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九十九話『もう我慢しなくても良いんだよ。わがままになっても良い』

「はぁ……こうして来た道を歩んでみると、いかに車と言う乗り物が速いかを実感しますね……」

 森の並木を掻い潜るように歩みを進める琥珀は、額から流れる汗を腕で拭って呟いた。

 ここは、ハイドラ領へ向かう際、一度車で通った道だった。

 一晩中歩いてきた今でこそ分かった事だが、雨芽エルに連れ去られた先は、どうやら禁足地の森だったようだ。

 時雨はそんな琥珀の前を力強く歩きながら返した。

「大丈夫? 無理はしないでね。休憩する?」

「い、いえ……! 平気です! ……弟様は本当にお優しい方ですね」

 胸の前で拳を握りしめる琥珀。

 自分を気遣ってくれる時雨の言葉に、琥珀は少し救われた気がした。

 思えば、ろくな人生を送ってこなかった。幼少期には親に捨てられ、スラム街でひもじい生活を過ごし、そうして不本意ながらもメイドと言う仕事に就いたが、そこでの扱いも胸を張って人に話せるような物ではなかった。

 何の為に生まれたのか、自分にそう問い掛ける事も少なくもなかったが、こうして人に案じられる事につい喜びを感じると、今の人生でも足掻いて生きていこうと思える。

「私なんかの為に……その……ありがとうございます」

 改めて礼を言う。

 時雨はそのまま前を向いて尋ねた。

「……兄貴は琥珀ちゃんの事を心配したりしなかったの?」

「あ……いえ、そう言う訳では……」

「ふーん……。けど今の琥珀ちゃんを見てると、そうは思えないなぁ。都合の良い言葉に惑わされた幼気(いたい)な少女……僕にはそう映る」

「まぁ……そう捉える事も出来なくも無いですね……」

「……辛かったんだね」

「え……?」と声を漏らす琥珀は、時雨からの思いがけない言葉に、知らず知らずに俯いてしまっていた顔を上げる。

 するとそこには、笑顔で琥珀に手を差し伸べる時雨が振り向いていた。

「もう我慢しなくても良いんだよ。わがままになっても良い」

 それには思わず琥珀も歩みを止める。

「そ……そんな……ダメです……。私には立場があります……」

 琥珀は首を小さく振って、後退りをしながら萎縮する。

 時雨はそんな琥珀との距離を一歩、小さく跳ねるようにして埋めた。

「兄貴と居るのが辛くて仕方無い。僕にはそうにしか見えない。……だったらさ、このまま僕に付いておいでよ」

 時雨はそう言って再度、手を伸ばす。

「し、しかし……」

 それでも視線を逸らして手を取らない琥珀。時雨は逸らされる視線の前に回り込む。

「やっぱり躊躇(ためら)っちゃう? そうだよね。難しいよね。じゃあさ、答えは保留って事にしておいてよ」

 そう言って強く琥珀を見つめる時雨は終始、笑顔だった。

 琥珀はこくりと小さく頭を下げる。

 何を躊躇しているのか。こんなにも分かりやすく救いの手を差し伸べてくれているのに、どうしてその手を素直に取れないのか。琥 珀は自分の行動が、自分の事ながら腑に落ちなかった。

 しかし、そうしてしまう理由は明白にあって、それこそ葛藤し思い悩んでいる琥珀自身もきちんと理解出来るほどに、その理由は単純で明快な物だった。

「……怖いのです」

 ぼそりと呟く。

 一度、そうして白雨の優しい言葉に付いて行った結果が今の琥珀だった。

 その経験が、同じ過ちを許そうとはしない。

 だが、白雨と時雨には大きな違いが確かにあった。

 実際の所、今思い返して見ても白雨の優しい言葉には、まだ疑う余地はあった。

 それに対して時雨の言葉には、心からそう思ってくれているのが、ヒシヒシと伝わってくる純粋さがある。

 しかし一度傷つけられてしまった心は、そんな純粋さなど、とっくに失われてしまっていた。

 もし、時雨が白雨よりも巧みな人間だったら……そう考えてしまうと時雨の言葉を素直には信じられない。

 そうして体を震えさせる琥珀に、時雨は琥珀の肩を両手で掴んで言った。

「絶対……僕の元に来たいって思わせて見せるから」

「ありがとう……ございます……」

 そこで時雨は慌てて振り返ると、後頭部を掻きながら歩みを再開させる。

「何かくさい事、言っちゃったなー」

「私は……嫌いじゃありませんよ。くさいの」

「そう言うのずるいなー」

 照れ臭そうにする時雨に、琥珀は首を傾げる。

「……?」

「要は、琥珀ちゃんも変人って事だね!」

「えー?!」

 再度向き合って笑う時雨と琥珀。

 しかし次の瞬間には、琥珀の表情から笑みは奪われていた。

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