外伝時雨side四話『楽に死ねるとは……思わないでね』
「それで先輩にその依頼をしたのは、誰なんですか?」
冷たい声。テアは自身が上官だと言う立場を忘れて、おどおどとして答えた。
「わ、私のお兄ちゃんよ」
時雨は眉を潜める。
テアの言う事が事実であれば、兄が見す見す妹を危険な目に合わせているとでも言うのだろうか。
もっとも自身の兄である白雨は、それをものともしない性格の持ち主だったが、それが異常なのだと信じたい。
テアが嘘を吐いているか、兄が異常なのか。ここでそれを確認する前に、先程から殺気立てているならず者達を静める事が先決だった。
時雨は改めて前を向いて、笑顔で話し掛ける。
「お兄さん達はどう言った事情で?」
「お前に関係無い」
「じゃあお兄さん達は好きで、こんな事をしてる?」
「んな訳ねーだろ。生活の為だ」
「ふーん……」
おかしな話だと思う。
アクア領は来る者を拒まない。そして労働者が不足している。生活ならばそこですれば良い。にも関わらずそれをしないのは、きっとそれなりの事情があるからなのだろう。
そしてそれらを知るのに、まどろっこしいやり方は必要無かった。
「だったらアクア領で生活すれば良いじゃん。労働者、不足しているんだよ? それこそ女の子みたいな見た目をした僕まで働かされる位にはね」
時雨は笑顔だった。それが武器になる事を自覚しているからだ。
悪い印象を取っ払うには笑顔が一番。それが時雨の経験則だった。
しかしならず者は声を荒げて返事をする。
「誰が俺達を雇うって言うんだ!! 魔法は使えねぇ! ここで木を切って小屋で生活するしか能がねぇ! そもそも、そう言ったのはお前達、アクア領の人間だろうが!」
「え……? そうなの?」
「あぁ! そうさ! だからアクア領の外で、嫌々人殺しの仕事を請け負ったんだ!」
「誰から?」
「名前なんぞ知るか! お前達と同じ白い服を着ていた奴だよ!」
ならず者が時雨の着ている服を指差して訴えかける。
時雨はそこで少し黙って考え込むと、自身の顎を撫でながら答えた。
「あぁ。それ多分、僕達の偽物だよ」
えぇ!? と声を上げて驚いたのはならず者だけで無く、隣で怯えるテアもだった。
時雨は人差し指を立てて続ける。
「アクア領は来る者を拒みません。嘘だと思うなら、僕が仕事を手配しましょう。今までに人殺しはしましたか? してませんね。銃口を向けるだけで奥歯を噛み締めるような人が、人を殺せるとは思えない。それに人殺しの依頼をされているのに、金目の物を置いて行けば助けるって言ってたのも不慣れな証拠。せいぜい恐喝くらいしか出来てないんでしょ?」
「……そうだ。今回が初めてだ」
「じゃあこのまま僕達と、アクア領に向かおうか」
「……ほ、ほんとに生活出来るんだな?」
「もちろん。保証するよ」
時雨がそう言って、ならず者に背を向けた瞬間だった。
またしても唐突に発砲音が鳴り響いた。
慌てて時雨が振り返るとそこには、先程まで瞳に希望を宿し掛けていたならず者が口血を吐いて、体を傾け倒れていた。
「やっぱり罠か!!」
別のならず者が改めて拳銃を構え直す。
「ち、違う! 僕達じゃ無い!」
時雨が必死に弁解するがその声は届かず、テアと先輩の男二人を含んで一斉に銃弾の雨が襲った。
無論、テアも男達も抵抗する間もなく蜂の巣のように撃ち抜かれ、時雨も全身を穴だらけにして倒れてしまう。
そうして息を荒げて四体の死体を確認するならず者達を、今度は順に撃ち殺して行く者が居た。
「ひゃっはー! 死ね! 死ね!」
狂った笑い声を上げ、森の木の上から機関銃で次々に人を撃ち抜いていくのは、眼鏡を掛けた黒の長髪を一つに括った男性だった。
そうしてうろたえるだけのならず者を全員を撃ち抜いた所で、男性は地へと飛び降りて来る。
そして血生臭い森を一瞥して、大声で笑った。
「憎きハイドラも殺してやった! 愉快だなぁっ!!」
しかしそんな男性が一つの違和感に気が付く。
慌てる男性が違和感の元である足首を確認すると、どう言う訳か無傷の時雨が寝そべりながら男性の足首を掴んでいた。
「き、貴様!! 死んだはずでは!!」
そのまま時雨は、驚愕で硬直してしまっている男性の足首を折る。
そうして悲鳴を上げて倒れていく男性に代わって時雨は立ち上がると、血塗れの服を両手で払い首を鳴らして尋ねた。
「ねぇ。テアさんのお兄さんって知ってる……?」
「くそがぁ!! お前に教えてやる訳ねぇだろう!!」
「だったら何度も聞くけど……その度に骨を折るよ?」
そのまま時雨は、躊躇いも無く男性の指を踏み抜く。
またしても悲鳴を上げる男性は、手を抱えるように小さく丸まった。
時雨はその場で屈がむと、苦痛の表情を浮かべる男性の髪を鷲掴みにして尋ねる。
「ねぇ。テアさんのお兄さんって知ってる?」
「お、俺の妹だ……!」
「あぁやっぱり。ここに姿を見せた時にそう思ったよ。それで? なんで妹を危険な目に合わせたの? お前は何がしたかった?」
「……」
男性は穴と言う穴から粘膜を垂れ流して黙り込む。
しかし時雨が男性の歯に触れた所で、慌てて話し出した。
「あ、あいつはテア家の面汚しだ! 死んだって構わない! 誰とでもヤりまくるビッチなんだ! むしろ死んでくれた方が精々する!」
「……保安機関に居ながらも、ならず者を操作して妹をけしかけたのは何故なんだ?」
「……お前を殺す為だ!」
「僕を?」
「家を飛び出したもう一人の妹が居る。こいつはお前達ハイドラに殺されたと聞いた。別に妹がどうなろうと知ったこっちゃ無いが、お前達ハイドラにテア家が蹂躙されるのは気分が良くないんでな。テア家を汚す妹と共に始末してやろうと思ったんだ」
「……悲しい思想だね」
「同情か? くそが」
男性は時雨を睨み付けると、そのまま唾を跳ばすように吐く。
時雨は汚された頬を腕で拭うと、男性の額に人差し指を当てて言った。
「同情なんかじゃ無いよ。……まだ妹の敵討ちだって言うなら救いようがあったんだけどなぁ……はぁ。僕もあなたみたいに狂気に溢れる人間だと自覚しているけどさ。それでも僕はそれを抑えて押さえ付けて生きているつもりなんだ。大切な人と言う存在が僕の理性を保ってくれる。あなたは、そんな人に恵まれなかったんだね」
そこで男性は素早く無事な方の手でポケットから拳銃を取り出すと、慌ててそれを時雨に向ける。
しかし時雨はそれを、虫を払うように手の甲で弾くと笑顔で言った。
「聞いてたでしょ? 人を殺して良いのは、殺される覚悟がある奴だけ……ってね。でもね?」
そして目を見開いて続けた。
「楽に死ねるとは……思わないでね」