百十話『琥珀よ……お前は主を守る為に戦うのか?』
時雨がお手洗いから帰って来てすぐの事だった。
「な、なに!?」
不意に感じる振動に、琥珀は動揺した様子で叫んだ。
「地震!?」
釣られて時雨も叫ぶ。
よりにもよってこんな時に。と琥珀は向けようのない怒りの矛先を抑えて、時雨と共に家を飛び出した。
そうして二人が見たものは、集落を囲う大きな柵の外側。そこで宙に浮いて佇むお下げの少女だった。
その少女は徐に拡声器を持ち出すと、それを口元に近付けて地上の集落を見下ろしながら言った。
「諸君。我々は非禁禁忌教である。我々は今、悪名高きハイドラと対立関係にある。すなわち、世直しと言う事だ。そこで我々はこの地にハイドラの親族が紛れ込んだと言う情報を手に入れた。速やかに身柄を明け渡したまえ。……さもなくば、強行手段に出る事もやむを得ないですよ?」
拡声器を通した声は余す事なく集落の端から端へと行き届いただろう。それを聞いてか、集落の住民がぞろぞろと家の中から現れる。
その中の一人。腰を曲げた老人が、手を掲げて言った。
「よそ者は出ていけ!」
よぼよぼと言わざるを得ない老人から、思いもよらなかった頼もしい反論が飛ぶ。
しかしその頼もしさとは裏腹に、琥珀は大きな不安を抱いていた。
「変に挑発して逆撫でしならなければ良いけど……」
時雨が言う。
それこそが琥珀の抱く不安だった。
「そもそも、ここへは普通の人は訪れられないのでは……」
琥珀もまるで不満を漏らすように呟いた。
そしてその問いに答えたのは、背後から歩み寄る祖母だった。
「あやつが普通では無いと言う事だな。極端に力の強い者はこうしてここへ迷い込む」
「おばあちゃん!?」
琥珀が慌てて振り返ると、その祖母の手には小さな杖が握られていた。
「フリーレンの加護を! 今こそ大混成魔法を放つ時!」
祖母がそう言って両腕を掲げる。それに合わせるように、集落の住民達が腕を上げていく。
「白銀の守護『フリーレン』」
詠唱される魔法名。
そうして琥珀が見たのは、この集落を囲う氷の壁だった。それは球体を半分に割ったような形で、集落を覆うバリアのように見える。
そして分厚い氷の壁に隔たれた事によって宙に佇む少女が油絵のように滲んで見えた。
「これは……!」
そのあまりにも一瞬の出来事に琥珀が目を丸くする。
「琥珀よ。我々がこの集落一、フリーレンの血を色濃く継いでいる。お前が望むのならばフリーレンはお前に力を与えるだろう。……そしてこの地に立つ限り、フリーレンはお前に力を授ける事を惜しまない」
「それはつまり……どう言う……事ですか……? フリーレンとはなんでしょうか……」
「フリーレンは我々の始祖。我々をこの地にて守る方。わしが戦えれば良いのだが、もう年でな……」
祖母はそこで琥珀の肩に手を置いて続けた。
「あやつからは強い邪気を感じる。琥珀よ……お前は主を守る為に戦うのか?」
琥珀はそこで時雨へ視線を移す。拳を握る時雨は奥歯を噛み締めてうつ向いていた。無力な自分を悔やんでいるのだろう。
「はい、もちろん戦いますよ。でもそれは弟様が主だからではありません」
そこで琥珀は祖母へ視線を戻して続けた。
「私が守りたいと思ったからです」