十話『しっー。分かってるよ、もう時雨君は面白いなぁ』
「ねぇ琥珀ちゃん。僕、ハイドラって名乗った事あったっけ?」
空調が整った過ごしやすい図書館で、そう尋ねたのは、机に両手で頬杖を付く時雨だった。
その隣に数冊の本を置いて腰掛ける琥珀は、そのうちの一冊の本を開いて答える。
「グリムソウルさんに聞いてた。それに面接から帰って来た時も、その名前のせいで面倒事になったって言ってたよね?」
「あー……そう言えばそうだったね。……ところでさ。琥珀ちゃんはグリムソウルさんと、どんな関係なの?」
「分からなーい。でもグリムソウルさんって、時雨君の血縁者なんでしょ?」
琥珀は適当にページを捲りながら答える。
「そ、そうだけど……。それは本人がそう言ったの……?」
恐る恐る尋ねる時雨。対して琥珀は、急にいきいきと活気良く言った。
「ん! そう! それでねっ! ハイドラって、地名にもなっているくらい有名な名前だからっ、図書館に歴史の本として残ってないかなぁ! って思って!」
そう言って琥珀は、今見ているページを楽しげに時雨に見せた。
そうして、覗き込むように首を伸ばす時雨が見たものは、ハイドラに関する文献だった。
「あ、あるもんなんだねぇ……。僕ってある意味、有名人……?」
「ある意味も何も有名人だと思うよ」
「……まぁ見るのは自由だけど、悪い事書いてても知らないよ」
「ん、分かってるよっ」
琥珀はそこで再び本へ視線を戻す。
時雨も琥珀が持って来た他の本を適当に手に取った。
それは絵に書いたような恋愛小説だった。それもどちらかと言えば大人向けの物。
意外と言えば意外だが、別に不思議までとは思わない。が、そんな事よりも、もっともっと意外だったのはその本を手に取ってから琥珀と視線が合っても、恥ずかしそうな素振りをまったく見せず、変わらない微笑みを送った来た事だった。
女の子は普通、恥ずかしがるものだと思っていただけに、それは琥珀の意外な一面だった。
気を取り直すように時雨は咳払いをして、その大人向けの恋愛小説の適当なページを開く。
「……!?」
そこは、なんとも大胆なシーンだった。老若男女が利用する図書館に置いて良いのか疑問に持つほどに、そのシーンはあまりにも大人向けだった。
思わず顔を赤くしてしまっているのが感じられる。
時雨は慌ててその本を閉じると、突如、強烈な視線を感じ取り、恐る恐る隣を確認した。
「時雨君……?」
そこに居たのは、にっまぁと微笑む琥珀だった。
時雨は慌てて弁明の言葉を並べる。
「ち、ちが! た、たまたまで! その、べ、別にいやらしいシーンを見て恥ずかしくなったとかじゃないんだからね!!!」
これ以上騒ぐと、また周囲から冷たい視線を貰ってしまう勢いだった。
琥珀は自分の唇に人差し指を当てて答える。
「しっー。分かってるよ、もう時雨君は面白いなぁ」
そして手元の本を時雨の前へずらして続けた。
「なんかね。凄い事書いてあったんだけど」
「……ほらー。言ったでしょ?」
「え!? 時雨君、知ってたの?」
「まぁ……僕達ハイドラは暴君と呼ばれて、世間からあまり良い評価されてない事とか?」
「そうなの??」
「あれ? 違うの? じゃあ、何書いてたの?」
頭の上に疑問符を並べる時雨。
琥珀は、人差し指を立てて答える。
「私達が魔法を扱えるのは、魔人がご先祖様の体に魔法陣を刻んだから……なのは常識だよね?」
「もちろん。魔力はその魔法陣から供給され、今もその魔法陣は僕達の体のどこかに浮かび上がっている」
「じゃあ、貴族が遺伝魔法を扱えるのは?」
「魔人によって特殊な魔法が、直接魔法陣に刻まれているから。だから遺伝でしか伝わらない。貴族はその魔法で名を馳せた者……だよね?」
「うんうん」と琥珀は数回頷く。
そして目前の本の一文を人差し指で指差して続けた。
「それで、ハイドラに遺伝魔法を与えた魔人なんだけどね……どうやらグリムソウルって名前の魔人らしいよ?」