉々に破壊して!」
「うん! 分かった!」
時雨が駆け出す。そして赤い剣を化け物の中心に突き刺し、そこから蜘蛛の巣のようなヒビが全体に広がるように入り、化け物は言葉通り粉々に砕け散った。
乗客から歓声が上がり、琥珀はその場で小さく跳ねてガッツポーズを取る。
しかし一人、表情を曇らせる者が居た。……それは時雨だった。
「どうしたの……?」
と琥珀が尋ねてすぐに、時雨は湖の中に飛び込む。
「し、時雨君!?」
慌てて駆け寄る琥珀。
そこで琥珀が見たものは……浮き上がってくる時雨と、時雨に抱えられる見知らぬ少女だった。
「大丈夫!?」
すぐに手を差し伸ばし、時雨を引き釣り上げる。
そうして時雨は咳き込みながら言った。
「彼女がエルちゃんだよ」
「え……なんで……」
気を失うエルを凝視する琥珀。
時雨は首を横に振って答えた。
「分からない。目を覚ましてから詳しく聞こう」
程無くして船の運行は再開。
琥珀を連れて、時雨はエルを背負いながら宿を目指した。