百十二話『おこがましい事を言いますが……では私の前だけでも甘えて頂けると嬉しいなー……なんて』
そして少女にとって、最も衝撃的だったのは、琥珀の次の行動だっただろう。
「んっ……」
あろう事か、琥珀はそのまま少女へ口付けしたのだった。
少女の体が電流が走ったかの如く、手先を伸ばして硬直してしまう。
そうして長い接吻の末、琥珀が口を離したのは、固まる少女の体から力が抜けた時だった。
琥珀はそれを確認するや否や、ポケットから小瓶を取り出し、そのまま小瓶の縁へ自らの唇を近付ける。そして静かに唾液を流し込んだ。
そうして琥珀は口元を腕で擦って、膝に手を付いて立ち上がる。
「あなたは無駄にはさせない。役に立って貰いますよ。教祖ちゃん」
小瓶へ微笑む琥珀は、この場を去って行った。
集落の入り口。そこに一人、琥珀を迎える者が居た。
「琥珀ちゃん……! 良かった無事で……! ごめんね。僕、情けない事に怖くて何も出来なかった……。戦いに向かう君を引き止める事もしなかった。……最低だよね」
戦いから帰って来たばかりの琥珀にそう言ったのは、うつ向いたままの時雨だった。
琥珀はそこで屈むと、下から覗き込むように時雨の目を見つめ、笑顔で答える。
「弟様? どうして弟様がそんなに気に病まれているのですか? 私だって馬鹿じゃありませんよ? ちゃんと勝算があって赴たのです。でなきゃ、弟様を連れて逃げていましたよ」
「うん……で、でも……」
それでも時雨は顔を上げずに縮こまってしまう。
琥珀はそんな時雨の頭部に顎を乗せ、軽く被さるような体制になって微笑んだ。
「ふふ、弟様は優しい方ですね。……なにも戦いに行ったとかは限らないでは無いですか」
「それはどう言う……」
そのままの姿勢で時雨は尋ねる。
琥珀はそんな時雨の頭をわしゃわしゃと撫でて答えた。
「和解ですよ、和解。非禁禁忌教は手を引いてくれるそうです。もう私達の前に現れる事もありませんよ」
「琥珀ちゃん……それって……」
「もう安全ですよ。安心してください」
「ありがとう……!」
時雨はそこで思わず琥珀の腰を抱き締める。
「え? お、弟様?!」
「わっ! ご、ごめん! つい!」
慌てて離れる時雨。
琥珀は照れ臭そうに人差し指で頭を掻いて言った。
「い、いえ……その、私の方こそすみません。私から距離を詰めて置いて……。でもやっぱり相手から来られると恥ずかしいものですね」
最後に琥珀は、たはは……と笑う。
時雨もまた、恥ずかしげに返した。
「なんだか君と居るとつい甘えてしまう……。駄目だなー……もっとしっかりしないと……」
そして真剣な表情をして、しかしどこか不安げに続ける。
「今、国を守れるのは僕しかいないんだから……」
打って変わって琥珀は優しげに微笑んだ。
「弟様は頑張ってますよ。……その、おこがましい事を言いますが……では私の前だけでは甘えて頂けると嬉しいなー……なんて」
言っている内に、照れを少しずつ表情に出してしまう琥珀。
何かを堪えるかのような表情をする時雨は、突発的に琥珀の手を掴むと、ぐいっと引き寄せて耳打ちするように呟いた。
「じゃあさ、二人だけの時だけで良いから名前で呼んでよ」
「……ふふ、甘え上手ですね。時雨様」