百十一話『嫌だ……怖い……。嫌だ。無になってしまう……怖いよ……』
白銀の雪景色。真っ白の世界で、琥珀は時雨に微笑んだ。
「行ってきます」
風は無く、先程まで降り積もっていた雪も気が付けば止んでいた。
それはなぜか。琥珀が空を見上げると、そこには集落を覆うように分厚い氷の壁が張られていた。雪も風も、その壁によって遮られていた。
「力が溢れてきます。これがフリーレンの加護なのですね」
深呼吸をして琥珀は、滲んで見える少女を睨む。
そしてその時だった。
「待ちましたが良い返事が聞けそうにありませんので、強行手段を取らせて貰います」
宙に浮いていた少女が氷の壁に着地し、その小さな拳で壁を撃ち抜いた。
集落の住民がざわめく。まさかそうも容易く破られるとは思ってもいなかったのだろう。
少女はそのまま壁を掴むと、まるで缶詰の蓋を開けるかのように容易く壁を剥がした。
「こんな薄い氷の壁で私を遮断出来ると思っていたのですか?」
にやりと不気味な笑みを浮かべて集落の住民を見下ろす少女。
そうして時雨を見つけようと辺りを見渡す少女に、琥珀は手の平を向け、魔法名を口にする。
「白銀の風『フリーレン』」
すると琥珀の手の平から、一本の氷柱が現れる。そしてあろう事かそれは、急激に長さを伸ばすと不意をつくように少女に直撃した。
少女が転がり落ちて行くのが、氷の壁越しに見える。
琥珀はその場に残る氷柱の上に飛び乗ると、その斜面を滑るように上がっていった。
「あぁ痛い……」
氷の壁に手を付いて少女はふらふらと立ち上がる。
不意を突かれた攻撃にはさすがの少女も堪えたのか、氷柱が直撃したであろう額を余った方の手で押さえて苛立ちを表情に露にしていた。
「あなたは何者で、何がしたいのですか」
そんな少女の前に降り立つ琥珀は尋ねる。
少女は苛立ちをより強くして答えた。
「またその質問ですか。いい加減飽き飽きします」
「……ですがまともな答えを聞いていませんよ。回答次第では争わなくて済むかな、と思いまして」
琥珀は小首を傾げて微笑む。
その余裕げな態度が、少女をより苛立たせた。
「はーあ? 当事者でもないあなたが解決出来る事だと思っているのですか?」
「……あなたの教団の教祖が手を引くと言えば、あなたも引かざるを得ないですよね?」
「……絶対にそれは無いですね」
「なぜ言い切れるのですか?」
歩み寄っていく琥珀。膝下まで雪の中に埋まってしまうと言うのに、その足取りはしっかりとしたものだった。
その場で待ち構える少女は静かに口角を吊り上げて答える。
「私が教祖だからです」
一瞬の戸惑いを琥珀は見せたが、すぐに真剣な顔付きで尋ねた。
「でしたら平和的解決は出来ないのですね……?」
「そう言う事になります」
答えを聞いて琥珀は、ふっと息を吐くように笑う。
対する少女が怪訝そうな表情を浮かべた次の瞬間だった。
「ハイドラ様のように上手な交渉は出来ませんね」
そう言って突如、跳ねるようにして距離を詰める琥珀の拳が、少女の頬に食い込み、そのまま少女を叩き付けるように雪の中へ埋めた。
しかし少女も当然やられるがままなはずもなく、追い討ちを掛けようとする琥珀に倒れたまま蹴りを仕掛けるが、それを琥珀は容易に受け止める。
その事実に目を丸くする少女が叫ぶように言った。
「忌々しい!! お前如きがどうやってそれほどの力を!」
「フリーレンの力ですよ……」
「訳の分からない事を!」
少女はそのまま腕を高く上げると、勢い良く雪の地面を叩く。
その衝撃は雪を巻き上げ、そしてその反動を利用するように少女は宙に浮かび上がった。
そうして反撃の為の拳を固く握る。
しかし先に琥珀はその場から雪を蹴り上げると、その雪はまるで弾丸のようになって少女を襲った。
「なにっ!?」
風を切る音を鳴らして、小さな雪の無数の弾丸は少女に迫る。
そしてその雪の弾丸は、少女に抗う間も与えず体を貫いた。
一瞬の出来事だった。
小柄な少女の体が宙を舞い、再び雪の地面に埋まるが、先程とは違って、まるで優しく受け止められるかのように少女は雪の上に横たわる。
そして体に空く数個の穴から、その雪を赤く赤く染めていく。
「そん……な。死にたく……無い」
口から血と共にそう漏らす少女。
そんな少女の頬を、琥珀は冷たい両手で挟むように触れて言った。
「まだ生きているのですか。心臓を貫いたのに、しぶといですね」
「助け……て。非禁禁忌様……」
「非禁禁忌教に慈悲は無いのです……よね?」
「嫌だ……怖い……。嫌だ。無になってしまう……怖いよ……」
琥珀はそこで少女の頬を優しく撫でる。
「……無にはさせませんよ。あなたにはこれから役に立って貰います」
少女の周囲には、既に血の池が出来上がっていた。
琥珀は血を含んだ雪を一摘まみすると、それを静かに口に運んだ。
それには息も絶え絶えの少女も、驚愕の表情を浮かべる。
そして少女にとって、最も衝撃的だったのは、琥珀の次の行動だっただろう。